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一乗家のかわいい花嫁〜ご実家の皆様、私は家族ではないんですよね?〜  作者: 巻村 螢
第三章 姉と妹

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天と地

 近付いた距離を、雪人が空いたもう片方の手を千代の後頭部に回し、さらに縮める。


『千代……っ』


 雪人の熱を帯びた掠れ声に、千代は瞼を閉じ、唇に重なる熱を自ら受け入れた。


『ん……っ』


 不意打ちの口づけよりも長く、一旦離れても、惹かれ合うようにどちらからともなく再び唇を重ねた。

 そうして幾度かそれを繰り返し、やっと二人は顔を離した。


『千代』と雪人に呼ばれ、上げた千代の顔は目がとろんと溶けて、『はい』と返事する声までふやけている。

 雪人は千代の頬を撫でた。


『この仕事が終わったら、二人で出掛けようか。実は、君と山手教会堂に行きたいと思っていたんだが……』

『山手教会堂といいますと……本町通りのほうですね』

『ああ。実は好きな建築家が手掛けたもので……その……女性はきっと見てもつまらないと思うんだが』


 こんな自信がなさそうに言う雪人ははじめて見た。

 指先を忙しなく擦り合わせているのが本当、なんとも可愛らしい。


『ええ、一緒に行きましょう。雪人さんの好きなものは、私も知りたいですもの』


 パッと雪人の表情が、子供のようにきららかしいものになる。


『ですが、仕事が終わってからですと少し遅いかも……閉まっている可能性もありますよ』

『ああ、そうか……』

『また別の日に行きましょう。教会は逃げませんもの』


 ふはっ、と雪人は眉尻を下げてたまらないと言うように笑った。


『そうだな。じゃあ、今日は夕飯だけだ。元町に美味しい洋食屋があるって、臣に教えてもらったんだよ』


 こうして、千代と雪人は夕方から元町へと出掛け、美味しい洋食屋――「レストラン・ベリーニ」で夕食を終えて店を出た先で茜と勇一郎に遭遇したのだった。




        ◆




「お姉さま、どうしてこんなところに……それにその格好は……」


 茜はチラと店の看板を見た後、千代の全身を上から下まで怪訝な目で眺めた。


「雪人さんが美味しいお店があるからって一緒に……」


 そう話す千代は、清須川家で見たこともないくらい、幸せそうな顔をしている。


「それと、このワンピースはお店に来る前に、雪人さんが街で買ってくれて。その……洋装なんてはじめて着るんだけど、ど、どうかしら?」


 頬を染め、面映ゆそうにしながら隣に立つ雪人をチラチラ見る姿に、茜の心は毛羽立った。くわえて千代を見つめる雪人の目も、この間会社で見た時よりももっと優しいもので、思わず舌打ちしそうになるのを、すんでで止めた。


 千代が愛されるわけがない――そう思っていた。

 容姿も可愛げも家も要領も何もかもすべて、自分のほうが上なのに、どうして雪人は千代をそのような目で見ているのか。

 これではまるで、雪人が千代のことを好きみたいだ。


(あり得ない……っ、お前は愛されて良い人間じゃないんだよ……!)


 雪人も千代の噂のことを知らないから、こんな顔をしていられるのだ。

 身体の横にあった手は、知らぬ間に拳を握っていた。掌に食い込んだ爪の痛みで気付く。


 茜は内心とは反して笑顔を作った。表情と言葉を偽ることなど、自分にとっては容易いことだ。


「ええ、お姉さまとっても似合ってるわ。それに、化粧もしてるのね」

「そ、そうなの。女中さんが、雪人さんと出掛けるのならって……」

「そう……」


 ああ、血反吐が出そうだ。全てが癪に障る。その嬉しそうな顔も、控えめに雪人を見る視線も、自分だけが許されていた洋装姿も、店を出る時からずっと繋がれた手も、何もかも。


「でも、お姉さまにはちょっとけばけばしいんじゃないかしら?」


 茜はいかにも助言ですとばかりの顔で言った。「え」と千代の眉が揺れる。

 自分の言動でもっと不安になればいい、と彼女の次の反応を楽しみにしていたのに、背後から突然割って入る声があった。


「へえ、随分と見られるようになったじゃないか」


 勇一郎だった。

 今まで自分に腕を引っ張られていたというのに、彼はスッと茜の横を通り過ぎ、千代の前に立つと、にやついた顔を近づけてジロジロと全身を観察していた。


「元からそのくらいやってくれていれば良かったものを。そうすれば、僕に振られずに済んだのに」


 勇一郎の指が千代の顎に触れそうになった瞬間、パシンッと肌を打つ音が響いた。


「痛った!」


 雪人が、千代に伸びた勇一郎の手を叩いたのだ。


「何をするんだっ!」

「失礼、私の妻ですので気軽に触れないでいただきたい」

「はあ、妻? 千代は病気の爺さんに嫁いだって話だったが……君こそ誰だよ」


 ああ、忘れていた。勇一郎には、千代の相手が手違いでジジイではなく、本当は息子のほうだったことを伝えていなかった。


(ジジイと結婚するから愉しかったのに、若い、それも見目が良い男と結婚するなんて、わざわざ言いたくなかったのよね)


「千代の夫の一乗雪人です。どうやら、話が伝わる中で少々誤解があったようで……元より彼女の嫁ぎ先は私でしたので、どうぞご心配なさらず」

「はあ!? だ、誰も心配なんかしてないだろっ」


 ああ……面白くない。

 茜は三人の様子を、ただ静かに見つめていた。




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