第11話 アドルフ君対策会議です
古代ローマのコロッセウムを思わせる円形闘技場は熱気に包まれていた。
収容人数5万人を誇るその場所は学生や学園職員で溢れかえっており席を確保できなかった者たちは階段通路を占拠している。それでも入りきれない者たちもおり、中には闘技場壁面にへばり付いてでも観戦しようとする猛者もいるほどである。
観戦者は学校関係者だけではない。人が溢れるこの状況下にあって一部だけ妙にゆとりのあるスペースにいるその者たちは各国の来賓である。
単純に娯楽目的で来ている王族や貴族たちに加え、将来自国の戦力になるであろう優秀な学生を見つけ出そうと目を光らせる各国の軍関係者たちの顔もあり、ある種特殊な緊張感が漂っている。
「遠路遙々足をお運び下さった各国のお歴々。ようこそ、我が学術都市ベルウェグへ。本日より始まるフラッグ・ハント公式戦は歴史ある我が校の一大行事であり、親愛なる生徒たちにとっては日頃の鍛錬の成果をお披露目できる絶好の場でもある。そもそもこのフラッグ・ハントの起源となったのは――――」
闘技場の中心に置かれた台座に立つ老人――学術都市ベルウェグ校長アイザック・マクファーレンの有り難い開会の挨拶が始まる。
生徒たちにしても来賓たちにしても毎度おなじみのフレーズなので真剣に耳を傾ける者はあまりいないのだが、これも様式美である。大会の幕開けに心躍らせながら黙って老人の長話が終わるのを待ちわびていた。
だが、中にはマクファーレンの挨拶などそっちのけで何やら深刻そうな話をしている一団もあった。
「ああ……どうしよう……どうしましょうレイラ……」
「そうですねぇ。なんとか方法を考えないといけませんねぇ」
「昨日からずっとそれじゃないですか! 本気で考えてるんですか!?」
昨日知った衝撃的事実によりアンナには他人の演説などに耳を傾ける精神的余裕は皆無だった。
かつてコルト村で知り合った男の子、アドルフがアンゼリナの言う王子様だと知った時は相当な驚きだった。
彼は確かに無鉄砲なところはあるが、何の罪もない人々を害することを許容するような悪人ではなかったはずだから。
彼がなぜアンゼリナの横暴を許しているのか。それも気になる問題ではある。
だがそれ以上に看過できない問題がある。
「でも本当に運命ってあるものなんですのね。お忍びでやって来ていた王子様とお知り合いになり、愛が芽生えるだなんて」
「芽生えてません! それに今は別の女の子といちゃいちゃしてるじゃないですか!」
「きっと代わりを立てなければいられないほど恋に狂ってしまったんですわ」
「おとこを狂わすアンナさま……悪女なの!」
「なんでアドルフ君がボクを好きだという前提で話すんですか!?」
「だってあいてチームのなまえは『アンナフォーエヴァーラブ』なの」
「確実にその方は今でもアンナさんのことが好きですわ。もし本物だとバレでもしたら瞬く間に愛の炎が燃え上がりますわね」
「いっぱいいっぱい愛をささやかれるの……」
「うわああああああああん」
アンナは頭を抱えてうずくまる。
聞きたくない!
同性からの愛の囁きなんて耳に入れたくない!
「そっ……それで、本当のところはどうなんだ?」
「どうって何ですかグリッド君!」
「昔は仲良かったんだろ? なら今は……?」
「そりゃ友達だとは思ってましたけど……」
「――じゃあ、もし相手が寄りを戻そうって言ってきたら付き合うのか!?」
「だから付き合ってた前提で話さないでください! そして今後も付き合う可能性は皆無です!」
確かに親愛の心は生まれていたかもしれないが、あくまでそれは同性の友人としてのものである。
「まぁ現実的に考えればそうですわよね。いくら昔は親しくて玉の輿を狙えるからといっても、代用品として他の女にうつつを抜かすような男になびくほど女心は安くありませんわ」
さっきまでノリノリだったがその辺はシビアなようだ。
その意見はまったく的外れなものなのだが、否定しても話が進まないのでこの際理由などどうでもいい。
「そうなんです! だからどうにか顔を合わせても間違いが起きないようにしたいんです!」
「でもさ、そいつ今はアンゼリナと付き合ってるんだろ? なら今更アンナと再会したところで何も起こらないって可能性もあるんじゃないか?」
「そっ――そうですよね! さんざんいちゃいちゃしておいていざボクが出てきたら乗り換えるなんて真似、普通はしませんよね?」
そうであってほしいという願望からグリッドの意見を後押ししようとするアンナ。
だが、その意見は女性陣の激しい反論に晒される。
「甘いです! 甘過ぎですアンナ様! 相手は王族で女性なんて食べ放題の立場なんですよ。むしろ本物のアンナ様と偽アンナ様、二人増えて二度美味しいと、そう思うはずですし私だってそう思います!」
「そうですわよ。人族の王様なんて子供を産ませるのが仕事みたいなものなのですから、アンゼリナさんともども、その……て……手込めにされてしまいますわ!」
「そしてお腹が大きく膨らんでママにされちゃうの」
「ぶっ――、プリシラちゃん! どこでそんな知識を!?」
「ママが気をつけなさいって。おとこの人に隙をみせると大変なんだよ?」
そういえばプリシラの母親は娼婦だった。職業柄そういう事に対する教育はちゃんと行っているみたいだ。
いや、今その話は関係ないのだけれど。
とにかく彼女らの反応を見るにやっぱりダメみたいだ。楽観視は止めよう。
「わかりました……。もう甘い考えは捨てますから、なんとかしてくださいよレイラ」
「う~ん。そうですねぇ……」
顎に手を当てて何かを考える素振りを見せるレイラ。だがそれが単なる時間稼ぎであることにアンナも既に気づいていた。レイラはこうやって頼られ縋り付かれるのを楽しんでいるのだ。
男であるアンナに男の子に告白された場合の断り方などわかるはずもなく、かといってアドルフのことを知らないララエラに聞いても有効な解決策は出してもらえず、今はレイラに頼らざるを得ない状況である。恐らくレイラは何かしらの解決策を既に思いついているはずであるが、いまのこの状態を長引かせようととぼけているのだ。
フラッグ・ハントの授業ではチームから外され寂しい思いをしていただろうと思い、アンナも大目に見てあげていた。
だが、もうすぐ試合も始まってしまう。
もう時間は残されていない。
そうなれば追い詰められた人がどんな行動にでるのか。
――実力行使である。
「わかりました。あなたがそういう態度を続けるというのならこちらにも考えがありますよ」
「へっ?」
膝立ちになったアンナはレイラの頭を両手で固定し自らの顔を近づける。
そうして軽く口を開けて――レイラの耳をぱくっと口に含んだ。
「――ひゃん!? あっ――アンナしゃま――なにを!?」
「はむっ……いつまへももっはいふっへるはらおひおひへふ!」
レイラの耳をはむはむ加えながらアンナが話す。ちなみに「いつまでももったいぶってるからお仕置きです」と言っている。
「あふ――ん……やめ……て……耳は弱いんです……。ごめんなひゃいアンナしゃまぁ……」
レイラはすぐに根を上げた。普段がんがん攻めてくるくせに攻められると非常に弱い。おなじみのヘタレレイラである。
早くも謝罪モードの彼女を見るにこの時点で解放してあげても話してもらえることは確実なのだが反応が新鮮で面白い。
アンナの中に黒い悪戯心が芽生えた。
「にゃ――にゃんでやめてくれないんでしゅかアンナさまぁ!」
「…………………………」
「むっ――無言で耳をくわえないで! 怖いです――怖いでしゅアンナさまぁ!!」
「ならほのひょうはいへさくへんをいっへみははひ!(ならこの状態で作戦を言ってみなさい!)」
「ひうっ――やっぱりしゃべらないで! 息が――アンナしゃまの息が耳の中を撫で回してえええ――あひっ……これ以上は……ゆるしてくだしゃいアンナしゃまあぁ~~」
レイラはイヤイヤと頭を振りながらも力が出ないらしくアンナの拘束から抜け出せない。
時折体をビクビク震わせながらも甘い声で許しを乞うた。
このまま続ければどうなってしまうのか興味はあるのだが……そろそろ涙目になってきたのでこれくらいで許してあげよう。
というか周りの男子たちが顔を真っ赤にして目を逸らしているのを見てちょっと冷静になってしまった。
「わたくしも逆らったらあんな風にしてもらえますのね……」
「めちゃくちゃのぐちゃぐちゃにされちゃうの……」
ララエラとプリシラも真っ赤な顔でどこか息を荒げながらこちらを見ている。
悪い影響を与えてしまったかもしれない。
空気を入れ換えるためにもアンナはレイラを解放し、アドルフに対する対策案を話させることにした。
「はふぅ…………。ま……まず前提条件としてあの男とのフラッグ・ハントの試合が終わるまでは絶対にアンナ様が本物だとバレてはいけません。ですので変装は不可欠です」
「そうですね……。ただ試合までもう時間はありませんから、手の込んだことはできませんよ?」
「それは大丈夫だと思います。あの男は思い込みが激しいところがありますから、多少の変装をしておけば少なくとも試合の最中に気づかれることはないでしょう。ですがその後までずっとバレずに済む保証はありません。だからこの試合でもし求愛される事態になっても確実に断れる口実を作り出さなければなりません」
「そうですわね。相手はヴィードバッハ帝国の王族ですから。もし求婚でもされたら逃げ切るのは難しいですわ」
しがない平民が貴族に目を付けられたらその時点で断る術などない。腕に覚えがあれば他国に逃げ込んで冒険者なり傭兵なりすればいいと思うのだが相手が超大国ヴィードバッハ帝国の場合、逃げ込んだ先の国が脅威を感じてアンナを引き渡すなんてことも考えられる。
「そうです。ですのでアンナ様は今すぐ私と結婚して――――うっ、嘘です! ちょっと場を和ませようとしただけなのでお仕置きしないでください!」
何を言い出すんだ? という顔をしたのを敏感に反応したレイラがあわわと体を震わせながら必死の弁明を始めた。
この子、お仕置きされたくてわざといってるんじゃないだろうか?
時間もないので今は自重するけど今度暇があったら試してみよう。
「それで、肝心の告白回避はどうするんですか?」
「アンナ様にはあの男に決闘を申し込んでもらいます」
「決闘ですか?」
試合をする以上、必ず戦うことにはなると思うのだが、なぜわざわざ決闘なのだろう。
「なるほど相手の権力を削ぎ、その上で求愛も断る方法としてはベストなものかもしれませんわね」
「どういうことですか?」
「帝国というのは強固なまでの実力主義の上に成り立っているんです。力こそがすべてであり、力さえあればどんな我が儘も許され、王位継承権でさえ容易に変動すると聞きます。それは逆を言えば弱者には一切の権利が認められていないということ。公式戦という各国の目がある場で一対一の戦いに敗北したともなればそのアドルフさんとやらの地位は失墜して権力をふるえなくなりますわ」
「そういうことです。権力がなければやつもその辺にいる男となにも変わりません。その後で正体を明かして再帰不能になるほど小っ酷い振り方をしてやればミッションコンプリートです」
「いえ、彼が権力の乱用ができなくなるのであれば再帰不能にする必要はないと思いますが……」
その辺はレイラの私怨も混ぜられているのだろう。
二人の出会いは最悪だったし根に持つのもわからないでもないが。
いずれにしても他に有効な対策も出なかったことからレイラの案を採用するということで話はまとまった。
ただフラッグ・ハントの試合において一騎打ちなどというルールは存在しないため、できる限りアンナとアドルフが二人きりで戦えるよう相手を誘導するというやり方ではあるが。
必要なのはアンナ一人の手でアドルフが打ち負かされたという事実なので問題はないだろう。
いささか私情を挟んだ戦いになってしまいそうだが、相手の最大戦力であるアドルフを抑えられるということで反対する者もいなかった。
そうこう話し合っている内にマクファーレンの話は終わり公式戦開会が告げられる。
こうして幾ばくかの不安を抱えながらもアンナたちの戦いが始まった。




