気持ち悪い
「ねえ、お義兄さま。私でしたら、お義兄さまの力になれると思いますよ」
「あなたが俺の? ハッ、それはあり得ない」
「そうかしら。私なら二井家と直接の繋がりもありますし、融資をしていただけそうな華族の方をご紹介できると思いますが。ふふ、皆さん、私のことを気に入ってくださって。そうですねえ……土井侯爵さまとかいかがです?」
「土井侯爵……!?」
土井侯爵といえば、貴族院の中枢に在籍し、国力増強となる分野には積極的に投資を行っている者だ。商業人の中にも彼に投資を願う者は多く、会社を大きくさせる一番の近道だと、密かに噂されている。
「具合が悪いと晩餐だけで帰られてしまいましたが、いつでも連絡をお取りできますよ」
二井家繋がりかと思ったが、彼女の口ぶりだと彼女が個人的に土井侯爵と繋がっていると感じられた。
(どうして、彼女が……)
清須川家の事業に携わっているわけでも、以前より社交を重ねていた様子もないのに。
雪人は、土井侯爵と話をできる機会が、喉から手が出そうになるほどほしかった。
しかし――。
「結構だ。こちらにも当てはあるのでね」
実際、当てなどないのだが、彼女にだけは借りを作りたくない。
「あら、残念」と、茜は腕を掴んでいた手を離し、ドレスの裾を翻しながら離れていく。
「でも、私はお義兄さまならいつでも受け入れますから。無駄な意地を張らず、路頭に迷う前にいらしてくださいね」
実に不吉なことを言う。
「では、皆様との交流を楽しんでらして」
そのまま彼女はホール扉の向こうへと消えた。
雪人はしばらく閉じた扉を眺めていたのだが、ハッとして本来の目的を思い出す。
そうだ、千代を探さなければ。
こうして茜に捕まっていた間にホールに戻ってきているかと思いきや、見回してもやはり彼女の姿はない。
(いくらなんでも、遅すぎやしないか……?)
いくら休憩に出たからといって、これほど長時間、社交の場を離れるような娘ではない。
そういえば、勇一郎も先ほどホールを出て行った。そして、今さっきは茜も。
嫌な予感がした。
雪人は足早にホールを飛び出した。
「どっちだ……っ」
廊下は左右に伸びており、千代がどちらに行ったのかわからなかった――のだが、左を見れば、先ほどホールを出て行った茜が、並んだ部屋ひとつひとつの扉に聞き耳を立てていた。
考えるより先に足が動いた。
次の瞬間、茜の顔が『見つけた』とばかりに嬉しそうに輝き、ドアノブに手が伸びた。
「雪人さん」と、千代の声が聞こえた気がして、雪人は迷わずに茜からドアノブを奪った。
◆
勇一郎に強引に部屋に押し込められた千代は、入り口近くに置かれてあるテーブルに押さえつけられていた。
「嫌っ!」
使用予定のない部屋なのか、明かりは点いておらず、明るさといえば窓から射し込む月明かりのみ。薄光に彼の顔が濃い陰影を持って浮かび上がる。
勇一郎は見たこともない顔をしていた。鼻の穴は広がり、薄ら笑いを浮かべた口からはハァハァと犬のような息が漏れている。
「茜に聞いたぞ。あんな平民に嫁がされて、後悔しているんだってな」
「なんの……っことです……」
下半身に乗られ、息をするのすら苦しい。
「義父にもこき使われているそうじゃないか。ははっ! 絵に描いたような愛のない政略結婚なんだってな!」
意味がわからない。茜に聞いたと言っているが、彼女は彼になんと伝えたのか。
愛のない政略結婚相手だったのは、むしろ彼だというのに。
「可哀想だから身体くらいは満たしてやるよ」
「――っやめ! ゆ、いちろ、さま……っ」
「こんな破廉恥な格好をして……!」
千代は勇一郎の自由にはさせまいと、頭がクラクラする中でも腕に力を入れ続けた。
幸いにも、勇一郎も相当酒が入っていて力が上手く入れられないようで、右手は掴まれてしまったが、左手を突っ張り、完全に覆い被さられないよう抵抗することができていた。
「暴れるなよ、それともそういうのが好みか?」
怖気が走った。
やに下がった顔の勇一郎の手が胸元の編み上げ紐を掴んで、力任せに引っ張った。紐が解けたことで、胸元に寄せられていた布が一気に緩やかになる。しっかりと肌に沿っていた布が広がってしまい、ただでさえ大きく開いていた胸元が、谷間まで露わになる。
「いやっ!」
慌てて左手で胸元を押さえようとしたのだが、押し返していた勇一郎の身体から手が離れた瞬間、勇一郎の手に捕まってしまった。右手同様にテーブルに縫い留められる。
「……うっ」
勇一郎の顔が胸元に落ちてきて、千代は顔を背けた。彼は首筋から鎖骨辺りの肌を堪能するように何度も往復して頬ずりし、次第にはだけた胸元へと下りていく。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
この男が、自分の元結婚相手だと思いたくはなかった。彼の触れた場所が気持ち悪くて仕方ない。雪人と肌を重ねた時は、少しもこんな感情にはならなかったというのに。
逃げたかったが、酒に酔って力が弱ってはいてもそこは男だ。
下半身にかかる勇一郎の身体の重みで、千代は身動きがとれなかった。
嫌だ。嫌だ……っ。
これ以上、好き勝手されたくない。
千代は瞼をギュッと閉じて、震える口を開いて声を限りに叫んだ。
「――っ雪人さん!」
同時に爆ぜたような音がして、部屋の扉が勢いよく開いた。
勇一郎も千代も、驚愕に目を丸くして扉のほうへと視線を向けた。
「千代ッ!」
勇一郎の後ろに扉があり、彼の身体でよくは見えなかったが、聞こえた声を間違えるはずがない。




