変な娘
きっと、清須川家も厄介払いにちょうど良いと思ったのだろう。
「なめられたもんだ」
しかし、正直、清須川家との繋がりは喉から手が出るほどほしかった。士族で大会社経営、しかも聞くところによると、華族家と縁者になることが決まっているのだとか。
自分も会社を大きくする上で、身ぎれいなままやってきたわけではない。その中で、やはり人脈がものをいうことが多かった。横濱にはまだ一乗の名は届いていない。だからこそ、横濱の人脈を多く持つ地場の清須川家はうってつけだった。
しかしながら、これは自分ではなく息子の結婚だ。
判断は、雪人に委ねることにした。
おそらく、彼も自分で相手のことくらいは調べているだろう。会社を担う者としては、情報収集は当然のことだ。だから、もし彼が嫌だと言うのなら仕方ないと思っていた。
しかし、雪人は構わないと承諾した。
しかも不思議なことに、承諾の時はどちらかというと仕事のためと割り切った様子だったのだが、結納から帰ってきた後の彼は、聞くのも怖いくらいに興奮した様子だった。
実富になにがあったのか聞いたが、実富も詳しくはわからないと言った。
「例の娘と過去に関係があったようなことを言っていたらしいが……」
まさか、息子も手玉に取られていたのか?
それほど手練手管に長けた女なのかと警戒していたのだが、会ってみたらごくごく普通の娘だった。
「いや、まだ猫を被っているのかもしれんな」
隠居した身だ。息子夫婦の関係に口出しするつもりはないが……もし、一乗家を蝕む毒婦であれば、彼女の処遇も考えなければなるまい。
「はぁ、ミツヨにはもう少し厳しく念押ししておかないとな」と、ぼやいていると、足音が近付いてくるのに気付いた。
ミツヨかと思ったが、声を聞いて違うと悟る。
「お義父様、少しだけ失礼します」
例の娘――千代だ。こちらの返事も聞かず、障子がスッと開いた。
「何をしに戻ってきたんだ」と怒鳴ってやろうかと口を開いたが、障子の隙間から現れたものを見て言葉が引っ込んだ。
隙間からは、千代ではなく千代の手と盆のみが入ってきた。
盆の上には、再び白湯だろうものが淹れられた湯飲みと、白いすりおろし状のものが入った小皿が置かれている。
「咳が辛い時、召し上がってください。白湯と、大根のすりおろしに蜂蜜を混ぜたものです。咳が辛そうだったので勝手ですが作らせていただきました」
「つ、作……?」
彼女は障子の向こうからそう言うと障子を閉め、再び洋館の方へと戻っていった。
善路は、しばらくポツンと床に置かれた盆を見つめていた。
◆
「あの、雪人さん。お義父様は、和館におひとりで寂しくはないのでしょうか」
帰宅した雪人を出迎えた千代は、そのまま一緒に雪人の私室へと入り尋ねた。
「もしくは、人嫌いなのでしょうか」
「父が何か言ったのか」
「いえ、そういうわけではありませんが……きゃっ!」
雪人に背を向け、預かった上着をハンガーに掛けながら答えれば、視界に彼の顔が割り込んできた。思わず驚きに小さな声を上げてしまった。
千代は目をパチパチと瞬かせながら、顔の距離の近さに顔を赤くする。
驚いた顔が面白かったのか、彼は楽しそうにハハッと笑いながら千代の手からハンガーを取ると、代わりに少し背の高い洋服掛けに引っ掛けた。
存外、顔に似合わず彼は人懐こいところがある。
「父が寂しいか……ね。昔からあの人は公私を完璧に分ける人なんだ。会社や……祝言の場なんかじゃ社交的に振る舞ってたように思うだろうが、家では信用した人間しか近づけないんだよ。人嫌いってのともまた少し違うかな。ひとりで会社をここまで興した人だから、色々とあって慎重になってる感じだな」
「だから雪人さんや実富さん、そしてミツヨさんだけなんですね」
「桂子さんとナリさんは、横濱に来てから雇った人達だしな」
嫁いでまだ四日だが、それでも一日中屋敷にいれば内側の動きというのもわかってくる。善路の部屋に食事を運ぶのも和館の掃除をするのもミツヨばかりで、桂子もナリも基本的に関わることはなかった。
日中にあまりミツヨの姿を見ないのは、和館に行っているからだろう。
「信用した人間だけ……なんですね」
つまりは、自分はまだ信用されていないということ。
顔を俯け呟いた千代に、雪人はハッとして顔を強張らせた。




