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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第六章 陰徳あれば陽報あり

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湯に溶ける声

「っきゃああああ!」と千代は叫びそうになったのだが、「きゃ」と口から最初の音が漏れた次の瞬間には口を塞がれ、悲鳴は「んぐっ」という変な音に変わっていた。


 湯船から飛び出た雪人が、千代の口を塞いでいた。

 よほど慌てたのか、口を押さえる雪人の力が強く、千代は真後ろの壁に背中を押し付けられる。


「しっ! 大声を出したらミツヨさん達が飛んでくる」


 珍しく焦った顔の雪人が人差し指を口の前に立て、ヒソヒソと言ってくる。

 その顔は茹で蟹のように赤い。


「さすがにこの状況を見られるのは困る……絶対に揶揄われる」


 それはとても困る。一ヶ月くらいは揶揄われそうだ。

 千代もコクンと頷いて同意を示すと、ゆっくりと雪人の手が離れていく。しかし、いつまで経っても、千代は雪人の顔から視線をそらせなかった。


(ど……っどうしましょう)


 少しでも下を向けば、雪人の裸が視界に入ってしまうのだ。一糸まとわぬ、生まれたままの雪人の全身が。今見えている湯に濡れた首筋や肩だけでも、もういっぱいいっぱいなのに。

 そして、それは自分も同じこと。

 手ぬぐいを持っていたからどうにか身体の前面は隠せているが、それも心許ない面積である。動いたらどこかしらが見えてしまいそうだ。


(み、身動きが取れないわ……!)


 あまりの羞恥にぷるぷると震える千代だったが、雪人はそれを寒さ故と勘違いしたのだろう。


「すまない、これじゃ風邪を引くな」

「え? ――きゃっ!?」


 フッと身体が浮いたかと思ったら、雪人に横抱きにされていた。

 ぶらんと足が宙に揺れる。


「ま!? ままままっ、待ってください、雪人さん!?!?」


 肌が! 直に! 密着を!?

 しかし、雪人はそれよりも早く湯に入れることを優先しているのか、「こんなに冷えて」とさらに強く抱き締めてくる。

 頭がクラクラして、千代は声にならない声で「もう無理」と両手で顔を覆った。

 誰か鼻血を吹かなかったのを褒めてほしい。




 湯船まで二歩という距離が幸いした。

 どうにか意識が保てている内に湯に浸かることができ、雪人との密着もすぐに解消された。

 千代は、雪人に背を向けるかたちで風呂に浸かっていた。

 膝を抱え込んで、できるだけ小さく身体を丸める。


「ぃ、いつの間に、お、お戻りになられたんですか……」

「今さっきだ……雨でずぶ濡れになったから先に風呂をと……」

「そ、そうだったのですね」


 雨の音が激しくて、全然物音に気付かなかった。


「…………」

「…………」


 視線が合わなくなったのはいいのだが、どうしても意識してしまう。


(どうしよどうしよどうしよどうしましょう!? ああ~~~~っ、どうしようっていっても、どうにもできないのに……っ)


 互いに口を閉じてしまえば、水が滴る音だけがやけに響いて聞こえた。聴覚がやけに研ぎ澄まされ、ちょっとした水音でも胸が跳ねてしまう。

 背後で、チャポンと大きめの音がして、千代はビクッと肩を揺らした。

「ふっ」と雪人が笑う声がした。


「そんなに警戒しないでくれ。さすがに風呂場で君を抱くような真似はしないさ。声も響くし」


 ガバッ、と千代は羞恥と驚きで耳まで赤くして振り返った。


「――っそ! そんなこと考えてませんっ」


 実は少しだけ考えていたが。

 自分の心を読まれたかのようで恥ずかしく、千代は目尻を尖らせ、わざとはぐらかすように声を張り上げて雪人に言い募った。


 そして気付く。

 二人揃って「あ」と声を重ね、千代は自分の姿を見下ろした。

 手ぬぐいは湯船の縁に置いてある。もうもうとした湯気は立っているが、至近距離では無意味だし、湯の色は透明だ。


「~~~っ!」


 バシャンッと大きな飛沫を上げて、千代は雪人に背を向け口元まで湯に潜った。


(見られた見られた見られた絶っっ対、見られたわ……っ!)


 今までにも幾度か互いの肌を見ることはあったが、それはこう……薄暗い中だし、それどころではなく意識も朦朧としているからであって、このように明々とした電球の下では決してない。

 再びなんとも言えない沈黙が流れる。

 胸の内側を心臓が叩きすぎて痛いし、なんならこの大きすぎる鼓動で、湯まで波打っていないか心配だった。


「融資の件だが、実はレオンに相談したんだ」


 先ほどまでと違う雪人の落ち着いた声音に、千代の羞恥も一瞬で湯に溶けた。


「……レオン先生はなんと」

「紹介したい人がいると。以前の舞踏会の時にその話をしようとしたらしいんだが、二井勇一郎が来て話せる雰囲気じゃなくなって、そのままになってしまったんだと」


 紹介相手の名前は、驚かせたいから秘密だと言われたらしいが、高位の華族家であることは間違いないという。


「だから、今度東京へ行ってくる」


 あっ、と千代は肩越しに顔だけで振り返る。


「実は、この間お話しした清須川家の元女中頭についてなんですが、今日紗江子さんから手紙が届きまして、居場所がわかりました」

「本当か!」


 湯船の縁に腕を掛けて凭れていた雪人が、驚きに身体を起こした。パシャンッと湯が跳ねる。千代は慌てて視線をそらす。


「な、名前は寺野ツルヱさんといって、今は東京に住んでいるようです。なので、私も東京に行こうと思っていたところなんです」

「それは都合が良い。俺ひとりで行くよりも、千代も一緒ならただの旅行に見えるしな」


 茜は、女中を使ってまで一乗家の様子を把握しようとしていた。

 今はもう、紗江子を使ってこちらの情報を得るのは不可能となったが、茜のことだ、別の方法でまだこちらの行動を監視している可能性もある。


 彼女の人脈は未だに謎が多い。

 もし、雪人ひとりが東京へ行けば、会社関係――特に今は融資で動いていると予測されてしまうが、二人であればただの観光旅行を装えると雪人は言っているのだろう。

 千代は雪人と目を合わせ瞬きで頷いた、のも束の間。


「ひゃっ!?」


 湯の中で忍び寄る雪人の手に気付かず、腹に何かが絡みついたと思った時には、千代は雪人に抱き寄せられていた。

 大きく千代が動いたことで風呂の湯がざぶんと波立ち、身体が前後に揺すられ、否が応でも雪人と肌が擦れる。


「ゆ、ゆゆ雪人さん!? さっきは、こ、ここでは、ななな何もしないって……!?」


 熱い湯に浸かっているというのに、不思議なことに背中に当たる雪人の胸板の熱がしっかりと伝わってくる。

 口から心臓が出そうだ。


「ああ、声が響くからな」

「だだだだっ、だったら――!?」


 雪人の腕から逃れようとする千代の耳に、色気を帯びた低い声が、鼓膜を撫でるように響く。


「なに……千代が少し声を我慢してくれたら問題ない」

「――っあ! ……ゃ……っ」


 金魚鉢で魚が跳ね回るような水音に、千代の微かな声はかき消されたのだった。



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