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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第四章 本性

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尻尾を出した雌狐

「ただの女学生の君が、どうしてチヨという女性の噂を、そんなに詳しく知っているんですか」


 予想していなかった方向の質問だったらしく、先ほどまで窓から射し込む朝日のようにキラキラと輝いていた表情は、窓ガラスにヒビが入る速さで、一瞬にして笑顔が消え失せた。


「それ以前に、なぜ君は、噂のチヨが自分の姉だと思ったんですか。まるで、断定するような口ぶりでしたが」

「そ、それは女性が、清須川の千代って名乗って――」

「話では、その彼女は名字は名乗らないそうですよ。聞いても下の名前だけだと」

「そ、そうなんですねぇ……あっ、思い出しました。勇一郎さまがそう言ってたんですよ」

「へえ……元婚約者であり現婚約者の姉の醜聞を広めて回るとは、同じ男として二井様の行動は理解できませんね」

「……っ」


 言外に、姉の醜聞を広める茜の行動もあり得ないと言ったのだが、彼女の引きつった目元を見る限り、どうやら正しく伝わったようだ。


(それにしても、本当に俺に噂の話を言ってくるとはな)


 先日、千代と一緒に会社に来た時の様子は、端から見ると仲の良い姉妹にしか見えなかった。


(まあ、違和感はあったがな)


 しかし、社員達は皆、彼女をただの姉思いの美しい妹としか認識していなかった。そう思わせるように振る舞っていただけということが、今日のこの件ではっきりとした。


「わ、私……そんなつもりなどなくて……っ、ただ、お義兄さまのためを思って……」


 この、目を潤ませ、ただでさえ華奢な肩をさらにすぼめて俯く姿を、いたわしいと思ってしまう男もいるのだろう。自分はまったくそうは思わないが。

 雪人は薄いため息と一緒に「そうですか」と言った時、喫茶店にちょうどひとりの男が入ってきた。

 男はキョロキョロしながら喫茶店の中を進み、雪人と目が合うと足を止めた。


「あっれ~、仕事さぼってこんな美人とお茶だなんて羨ましいですねえ」

「さぼってないから、あっちへ行ってろ」


 雪人と男の気安い会話に、茜の視線が上がった。

 次の瞬間――。


「ああ、なんだ。久しぶりですね、こんにちは」


 たちまち、茜の顔色に動揺の色が浮かんだ。


「こ、こんにちは」

「あれ、自分のこと覚えてません? ほら、この間会ったじゃないですか」


 茜のぎこちない笑みに、男は思い出してとばかりに己を指さして、茜に迫っていた。


「名前覚えてませんか? 自己紹介したと思うんですけど」

「あっ、えっと……」

「すみません。この男は俺の部下なんです。この間、会社でも会ったかと」


 戸惑う茜に、雪人が助け船とばかりに口を挟む。

 そこで、やっと茜は思い出したと言わんばかりに「ああっ」と手を叩いて、表情をいつもの明るい少女のものへと変えた。


「そ、そういえば、この間会社でお会いしましたよね」


 にっこりと男が笑う。


「もちろん覚えてますよ、()()()さま」


 茜は安堵したのか、元の人好きのしそうな笑みを浮かべながら、男の名前を口にした。

 同時に、雪人は小さくふっと鼻で笑った。


 引っ掛かってくれてありがとうとばかりに。


「茜さん……この男の名前は、瀬古忠臣と言いましてね」


「え」と茜の笑顔が凍り付く。


「自分がそのナルミっていう名前を名乗ったのは、たった一度だけなんですよ。夜の喫茶ブルーエで、チヨって名乗る綺麗で化粧が分厚い女の人にだけで……」


 ね、と男――忠臣は茜の顔を覗き込むように腰を曲げた。


「ああ、ちなみに社長は嘘は言ってないですよ。確かに会社で自分はあなたと会いましたからね……会社の入り口で、ですけど」

「だ、騙したんですか!」

「騙してませんって。あなたはなんだか知らないけど、ものすごい形相で足早に会社を出ていって気付かなかっただけで、自分はあなたを認識してましたから。会ったのは事実です」

「そんなの……っ」


 口惜しそうにする茜に、忠臣は人好きのしそうな笑みを浮かべて言った。


「女の化粧と嘘は、厚すぎると可愛くないですよ」


 二人のやり取りを見ながら、雪人は卓に両肘をついて指先を組んだ。

 彼のその動きは丁寧とも緩慢ともいえるもので、間をもたせることで茜を威圧しているようでもある。


「君が噂の『チヨ』だな?」


 雪人の言葉に、茜の口端が引きつった。


「どうして姉の千代に対して、こんなことをしたんだ」


 雪人の態度から、義妹に対する遠慮が消える。代わりに、その声には、耳にした者の背筋が寒くなるような冷え冷えとした険が混ざっていた。


 茜が姉を貶めて得することなど、ほぼないはずだ。

 姉の評判が下がれば、清須川家や自分への目も厳しくなるというのに。それでも、実行したということは、考えられることとしては、姉の婚約者であった二井勇一郎を手に入れるためだろう。


(もしくは、本当にただの考えなしの馬鹿かだが……)


「君がやったことは、千代を愚弄するだけでなく、一乗家の評判すら落としかねない行為だ。当然、この件の責任はとってもらうぞ」

「せ……責任って」


 茜は顔を青くしつつも、まだ笑顔を取り繕おうと口角を上げようとしていた。




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