堅物息子の恋愛事情ほど面白いものはない
「臣は花街にも通っているようですから、俺よりも詳しいでしょうし」
父は「それもそれで男の甲斐性かな」と苦笑していた。
「それで、忠臣君は、妹の茜さんのほうが噂のチヨに雰囲気が似ていると言ったんだな?」
「ええ。もしかしてチヨのふりをして噂を流したのは妹なのでは、と俺と臣は考えているんですが」
姉妹でそのようなことをする意味はわからない。
むしろ、清須川家には不利になるような噂だと思うが。
「もちろん、まったくの他人が千代のふりをしていることも考えられますが。しかし……」
「いや、茜さんであれば納得だ」
常に情報を精査して物事は疑って掛かるという慎重派の父が断言したことに、雪人は軽く息をのんだ。
そう思える何かを、父は知っているのだろうか。
目に感情が表れていたようで、尋ねる前に父は口を開いた。
「今日、彼女が千代さんを訪ねて来ていたんだよ」
「屋敷にですか」
雪人は、そこで千代と茜と父との間でどのようなやり取りがあったか伝えられ、父が断言するのも頷けると思った。
「私の千代さんに対する態度を見て、チヨの噂を知らないと思ったのだろうな。巧みに、姉の境遇を嘆いてやるふりして、私に千代さんが『男遊びをして婚約破棄された下品な女』だということを伝えてきおった」
「は? 婚約破棄? 自分より前に千代と婚約していた男がいたんですか?」
つまり、彼女は自分以外の男の妻になる可能性もあったということか。
鳩尾あたりが不快感でぐらつく。
「ああ。二井子爵家の勇一郎という次男のようだ。だが、その男遊びの噂のせいで、千代さんから茜さんへと婚約者が代わったのだとか」
二井勇一郎、と雪人は口の中で呟いた。
「茜さんに会社で『二人きりで話したいことがある』と言われましたが、もしかしてそんな風に千代を庇うふりして、噂を吹き込むつもりだったのかもしれませんね」
「ははっ! どうせ、お前が千代さんに甘い態度をしていたから、噂を知らないと思われたんだろう。それで、お前は話を聞いたのか?」
「聞くわけないじゃないですか。千代以外の女というだけで興味ないのに、さらに二人きりでなんて言われたら勘弁してくれって話ですよ」
父は文机をバンバンと手で叩きながら、豪快に笑っていた。
そこまで面白い話ではないと思うのだが……。
父はひとしきり笑った後、顎を撫でながら石燈がぽつぽつと灯る庭を見つめていた。
「祝言の時は、茜さんは大人しくしていたからな、気付かなかった。いや、今日も彼女の話を聞いただけでは確信は持てなかったかもしれん」
「え、ではいつ確信を?」
父はクッと片口をつり上げて、おかしそうにクツクツと喉を鳴らした。それは先ほどの笑いよりも幾分か皮肉がこもったものだ。
「盗み聞きするつもりはなかったが、声が漏れてきていたからなあ。入る頃合いを窺っていたんだよ、戸の前で」
父の悪い顔から、雪人は『本当か?』と内心で苦笑した。
「それで、父さんは何を聞いたんですか」
「千代さんはまだ元婚約者に未練があって、平民なんかに嫁いだことをつらく思っているのだろう……と。私の前では笑顔で、内心では平民風情と見下しておったらしい」
「なるほど」
相当ご立腹のようだ。口は笑っているのに目が笑っていない。
父も昔から平民だということで、色々と煮え湯を飲まされてきたから、身分で嘲弄を向けて来る者には容赦をしない。自分も未だに上の身分を持つ相手と仕事をする時、平民だとわかると嘲りを向けられることがある。随分と身分壁が薄くなった今でこれなのだから、父の時代の頃などもっと顕著だったのだろう。
「あれが千代さんの妹……なあ」
ぼそりと呟かれた言葉の意味が、雪人にはよくわかった。
妹なのに、姉とまったく性格が似ていないのはなぜか――ということだろう。
姉妹で顔が似ていないのはよくあることだが、同じ環境で生まれ育ったのに、ここまで正反対の性格や雰囲気になることがあるのだろうか。
「妹は洋装を纏い、姉の箪笥には着物が三枚だけ。おそらく、清須川家では妹のほうが千代よりも可愛がられていたんでしょうね。であれば、妹が実家に残る理由もわかる。ただ、それだと嫉妬で姉が妹を……というのならまだわかるが、なぜ妹が千代を……?」
「犯人の目星はついたんだ。本人に聞けばいいだろう」
「それもそうですね」
これで、彼女を苦しめるものが一つ減る。
「あ、それとひとつ聞きたいことが……」
「ん、なんだ?」
雪人は見上げてくる父の視線から逃げるように、ふいっと顔を逸らす。
「……わ、若い女性が好みそうな物ってなんですか」
次の瞬間、父の哄笑が和館に響き渡った。
◆
夜、千代が寝ようとしていると、戸を叩く音がした。こんな時間に誰だろうか、と思いながら返事をしたら、入ってきたのはなんと雪人だった。
彼は「少し聞きたいことがあるんだ」と言って、ベッドの縁に腰掛けた。布団に入りかけていた千代も慌てて抜け出し、彼の隣に正座する。
(な、何かしら)
彼がこの部屋に来るのは初夜以来だ。
そう思うとなんだか急激に恥ずかしくなってきて、つい寝間着の前をキュッと締めてしまう。




