お似合いは私……のはずなのに
もしかして一乗の義父に千代の噂のことを聞いて、疑念が生じたのかもしれない。だとすると、千代に対して優しく見えたのは、疑っていることを怪しまれないための演技だったとも考えられる。
(そういえば、勇一郎もあたしに好意を寄せながら、しばらくはお姉さまの婚約者を演じていたわけだし……あり得るわ)
であれば、この機会は逃せない。
「ええ、もちろんです。お義兄さま」
雪人は懐から小さな手帳を取り出すと、間に挟まっていたペンでサラサラとメモをした。そして、そのページをビリッと破り、茜に渡す。
「まだ学生さんでしたよね。でしたら、次の日曜日に、この時間に伊勢佐木町にあるここに来てください」
チラッとメモに視線を落とせば、時間と伊勢佐木町にある喫茶店の名前が書かれていた。
偶然か……この喫茶店のことはとてもよく知っている。
「では、気を付けて」
そう言って、雪人と千代は勇一郎が去った方とは反対側へと去って行った。
残された茜はメモをじっと眺め、そして片口をつり上げるとぐしゃりと握りつぶした。
「……飛んで火に入る夏の虫とはよく言ったもんだわ」
ワンピースが似合うのも雪人に似合っているのも、千代ではなく自分だ。
◆
そうして約束の日――。
「ねえ、紗江子。雪人さまはどっちが好きだと思う?」
茜は傍らにいる女中の紗江子に、鏡の中から目を向けた。
茜は今、鏡の前で右手と左手に持った着物を、交互に身体に合わせていた。その顔は勇一郎が訪ねてくる時よりも楽しそうだ。
「ゆ、勇一郎様と出掛けるのでは……?」
「違うわよぅ、雪人さまよ。勇一郎さま相手に着るものなんて悩まないわよ」
勇一郎は何を着ても可愛いしか言わないのだし。
(本当、つまんない男……)
まあまあの顔と華族と金がなければ、選ばなかった男だ。
(そういえば、二井家が土地を売ったって本当なのかしら……)
金に困っているのか。
しかし、本当に困っているのであっても、今回土地を売ったことでそれも解決しただろう。それに、本当に金がなければ清須川家が貸せば良いのだし。
どうせ、父も華族との繋がりがほしくて、二井家との結婚を進めたのだろう。であれば、二井家が没落せぬよう、融通するに決まっている。
それよりも今は雪人だった。
「やっぱり、少し派手なくらいが良いわよね。毎日地味なお姉さまを見ているんだし、女っぽい格好のほうがドキッとするわよ……ってことで、こっちね」
茜は紗江子の返答を待たず、自分で着物を選んだ。
着ないほうの着物はポイッと床に投げ、それを紗江子が拾い片付ける。
「ああ、紗江子。そういえば、ちゃんと一乗家の侍女とは繋がってるんでしょうね?」
「は、はい……時々、買い物で会うようにちゃんと……」
「そう。じゃあ、ちゃんと自分が勤めている家の姉は最悪だったって愚痴を言うのよ~。あんたが清須川家の女中だってことは、まだ明かさなくていいから。仲を深めて信用された時に打ち明けたほうが効果的だし」
「わかり……ました……」
紗江子がつらそうに視線を床に落としているのなど気づきもせず、茜は手にした着物を身体に当ててクルリと軽やかに回った。
「ふふっ、あ~楽しみ」
雪人と並んで歩く姿を想像する。道行く人達が振り返るお似合いの美男美女だ。
きっと雪人も、自分を隣に置くほうが気持ちいいことに気付くはずだ。
そうして、茜は流行りの束髪くづしに結い、香水をふり、化粧も濃いめに仕上げて待ち合わせ場所の『喫茶ブルーエ』を訪ねた。
しかし、そこで雪人に告げられた言葉は、茜が想像していた甘いものではなかった。
「――え?」
茜は、雪人相手に作っていた極上の笑顔を凍り付かせた。
「君が噂の『チヨ』だね?」
雪人ともうひとりの男の冷めた視線が、否定すら許さないとばかりに身体に突き刺さる。
(なんで……なんでこんなことに……っ!)
勇一郎ですら自分を疑ったことなどないのに。自分の手に掛かれば、男などどうとでもできた。好きなように操れた。
なのに、どうしてこの男は自分の思い通りに動かないのか。すべてにおいて姉よりも自分のほうが秀でているというのに。絶対に、雪人には自分のほうが相応しいのに。
茜は雪人の隣に立って、余裕の笑みで見下ろしてくる青年を睨み上げた。
(まさか、ここまでしてくるだなんて……っ)
茜は卓の下で拳を握りしめた。
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