優しい妹
元より、半分しか血が繋がっていないのだから、当たり前かもしれないが。
(ああ、つまり勇一郎様は最初から茜と結婚したかったのね。そうよね……茜のほうが可愛いもの)
なんの過失もない姉を差し置いて、妹と結婚するわけにはいかない。だから、こちらに罪があるかのように、悪女とか色々とよくわからないことを言っていたのだろう。
茜と目が合った。
ハッとしたように逸らされると一緒に、彼女は勇一郎の胸に顔を埋めていた。そして、華奢な肩をふるわせ、か細い声で「ごめんなさい」と言った。どうやら、茜も彼のことが好きなようだ。
「お姉さまに申し訳が立たないからって、私は何度も断ったんですけど、勇一郎さまからどうしてもって。それに、お父さまも……」
勇一郎の胸から顔を上げた茜が、チラッと廊下の奥へと視線を向けた。
ギッと廊下が軋み、障子の陰から父が姿を現す。
「お、お父様……何かの間違いでしょうか……」
「間違いではない。清須川家は茜と勇一郎君に任せる」
氷塊を丸呑みしたように、胃の底が冷たくなった。
「し、しかし、茜は会社のことは――」
「口を閉じなさい。まったく……親の目を盗んで夜遊びとは。そのような醜聞のある娘に清須川の名を継がせるわけにはいかん」
父は汚れた野良猫を見る時のような、嫌悪の目で自分を見下ろしていた。隣に立つ茜は目に憐憫を浮かべつつも、しっかりと勇一郎の手を握っている。
もうすべて決まったことなのだと理解した。
いきなり婚約者が訪ねてきて、理解できない理由で婚約破棄を言い渡され、その元婚約者は妹の夫になるという。あまりにもあっという間に変わった状況に、こちらとあちらで何か大きな齟齬があるように感じてはいたが、今の千代には冷静にその『何か』を考える余裕はなかった。
「姉よりも先に妹が結婚では外聞が悪い。本当なら、お前のような遊び人をほしがる者などいないはずだが、ちょうど一件縁談話が来ていたところだ。本当は茜に来たような話で、断るつもりだったが……ちょうどいい。千代、代わりにお前が嫁ぐんだ」
「でも、お父さま! あの縁談はいくらなんでも、お姉さまが可哀想です……っ!」
茜が父の着物のを袖を掴んで、考え直すようにと訴えていた。いったい何をそんなに、と思っていれば、次の茜の言葉で、千代は息の仕方を忘れてしまった。
「いくら当主でも、病に伏せった老人の後妻だなんて!」
(老人の……後妻……)
呆然とする千代の耳に、父や茜の会話が右から左に通り抜けていく。
どうにか理解できた部分だけをつなぎ合わせると、相手は一乗家の当主で、彼は一年前に東京から横濱にやってきた実業家だった。しかし最近、年齢のこともあり体調を崩し伏せっていることが増え、人恋しくなり後妻を探していたのだろうという話だ。
元は茜に来ていた縁談話で、父は断るつもりだったと言った。
しかし父は、自分には茜を嫁がせられないと判断した家に嫁げと言う。
わかっていた。
自分が父に愛されていないことなど、とうの昔から気付いていた。
膝の上で拳を握った。掌に食い込む爪の痛みで、どうにか冷静を保つ。
「向こうは新参者で、この地や家のことなど詳しくは知りはしまい。どうせ、我が清須川との繋がりがほしがっている田舎者だ。千代でも問題なかろう」
「むしろ、平民風情が士族の娘を娶れるのですから大喜びでしょう。たとえ、男遊びがひどい娘でも」
父と勇一郎は、クツクツと喉で嗤っていた。
もう、男遊び云々という言葉の意味を聞く気すら起きない。
「お姉さま! いくら高額な結納金を用意してくださってるからって、このような不幸せになる縁談、絶対に受けてはいけませんわ!」
その中で、茜だけが異を唱えてくれていた。
(高額な結納金……)
どのみち拒否などできなかったが、妹の言葉が千代の背中を押した。
「茜、ありがとう。でも、私が家に残ってたんじゃ茜も結婚できないし、せっかくのご縁だから私、このお話を受けるわ」
「お姉さま……っ!」
茜は瞳を潤ませ、ガバッと抱きついてきた。
優しい妹だ。ヒクヒクと声を抑え、小さく背中を跳ねさせている。自分の代わりに泣いてくれているのだろうか。
「大丈夫よ、茜。心配してくれてありがとう」
千代は良い香りのする茜の頭に頬を寄せ、背中を撫でた。
きっとこの子なら、父と勇一郎と助け合いながら、この清須川家をなんとかしていってくれるだろう。




