温泉へ行こう! その4
「土砂降りですねぇ先輩」
「土砂降りだなぁ後輩」
あの後、ぽつぽつと降り出した雨は、あれよあれよと勢いを増し、気がつくと、土砂降りへと変貌していた。
おかげで、最後にもう一回入ろうと思っていた、河原の野外露天は行けず仕舞いだ。
「はー、最後にもう一回入っておきたかったんだけどなぁ……」
「あんなに晴れてたのに、まさかこんな土砂降りになるとは思いませんでしたね」
「なーんか、今年は天気が不安定だよなぁ」
天気が予測できないというか……ゲリラ豪雨がヤバイというか。
何度このように雨に泣かされたか、数えるのももはや億劫だ。
「ていうかこれ、帰れるんですかね私たち」
「いや、帰れるだろ……帰れるよな?」
そう言いながらも、思い出すのはあの崖のような道。
雨なんて降ると、一発で崩れそうな気がして仕方がない。
しかも通るのはバスだ、走れるんだろうか……?
「……くふふ! 降りしきる雨の中、温泉宿に年若い男女が二人……何も起きないわけもなく……!」
「いやいや何も起こらないし、つーかそうなった場合も、二部屋取ればいいだけだし」
「もー! なんでですかー!!」
「なんでですかじゃありません! ダメに決まってんだろ!」
「先輩ってほんとお堅いですよねー……最愛の彼女♡ とずっと一緒にいたいと思わないんですか!?」
「うーん……うん」
「むーーーっ! むーーーーーっ!!」
まぁそれも、高校生の男女をここが泊めてくれれば……って話なんだけどな。
帰れるのが一番いい、だけどこの雨だと……。
「申し訳ありません! 本日雨天の影響で、駅までのバスの発車はございません! バスでお越しのお客様、大変申し訳ございません!!」
ああ、やっぱりそうなったか。
はぁ、とため息を零してちらりと横を見ると、瞳をキラキラに輝かせ、とても嬉しそうな顔をして、こちらを見上げる二菜と目があい……。
「でこぴん!」
「あいたーっ!? な、なんでデコピンされたんですかー!?」
「なんかすげーイラっとした、反省はしていない」
「か、彼女にでこぴんは反省してください!!」
はいはい、反省してまーす。
さて、そんなことよりも。
「そんなことじゃありませんー!」
「え、今日の宿を確保に行かなくてもいいのか? 野宿か二菜?」
「むーっ!! ぜ、絶対相部屋にしてくださいよねっ!」
「はいはい」
絶対嫌だけどな。
* * *
「夕食は午後18時から、浴場は24時間、いつでもお使いいただけます」
「あ、はい」
「当宿の家族風呂は屋根が付いておりますので、雨でもご利用いただけます、ご自由にどうぞ」
「あ、どうも」
「(こそっ)棚の一番下に、ご用意ございます」
「なんの!?」
「ホホホホホ、ごゆっくりどうぞ……」
「ねぇなんの!?」
あっ、こら待て! 行くな仲居さん! 行くな……!
結局のところ、部屋は二部屋、取ることが出来なかった。
なぜか、仲居さんが強硬に相部屋を押して来たのだ。
そしてそれをとてもいい笑顔で了承する天音二菜……お前らなんなの、組んでるの?
「くふふ……先輩、二人っきりですね♡」
「あ、ああ、そうだな」
「とりあえずお茶、いれますね!」
「そうだな……頼む」
「はーい」
おかしい、落ち着け俺。
二菜と二人なんて、いつもと変わらないじゃないか、何を緊張することがある?
温泉宿などというシチュエーションに誤魔化されるな藤代一雪!
冷静に唱えるんだ……般若心経を……!
そうして手持ち無沙汰になった俺は、テーブルの上にあった木のブロックパズルに手を伸ばした。
このパズル、ほんとどこの温泉宿にもあるよなぁ。
なぜか旅行に来るたび、やってしまう不思議な中毒性があると思わない?
「あー! そのパズル、ここにもあるんですね!」
「お、知ってんのか二菜」
「もちろんですよー、そのシリーズ、うちにいっぱいありますよ?」
「そうなのか!」
「はいっ、旅行行くたんびに、お父さんが次々シリーズを買い集めて……」
そうそう、このパズル、難易度ごとに結構な種類があるんだよな。
そこそこいいお値段するから、小さい頃は手を出せなかったんだが……身近に持ってる人がいるとなると、是非ともやってみたい。
「今度持って来てくれよ、他のやつもやってみたい」
「はぁい、お任せください! ……それにしても、懐かしいなぁ」
そう言いながら伸ばした二菜の手と、たまたまブロックを取ろうと伸ばした俺の手が触れ合い、思わず手を引いてしまった。
うおお、ヤバいヤバい、相変わらず二菜の手って柔らかくてちっちぇー……って違う違う。
般若心経、般若心経……。
心の中で魔法の言葉を唱えながらちらりと二菜を見ると、二菜も頬を薄く染めていた。
……なんだ、緊張してるのは向こうも一緒かよ。
「はぁー……なんで今更、こんな緊張してんだろうな俺ら」
「あはは、ですよねー……普段からずっと一緒なのに」
「な、もう寝るときと授業中以外、ずっとお前の顔見てる気がするわ」
「つまりそれは、一日の大部分が私との時間以外で出来ている、ということですね?」
「いやいや、その理屈はおかしい」
「私は、いつでもずーっと先輩と一緒にいたいなぁ……」
そう言いながら俺の肩に頭を擦り寄せて来た二菜の肩を、そっと抱いてやる。
どうやら今日の二菜は、甘えたさんモードのようだ。
ぐりぐりと頭を押し付けてくる二菜の頭をぽんぽん、と撫でてやるとにへら、と緩んだ顔を向けて来た。
この顔を見れるのは自分だけ、と思うと、なんとも言えない幸福感に襲われるから不思議だ。
「でも……」
「ん?」
「今日は、朝までずーっと、私が先輩を独り占めですね……♡」
そう、耳元で囁かれた一言に、思わず二菜に目線をやると……。
いつもの二菜とは違う、妖艶に微笑む二菜の姿に、思わず喉を鳴らしてしまうのだった。
は、般若心経……!!





