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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第六章 陰徳あれば陽報あり

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まさか、そこに……

「いつからそんな偉そうに私に口を利くようになった! やはり成り上がりの平民に嫁がせたからか! 下品な!」


 同じく会社を引っ張ってきた者として、どうして父と義父はこうも違うのだろう。

 確かに身分で言えば、父は士族で平民よりも上に位置するのだろうが、二人を並べた時、第三者はどちらが士族だと思うか。

 元は義理と人情を重んじる武士道精神を中心に据えてきた家系のはずだが、彼のどこに義理と人情があるのだろうか。それでも高い矜持だけは持ち続けているのは、もはや厚顔無恥とすら言えるのではないだろうか。


「茜が家に来たのは、彼女が八歳の頃でしたよね。でも、不思議なことに八歳とは思えないくらい喋りも考えもどこか大人びていて、それに大人の会話も理解している様子でした」

「…………」

「あれは、普通の家で育っていて身につくものではありません」


 父の瞼の下はずっと痙攣している。


「しかし、高位の家庭の子とも思えない。それであれば、母ではなくその女性と結婚していたでしょうから。私はずっと、茜は父が街の女性を妾として囲っていて、その女性が亡くなったから清須川家に引き取ったのだと、単純に考えていました。そこまで茜の生い立ちに興味がなかったからです。誰の子だろうと、自分の可愛い妹には変わりはありませんから」

「……ならば、それ以上詮索するのは妹が可哀想だとは思わぬのか」

「ええ、思いません」


 もう……。


「はっ! 人の心を持たぬ冷たい姉よのう」

「お父様、清須川製糸の業況は良くないのですよね。そのことを、二井家にも茜にも何も伝えていないのでしょう」


 千代は父の嘲弄を無視し、家を出てずっと気掛かりだったことを口にした。娘に会社のことを口出されるのは嫌だろうと知りつつも、さすがに無視したままではいられなかった。

 せめてこの忠告を、少しでも自分の態度を顧みるきっかけにしてくれたら良いと思ったのだが。


「お前に心配される筋合いなどない。会社経営とは、時に谷に入ることもあるのだ。何も知らん小娘が偉そうに……っ。そんな可愛げがないから、勇一郎君にも捨てられるのだ」


 父は、一本取ってやったとばかりに、ふんっと鼻で嘲笑した。

 千代は丁寧に腰を折った。


 少し……ほんの少しだけ、自分がいなくなったことを悔いてくれている父がいるかと期待していた。娘がひとりいなくなって物寂しいでも、事務をする者がおらず不便になったでもいい。父の中に自分という娘がいたことが、欠片でも残っていてくれたらと、そう願っていたのだ。

 下げた顔の下で、千代は唇を噛み締め堪えた。

 次に顔を上げた時、千代は他人行儀な美しい笑みを浮かべていた。


「お父様、谷から救い出してくれるのは、人の温かな手だということをお忘れなきよう。己がしたことは必ず返ってきますから。きっと……かつて母も忠告したことでしょうが」

「――っ出て行け! お前はもう清須川の娘ではないのだ! さっさと、お前に似合いの地べたを這い回るネズミの家へ帰れッ!」


 母のことが逆鱗に触れたのか、突然激昂した父は、手にしていたくしゃくしゃの新聞を投げてきた。胸元に当たったが紙だから痛くもなく、パサッと間抜けな音を立てて縁側に落ちた。


「では、さようなら。お父様」

 



 

 清須川家を出てたったの数ヶ月だが、それでも屋敷の中を歩いていると、随分と懐かしさがこみ上げてくる。


「お母様が倒れられてからは、ほとんど離れでしか生活してなかったもの。懐かしく思うのも当然だわ」


 数ヶ月ではなく数年なのだから。

 一通り見終わったら帰ろうと思い、微かに残る幼い頃の自分の痕跡を探すように、千代は屋敷を歩き回った。

 すると、廊下を曲がった先で「あっ」と、千代を見てひとりの女中がいかにも『しまった』といった声を漏らした。


「こんにちは、サエさん……って名前はきっと違うのよね」


 先日までナリの友人だったサエだった。

 彼女は申し訳なさそうに目を伏せると、本当の名前を名乗った。


「さ……紗江子と……申します」

「紗江子さん、良かった。頬の腫れは治ったのね」


 彼女の赤く腫れていた左頬は、今はもう右頬と同じようにすっきりとしている。細面で、華奢な印象がある顔で、あの腫れはよく目立っていた。よく腫れた顔で出歩いたなと感心したほどだ。

 ナリの話によると、階段で転んでできた怪我らしいが、千代にはそれが嘘だと分かる。清須川家は平屋で階段などないのだから。


 おそらく、茜が犯人だろう。ナリに近付いたのだとて、嘘を吹き込もうとしていたのだとて、サエ――紗江子がひとりで考えてやったとは思えない。どちらも、自分を憎む茜の命令だと容易に想像できた。

 この家で、茜に逆らえるものなどいないのだし。


「も……っ申し訳ございません、千代様」


 紗江子は何度も何度も申し訳ございませんと、目を潤ませ震え声で言い続けていた。


「あ、あの、今日はどうして……やはり、私がしでかした罪を旦那様へ報告に……っ」

「そんなことしないから安心して」


 ビクビクした様子からあ、同い年くらいだろうにひどく幼く見える。

 千代の言葉に、紗江子は顔を上げて首を傾げた。


「では、直接罰を与えに来られたのでしょうか」


「それもしないわよ」と、千代は手を伸ばして、紗江子の左頬に触れた。

 一瞬、ビクッと身体を強張らせていたが、叩くためでなくただ柔らかく触れるためだけに伸ばされたのだとわかれば、彼女は肩から力を抜いた。


「あんなに腫れて……痛かったでしょうに」

「千代様がお屋敷におられた頃は、関わる機会もなかったですが……とてもお優しい方なんですね」


 紗江子は頬を緩めて、子供のようにふにゃりと笑った。

 これはまた、ナリと違った方向で素直な娘だ。

 きっと、今までも茜に理不尽なことをされてきたのだろうが、他の女中にも相談できず、ずっとひとりで頑張ってきたのだろう。気付いたところで、おそらくは他の女中も見て見ぬふりだったとは思うが。

 自分が清須川家にいた時に、もっと積極的に関わっていればと後悔が募る。


「実は、茜の生まれについてお父様に聞きに来たのよ。当てが外れたけど……。そうだ、紗江子さんは茜とは関係が長いんでしょう? 彼女の母親について何か知らないかしら? どこに住んでるだとか誰だとか」

「申し訳ございません、そのような話は茜様とは……」


 やはり、茜が誰かに話すわけがないか。


「いいのよ、気にしないで」


 これ以上、清須川家にいてもお互い気まずい思いをするだけだし、千代はその場を立ち去ろうとしたのだが、「もしかしたら」という、紗江子の呟きに足を止める。


「何か思い出したの?」

「あ、えっと、直接私が何かを知っているわけではないんですが……私が入ってくる直前に辞めさせられた女中なら何か知っているのではと思った次第です。その方は女中頭でしたが、茜様の不興を買って辞めさせられたと。だから、あんたは茜様には気を付けろと、よく先輩方から強く言われていたもので」


 千代は息をのんだ。


 その女中頭とは、母の女中のことだ。




面白い、続きが読みたいと思ってくだされば、ブクマや下部から★をつけていただけるととても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
もうちょっと父親突っついてもよかったんじゃないかなぁ。別に何も知らないってわけでもなさそうだし、アテ外れと合点するには早かったような。
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