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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第七章 縁をたぐり寄せて

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出会えて良かった

 手土産で千代達が持ってきたビスケットに、二人して手を伸ばす。「うまいな」と、しばらく近衛侯爵の手は止まらず、ぼそりと「一善通商に直接頼むか」などと呟いていた。


「一乗夫妻か。奥方がちらちらと旦那を心配そうに見ているのが、愛らしかったな」

「実に初々しくて、見ているこちらが幸せな気持ちになりますな」

「うちの妻は、私を見るよりも、最近は髪飾りを見る時間のほうが長いな。まるで初恋相手を見るようにウットリと宝飾箱を覗いておるわ」

「どこの家も同じようなものですよ。うちのはもっぱら猫ですね」

「猫なら仕方あるまい。お前の負けだ、公信」

「私は犬派なんですよ。負けるなら犬が良かったです」


 千代達がいた時よりも、随分と打ち解けた雰囲気の二人だが、この距離感が二人にとって本来のものであった。


「それにしても、一乗君はいったい誰の恨みを買ったんだか。銀行にも華族にもそっぽを向かれるとは……ただ事ではないな」

「実はそれについて、侯爵の耳にも入れておきたいことがありまして」

「なるほど、それで残ったのか」


 東郷屋伯爵は千代と茜の確執、そして茜が花街生まれで、おそらく花街で得た情報を使って色々な人を脅しているのだろうことを話した。


「姉妹喧嘩は本人達に任せるとして、つまり華族の中にも、茜という娘に脅されるような真似をした者がいるということだな」


 近衛侯爵は額を押さえて、頭が痛いというように横に振った。


「皇室の(はん)(ぺい)である華族の顔に泥を塗りおって……」


 華族は、皇室の近臣にして、国民の貴種として模範たるべき存在と定められている。


「私は、土井侯爵に少々お話を聞いてみたいと思います」

「ああ。もし奴が何か言うようであれば、私からだと言ってもらって構わん。私はあの男に関わりとうないんでな」


 東郷屋伯爵は苦笑した。

 同じ侯爵位であり――とはいえ血統の貴種は近衛侯爵のほうが高いが――、共に投資家としても有名な二人は、何かと名前を並べられることが多かった。


 しかし、土井侯爵の投資は企業成長ではなく、投資家の利益を最優先とするものであり、常々近衛侯爵の理念からは外れていた。また、女遊びが汚いこともよく酒飲み話として上がっており、そんな土井侯爵と名前を並べられることを、近衛侯爵は常々遺憾に思っていたのだ。


「ちょうどいい。この機に華族の品位を落とそうとする家には仕置きをしてやろう。ついでに正金銀行もだな。国の発展を妨げる者は皆国賊ぞ」


 ヒヒッ、といやらしく愉快そうに笑う近衛侯爵に、東郷屋伯爵は「一乗夫妻に迷惑は掛けないでくださいよ」と釘を刺したのだった。


 近衛侯爵家を出た後、レオンとも途中で別れ千代は雪人と二人、日本橋の大通りを歩いていた。

 家を出た時は笑顔だったのだが、今、二人の顔に表情らしい表情はない。問題事は解決したはずなのに、二人の空気は微妙な重さを纏ったままだった。

 二人の胸の内には、まだどっしりとした重石が残っている。

 先に口を開いたのは雪人だった。


「融資の問題はこれで大丈夫だと思う。だが……これで終わりってわけじゃない」


『何が』終わりではないのか、言外に隠された言葉を千代も理解しており、無言で頷いた。

 千代の様子を見て雪人は口を開くが、やはり一瞬躊躇をはさみ、しかし、向けられた千代の『大丈夫』だと言わんばかりのまっすぐな目に、やっと言葉を発する。


「きっと……茜さんは放っておくと、何度でも君を害しようとしてくる」


 融資という、一乗家の『家』に絡む大きな問題は解決した。

 近衛侯爵が後ろについてくれていれば、きっともう一乗家への妨害はできないだろう。茜も、もう手の打ちようがないといずれ気付くはずだ。

 本来ならば、ここで幕引きとしても良いのだろう。

 しかし、このままで茜が諦めてくれるとは、二人ともどうしても思えないのだ。


「矛先が私だけに向くなら良いんです。でも実際は、雪人さんやナリさん、一乗家という私の大切な方々に迷惑が掛かってしまいました。もし、この先も私と関わるすべての方々に茜の矛先が向いたら……っそう思うと、怖くて悲しくて仕方ないんです」


 だから、このままで幕引きをしてはならないのだ。


「俺は横濱に戻ったら、彼女がいた店を探して訪ねるつもりだが……そうなると、おそらく花街の()()()()()()()()()が動く」


 花街に詳しくない千代でも、『後ろについている者』が何かわからないほど世間知らずではない。

 花街はその特殊な不文律文化から、官警では手出しできない事案が多く、自警団という少々荒っぽい男衆を雇っていたりする。噂によると、彼らの行いは官警も見て見ぬふりをするらしい。


「血のつながりが半分とは言え、彼女は君の妹だ。もし、君がやめてほしいと言うのなら……」

「雪人さんは、いつも私の意思を聞いてくださるんですね」


 彼は絶対に自分が嫌がるようなことはしない。どのような些細なことでも、必ず自分の意思を尊重してくれる。

 こんなに、自分の言葉を聞いてくれる人は、世界のどこを探してもいないと思う。


「亡くなった母には、病床の上でいつも『自由に生きなさい』って言われてきました」


 最初は、自由の意味がわからなかった。なんなら、不自由だと思ったこともなかった。

 父に命じられるがまま離れへと入り、母の看病をして、女学校に通いながら家業の手伝いをし、皆が放課後に遊びに行くのを図書室の窓から眺め、ある日突然許嫁ができ、その許嫁が妹の婚約者になり、見ず知らずの老当主の後妻として嫁ぐ羽目になっても、不自由だとは思わなかったのだ。


 それが当然だと思って疑ったことなどなかった。

 父が言ったことに頷いているのは自分の意思だ。

 だから、自分は自由なはずだとずっと思ってきた。

 いや、もしかすると、そう思い込もうとしてきただけなのかもしれない。


「雪人さんと出会って、本当の意味での自由を知りました」


 自由とは、頷くだけでなく首を横に振る権利もあるということだと知った。

 嫌なら嫌と言っていいのだと、嫌ということは悪いことではないとはじめて知った。


「どちらかを選ばなければならないのなら、私は迷うことなく雪人さんや一乗家の皆さん……私を大切にしてくださった方を選びます」


 血は水よりも濃いとは言うが、濃くとも毒であれば、水の清さに惹かれて当然だと思う。


「血よりも私は縁のほうが大切です。なので、遠慮は無用です。妹ももう女学校を卒業しますし、いつまでも子供ではいさせません。自分の犯した罪の責任は自分でとらせます。それが姉としての最後の役目だと思いますから」


 雪人の手が伸び、千代の頬に触れた。



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