義父の薬
「ちょうど朝のお薬の時間ですし、では奥様、お願いできますか?」
「はいっ!」と千代は表情を明るくして、頷いたのだった。
千代が去った後の台所で――。
ナリと桂子は困ったような顔を見合わせ、昼食の準備にとりかかるミツヨに目を向けた。
「ミツヨさん、良いんですか? 大旦那様に怒られますよ」
ナリが不安げな声で尋ねる。しかし、ミツヨは二人と違い、いつもと同じ平然とした顔をして「良いのよ」と問題にすら思っていない。むしろ、口端が僅かに持ち上がっておりどこか楽しそうでもある。
「嫁が義父に薬を持っていくだけですもの。怒られる理由なんてありゃしないわ」
でも、と今度は桂子が口を開く。
「奥様に何か問題があるから、大旦那様は近づけないように言ったんじゃないんですか? 確かに元から大旦那様は人を無闇に近づけさせませんけど……それにしても、わざわざ口にして言うだなんて」
祝言を挙げた後、女中達は善路から自分には無闇に嫁を近づけるな、と言われていた。
元より善路は、仕事は別として、個人的な人付き合いが良いとは言えない。世話や用事も、昔から関係があるミツヨと実富にしか頼まない。
「問題ねえ……あなた達、奥様に何か問題があるように見えたかしら?」
二人は肩をすくめる。
「今のところはなにも。むしろ、とても可愛らしい奥様だと」
「同じく」とナリも頷く。
「私もそう思うわよ。それに、雪人様も奥様のことをとても……んふふっ……とても大切に思ってらっしゃるようだし」
「ちょっ、ミツヨさん! 今の笑いはなんですか!?」
「何か見たんですね!? 女性に優しい雪人様なんて想像できないんですが、何があったんですか!?」
意味深なミツヨの笑顔に、ガタガタと台を飛び越えんばかりに前のめりになって食いつく二人。それをミツヨは「さあ」と楽しそうにかわす。
「雪人様のことは置いておいて……大旦那様の言いつけの真意は私達にはわからないけど、奥様と大旦那様は家族になられたんだから、お互いを知る必要があると思っただけよ」
「さっすがミツヨさん、大人な考え方~。あたし、言いつけを守ることしか考えてなかったですよ」
「大旦那様との付き合いも長いからねえ」
ミツヨは見えもしない和館のほうを眺め、心配するように僅かに目を細めた。
「いい加減、私や実富さん以外にも頼ることを覚えてもらわないと……」
ボソリと呟いたミツヨの言葉は、ナリと桂子の耳には届かなかった。
◆
というわけで、早速千代は和館にある善路の部屋を訪ねたのだが。
「私のことは放っておいてくれていいから」
薬を白湯で流し込んだ善路が口を開いて最初に口にした言葉に、千代は「え」と瞬いた。
「薬はこれまで通りミツヨに頼む。あなたは、屋敷の中でなら好きに過ごしてくれて構わない。欲しいものがあればミツヨに言って外商でも呼びなさい。横濱には野澤屋があるだろう」
畳敷きの寝室で、善路は布団から上半身だけを起こしており、薬を飲み終わると千代に目もくれず背を向けて再び布団に横になった。
「あ……いえ、欲しいものは特にありませんので、お気持ちだけいただきます。ありがとうございます、お義父様」
肩越しにチラと善路が振り向き、千代は会釈して立ち上がった。長居してほしくなさそうだ。
「それでは夕方のお薬は、ミツヨさんにお願いしますね。ゆっくり休まれてください」
千代は頭を下げると、スッと障子戸を閉め台所へと戻った。
そして戻れば、「どうでした!?」と、大丈夫かと言わんばかりの顔したナリが駆け寄ってきた。
「やっぱり、慣れたミツヨさんにお願いしたいと言われました。ですのでミツヨさん、夕方はお願いします」
「……わかりました」
ミツヨは視線を落として、戻ってきた盆を手にした。
しかし、次の千代の言葉に、ミツヨはパッと顔を跳ね上げる。
「でも、明日の朝はまた私が持っていっても良いですか」
目を瞬かせるミツヨに気付かず、千代は考え込むようにして腕を組みながら「普段お義父様は何をして過ごしてるのかしら」と、ぶつぶつ疑問を口にする。
ミツヨはぷっと吹き出して、「ええ、もちろんです」と嬉しそうに頷いていた。
宣言通り、千代は次の日の朝も善路の部屋を訪ねていた。
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