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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第六章 陰徳あれば陽報あり

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苦あれば楽あり

『あたしが、どれだけ勤め先が好きか知ってるよね。あたしが、奥様のことどれだけ好きかも知ってるよね。そんなあたしに、よくも嘘とはいえくだらない話の相槌を打たせたわね』

『……っご、めんね』


 右頬に触れながら、サエが弱々しい謝罪を述べる。はらりと頬に涙が落ちる。

 髪に隠れて気付かなかったが、よく見れば彼女の左頬は丸く腫れている。ナリが打ったほうではない。それに、先ほどの力ではああはならない。ナリの利き手は右手だ。

 サエは堰が切れたようにボロボロと涙を流していた。ナリはそこでやっとサエから手を離し、『行きましょう』と言って、千代の手を強引に掴んだ。


『もう二度とあたしに話しかけないで!』

『――ッナリちゃん!』


 ナリは一度も振り向かなかったが、手を引っ張られながらチラッと振り向いた千代は、子供のように佇んだままのサエが『ごめんね』と言うのを聞いた。





 きっと、いや……間違いなく茜の指示だろう。

 サエと直接の関わりはない。確か、清須川家の女中になって三年やそこらだろう。離れ暮らしでも、やはり外に出ることはあり、その時に時々見ていたかと思う。内気そうで、黙々と一生懸命仕事をやっていた印象がある。

 そんな者が、清須川家で権勢を振るっている茜に逆らえるはずもない。


「本当……私って疫病神よ」


 あの日からナリは笑わなくなった。自分のせいで、という申し訳なさが止まらない。

 すると、コンコンと私室の扉がノックされる。


「奥様、お手紙が届いてます」


 ナリの声だった。

「いいわよ」と入室を許可すると、陰鬱そうな顔をしたナリが入ってきた。手にしていた手紙を渡される。いつもであれば「奥様、誰からのお手紙ですか。もしかして、恋文?」とか冗談を言ってくるのに、やはり今日も彼女は静かだった。


 まるで清須川家の女中のようだ。

 女中と主人。間に大きな川が流れ、絶対に互いに近付かない。そんなよくある主従のように。


「ねえ、ナリさん。もう気にしないで」


 と、言うのは何度目か。


「でも、あたしのせいで、一乗家のことを妹さんに知られて……っ」


 今回の件で、ナリを含めた女中達に、茜との確執や一乗家に嫁ぐことになった経緯をすべて話した。姉妹の問題にナリを巻き込んでしまったからには、話さなければならないだろう。桂子とミツヨも同じ被害に遭わないとも限らないし。

 話すことには、善路も雪人も同意してくれた。

 まさか、そこまでして一乗――千代の内情を探ろうとしてくるとはと、二人とも言葉を失っていた。そして、事象をすべて知った女中達も、同じように唖然とした後、烈火の如く怒っていた。


「知られたっていっても、知られても良いことばかりだったじゃない。ナリさんが話さなくとも、少し調べれば誰でもわかるようなことばかりだわ」


 雪人が日夜忙しそうにしていることなど、社員に聞いてもわかるだろうし、関係先から人伝いで知られてもおかしくない。


「それに、私嬉しかったのよ」

「嬉しい……ですか?」

「だって、きっとひどい噂を色々聞いたでしょうに、それが私のことだってわかっても、ナリさんは少しも私を疑わなかったじゃない。サエさんは私のことを『婚家でまだ猫被ってる』って言ってたって聞いたけど、あなたはちっとも私を疑わなかったわ」


 信頼してくれてるんだなと、不謹慎ながらとても嬉しかったのを覚えている。


「そ、それはだって……奥様を毎日見てれば、誰だってわかることで……」

「うん。わかってくれるほど、私のことを毎日気に掛けてくれてありがとう」


「奥様ったら」と、ナリの表情がやっと緩んだ。

 千代はパチンと手を叩いた。


「はい! じゃあ、もうウジウジ気にするのはここまでね。元気になってくれないなら、私もナリさんと同じ顔して過ごすことにするわ。同い年だし」

「ふはっ! 同じ年だしって……歳とか絶対関係ないじゃないですか」

「あるわよ……多分」


 ナリが腹を抱えてあははと大きな声で笑うのを、千代は目尻を細めて眺めていた。

 どうやら、それで彼女の中にあったわだかまりも解けたようで、笑いを収めた後は元のナリの空気を纏っていた。


「さて、じゃあ同い年のナリさんが持ってきてくれた手紙でも見ようかしら――って、あら。結構あるのね、珍しい」

「誰からですか?」


 千代が手紙の差出人を確認していくのを、ナリが横からひょこっと覗き込んでくる。ちょっと笑ってしまった。


「レオン先生に……えっと、東……東郷屋伯爵!? それにまあっ!」


 なんと、手紙の差出人はすべて千代が先日手紙を送った者達だった。


「うっわ! これ全部華族の方々ですか!? すっご」

「ぜ、全部ではないけど……」


 そのひとつひとつに、千代は急いで目を通していく。

 どれも、千代からの手紙を喜ぶような内容だった。中には、会えて嬉しかったというような言葉が添えられており、あれほど嫌な記憶だった舞踏会が、一気に輝かしい記憶へと変わる。


「嘘……っ!」

「どうされたんですか!?」


 そして、どこから聞いたのだろうか。いや、あれだけ多くの者が集まっていた舞踏会だ。雪人も懸命に出席者と交流を深めていたのだし、話もすぐに伝わるのだろう。

 いくつかの手紙には、千代の婚家であれば、一乗汽船への融資の件も考えてみたいという前向きな言葉が書かれていた。


「融資……してもらえるかもしれない!」

「うそっ! 本当ですか!」


 千代とナリは顔を見合わせ、「良かった!」と抱きしめ合った。




        ◆



 

 帰ってきた雪人に手紙の件を伝えると、彼は手にしていた上着をぼとりと自室の床に落として、眦が裂けんばかりに目を見開いていた。


「それは……本当か……」

「はいっ」


 千代は袂から融資について書かれてあるいくつかの手紙を取り出し、雪人に渡した。

 彼は、まるで濁流にのまれながらも、やっと流れてきた藁を掴んだ者のように、しっかりとした手つきで手紙を受け取った。丁寧な仕草でひとつひとつ内容を確認していく。

 次第に、彼の疲れが滲んだ目に光りが灯りはじめた次の瞬間。


「千代、ありがとう!」


 ガバッと勢いよく雪人に抱き締められた。



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