妹は何者だ
まだ女学生だと思って甘く見ていたが、やはり並みの女以上の胆力を持っている。となると、やはり彼女はただの馬鹿というわけではなく、姉の婚約者を奪いとる狡猾な妹というのが正解だと思われた。
『責任』という言葉を聞いて顔色を変えた茜に、忠臣がわざとらしく顎を撫でながら考える素振りをする。
「うーん、責任って言っても君はまだ学生ですからね。実際には君のお父さんにとってもらうことになるでしょうし……いや、それよりもまず一乗の名誉回復が先で、新聞にでも謝罪文を載せてもらいます? ねえ、社長」
茜の顔が俯いた。
「ああ、そういえば横濱毎日新聞に知り合いがいたな」
とは言いつつも、雪人にはそこまでするつもりなどなかった。
「だが、君がここで素直に罪を認めて謝罪し、今後千代には関わらないと誓うのなら、このことは穏便に済ませるつもりだが」
一応相手は女学生で、横濱ではまだ影響力のある清須川家の令嬢だ。
これくらい脅しておけば、二度と同じ真似はしないだろう。
――そう思っていた。
顔を上げた茜が、血色の良い顔で綺麗に笑うまでは。
◆
「まあっ、雪人さん。どうされたんですか、忘れ物ですか?」
千代は、朝、用事があるから出て来ると言って出ていった雪人が、まさか昼前には帰ってくるとは思わず、目を丸くして迎えた。休日なのにスーツを着ていったから、てっきり仕事関係だろうと思っていたのだが。
「いや、思ったよりも早く用事が済んでね……」
「そうだったんですね。お疲れ様です」と、千代は雪人の鞄を受け取り、二階の私室へと向かう雪人の後をついていく。
雪人はスーツを脱ぐとソファにどっしりと腰を落とし、首元を緩め、天井に疲れたため息を吐いていた。いつもは丁寧な振る舞いをする雪人が、雑に首元を広げている姿を見て少しドキッとする。慌てて視線を外す。
(……それにしても、いつもより疲労の色が濃い気がするわ)
気になって、再び彼に視線を戻せば、ちょうど彼もこちらを向いていて小さく手招きされた。自分が座る隣をポンポンと叩いており、どうやら座れということらしい。
千代は、気恥ずかしさの滲むちょこちょことした足取りで、雪人の隣に座った。
改めて彼の隣にいると、まだ緊張してしまう。
「千代、君に聞きたいことがあるんだが」
「え、はい。なんでしょうか」
「君の妹についてだが」
「茜のこと、ですか」
一瞬、『もしかして、彼も茜の可愛さに惹かれてしまったのだろうか』と固唾をのんでしまったが、彼の顔にそのような甘い色はなく安心した。
だとすると、彼はどうして茜のことを知りたいのだろうか。
感情が顔に出ていたのか、彼はこちらが口を開く前に理由を口にした。
「この間会った時も思ったんだが、姉妹なのに似てないなって」
なんだ、と苦笑が漏れた。昔からよく聞かれたことだ。
「ですよね。実はあの子は、義理の妹で血は半分しか繋がってないんですよ」
「義理?」
「ある日、父がいきなりあの子を妹だって家に連れてきて……よくある話です」
それだけで、雪人は茜が『妾の子』だと理解してくれたのだろう。
「上流階級では、そのようなことがあると聞いたこともあったが、本当にあるんだな」と目を瞬かせていた。
その反応から、彼は妾を持とうという考えがないことが窺え、千代は心の中でほっと胸をなで下ろした。夫が妾をもっても妻は否定できない。もし、雪人が妾をもったらと思うと、胸がモヤモヤするのだ。
「私が十二で、妹は八つの頃でした」
「ちなみに、彼女の本当の母親は今は?」
「それが、私もわからないんです。父に聞いても余計なことだと怒られ、母はもしかしたら何か知っていたのかもしれませんが、最期まで何も言いませんでした。それに、茜も知らないって言いますし」
妾の相手としてよくあるのが、身分違いの者だ。
結婚とは、個人ではなく家の結びつきである。
千代の母親も士族だった。そういった場合、父が母よりも下の家格や身分の者を愛しても、結婚するのはほぼ不可能だ。だから、男は家同士の結婚のために迎えた妻とは別に、本当に愛する者を妾とするのだ。
妻は妾に気付いていても、公に責めることは許されない。
それは家庭を壊すことになり、家の秩序を守るという妻の役目に反する行いだとして、批難されるものだった。
「なるほど、義理の妹ね」と言って、雪人は難しい顔をして黙り込んだ。
何か思うところでもあったのだろうか。
「何か、茜とありましたか。そういえば先日、茜から話があると言われたとかなんとか……」
雪人はチラと目の端で千代を見ると、ぐぐっと眉間に皺を寄せさらに難しい顔をして唸った。そうして、彼の視線が思考の迷いを表すように、上下左右に満遍なく振られると、やっと彼は重たそうに口を開いた。
「実は今日、話を聞きに行ってきたんだ」
「ああ、だから帰宅が早かったんですね。茜とはどんな話を?」
「君に関する不名誉な噂についてだが……」
あ、と千代は気まずそうに視線を下げたのだが。
「実は……その噂を流していたのは、君の妹だったんだ」
次の瞬間には、弾かれたように勢いよく視線が上がった。
千代は信じられないとでも言うように、大きく目を見開いて瞳を揺らす。
「あ、かね、が……私のあの噂を……」
どういうことだろうか。
つい先日、会いたかったと訪ねてきたばかりだと思うのだが。
「まさか」と口にして、しかし千代は『いや』と思い直した。
雪人の嘘だろうかとも一瞬思ったが、反面、どこか腑に落ちたような感覚もあった。
よく考えれば、彼女は昔からこちらの心を刺すようなことを言うことがあった。今までは、それは素直さ故のものだろうと思っていたが……いや、そう思おうとしていたのだ。ただの可愛い妹だと思おうとしていたのだと思う。
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