千代の新たな婚約者
青年の黒曜石のような透明感のある瞳が、千代をまっすぐに捉えていた。
目が合い、思わず千代は頬が熱くなる。彫像のように顔が整いすぎていて冷淡な印象すら受けるが、今、自分に向けられる瞳は、なぜだか火傷しそうなほど熱烈に見えた。
「じゃあ、千代さんもいいかな?」
六角の言葉に我に返り、慌てて頭を下げる。
「も、もちろんです。こちらこそ私でよろしければ……えっと……」
そういえば、まだ自己紹介すらしていなかった。勝手に名前を呼んでいいものかと、チラと顔を上げて彼を伺えば、フッと目元で笑われた。
(わっ……)
ほんの僅かな笑みではあったが、陽だまりのような柔らかな笑みに、目がチカチカした。
「一乗雪人です。どうぞ雪人と……」
「き、清須川千代と申します。ふつつか者ではございますが、一乗家のために尽くしてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。ゆ……雪人様」
ゴホッ、と向かいから咳き込む音が聞こえた。
顔を上げれば、雪人が口元を押さえて咳き込んでいた。体調が悪いのかと心配になったが、彼はすぐになんでもないように背筋をピンと伸ばして、隣を視線で示した。
「それと、私の隣に座っている者ですが、父の秘書で、古くから公私ともに一乗家に仕えてくれている者です。本日は父が病気のために訪ねることができませんでしたので、私だけでは失礼になるかと、父の代理として同伴させました」
青年――雪人が隣に座る者を紹介すると、老齢の男は「実富と申します」と静かな声で言うと深々と頭を下げた。
そこで、先ほどから黙していた父が「それで」と、不機嫌な声を出す。
「結納の品が見当たらないのですが……。まさか、そちらもご自宅に置いてきたわけでは?」
そうだ。そもそも今日は結納のために集まったのだった。だとしても、父の傲岸な言い方には申し訳なく思う。
すると、雪人が「ご安心ください」と言って立ち上がり、彼の後ろにある隣の間へと続く襖に手を掛けた。開いた襖の向こうには、煌びやかで豪勢な結納品の数々が並んでいた。
「こちらの部屋には入りきらないと思いましたので」
平然として述べる雪人とは反対に、清須川家の面々は、口をポカンと開けて言葉を失っていた。
◆
その後、清須川家からも食事が振る舞われ、結納が終わる頃には日が傾きはじめていた。
「では、三ヶ月後の祝言で」
「はい。お気を付けて」
清須川の三人は、屋敷の玄関前で雪人と実富の見送りをする。門扉の奥の道には、馬車ではなく車が停まっていた。高価すぎて、横濱の街でも乗っている人は僅かだというのに。
「雪人さまっ」
一乗の二人が背を向けると、父親はすぐに屋敷へと入った。遠ざかる雪人の背を見送るのは千代と茜だけとなっていたが、突如、茜がタタッと雪人の元へと駆け寄った。
茜は、雪人を腕に抱きつくようにして止めた。
そして、踵を上げて雪人の耳に口を寄せる。
「実はこの縁談、本当なら私が受けるはずだったんですよ」
雪人の瞳が、目の端を滑り肩口で微笑んでいる茜へと向けられた。しかし、その瞳は夕陽に照らされているというのに、井戸の底のように暗く冷たい。
思わず、茜の笑顔が引きつった。が、すぐに彼女はさらに濃い笑みを顔に貼りつける。
「もしかしたら、私と雪人さまが夫婦になっていたのかもと思うと、とても残念ですわ」
「そうですか」
「姉のことで何かありましたら、いつでも相談してくださいね。私、姉とはとっても仲良しでなんでも知ってますから」
雪人は「覚えておきます」と言いながら、やんわりと茜の腕を解く。
「失礼、運転手が待っていますので」
そして振り返ることもなく、さっさと車に乗って行ってしまった。
「…………」
「茜、どうしたの? 雪人様に何か?」
そこへやって来た千代が、茜の肩に手を置く。
「ん? お姉さまをよろしくって言ってたの!」
ちょっと揶揄うような笑顔で振り向いた茜に、千代は「もうっ」と嬉しそうに眉を垂らしていた。
「さあ、中に入りましょう。風が冷たくなってきたわよ」
「ありがとう、お姉さまは先に入ってて。もう少し夕陽を眺めたらすぐ行くから」
「そう、身体を冷やさないようにね」
「うんっ」




