第10話 その時ボクはまだ知りませんでした。過去がすぐ背後まで忍び寄っていることを――
パン、パン、パンと立て続けに小さな爆発音が森の中に響くのをアンナは聞いた。
相手フラッグの位置を知らせるミルチャからの合図だ。
ミルチャの役職はコマンダー。
アンナたちの命運を分けるであろうチームの司令官である。
「……東北東600メートルといったところでしょうか。敵さんは随分思い切った場所に布陣しましたね」
フラッグハントは縦1キロメートル横500メートルのフィールド内で行われる。
フィールドの半分、つまり縦500メートルまでが自分たちの領域であり、その範囲内ならばどこにでもフラッグを立てて良いことになっている。また自軍フラッグの守備役、ディフェンダーが自由に動き回れる限界領域もこの縦横500メートルの範囲内だ。
アンナが受け取った東北東600メートルにあるという敵フラッグは、最右端とは言えアンナチームの領域の目の前に位置している。
アンナが言葉に出して言ったようにかなり大胆な布陣である。
「これは何かしらの策……だったらマズいですがそれはないですよね」
相手は同じ初等部であり勝率もパットしない弱小チームだ。
恐らく正攻法では勝てないと踏んで奇をてらったのだろう。確かにこれに気づかずアタッカーを奥の方まで移動させていたらいくらか時間を取られたかもしれない。
だがこれは悪手だ。こちらには優秀なスカウトであるペネルがいるのだから。
現に敵フラッグの位置は開始早々に発見されてアンナたちの知るところとなってしまっている。
「これでまたボクの出番は無しですね……」
敵フラッグが発見された以上、あと数分もしないうちに勝敗が決まるだろう。
その単時間で敵のアタッカーがこちらに辿り着く可能性は極めて低い。
つまり守備役である自分に活躍の場は訪れないのである。
そのことに若干の物足りなさを感じつつも、恐らく勝利宣言と共に高笑いしているであろう仲間のもとへアンナはゆっくり歩き出した。
「お――っほっほっほ! 見てくださいアンナさん! わたくしまたフラッグを消し炭にしてやりましたわ!」
「くっそ~、今度こそ俺がやるはずだったのに~」
敵フラッグの場所に辿り着くと、そこには得意げなララエラと悔しがって地団駄を踏むグリッドがいた。
「今回も大活躍ですね、ララエラさん」
「当然ですわ! わたくしは誇り高き金狐族ですもの!」
ふふんと大きな胸を張って一層得意げなララエラ。アンナはその姿を微笑ましい気分で見つめる。
「わたくしとっても偉いですわ!」
それで終わるのかと思いきやララエラは尚も胸を張り続け、こちらに功績を誇ってくる。
ついでにちらちらとこちらを伺うような視線。
「そうですね。とても偉いです」
「むぅ……」
とりあえず褒めればいいのだろうかと思ったのだが違ったようだ。
得意げだった表情が崩れ、ちょっと不満げなララエラ。
「それで?」
「ん? それでとは?」
「わたくし頑張ったんですのよ?」
「そうですね。すごいと思います」
「むむぅ……」
ララエラはふくっと頬を膨らませ一層不機嫌な顔になってしまった。
何が不満なのだろう?
「んっ!」
ララエラが突然こちらに頭を突き出してきた。
一瞬頭突きでもされるのかと思い身構えたがその様子はない。
その代わり彼女の頭についている狐耳がピクピク動いて何かを誘っている。
これはつまり撫でろということなのだろうか?
「えっ、偉いですね~ララエラさん」
間違っていたらどうしようと、おっかなびっくり手を伸ばし、ララエラのふわふわの耳を撫でた。
「うふふ~~♪」
どうやら正解だったようでララエラの表情がふにゃんと柔らかくなる。
初対面の時からは考えられないような甘えっぷりである。
「こほん! まぁ本来わたくしにはこんなこと必要ありませんが、チームの士気に関わることですからこれからは気をつけてくださいねアンナさん」
「はい。気をつけます」
素直に甘えたいと言えないお年頃のようだ。
このあまのじゃくさんめ。
「みんなお疲れ様。今回で初等部での勝率はトップになったから、これで公式戦出場は確実だね」
「ここから我が覇道が始まるのだ!」
「あ、ミルチャさんにフレッド君」
チームのみんなが集まってきた。よく見れば向こうの木の陰にはペネルもいる。
全員集合だ。
「これで試合形式の練習は最後ということになるけど、どうだろうみんな。この配置で問題はないかい?」
「俺は問題なし!」
「わたくしもですわ!」
「フレッドにアタッカーを譲るのはいささか癪だが、俺の役目を考えれば致し方ないだろう」
「……僕にはこれしかないから」
コマンダーにミルチャ。スカウトにペネル。ディフェンダーにアンナとフレッド。そしてアタッカーがララエラとグリッド。
他にもいろいろなパターンを試したが最終的に落ち着いたのがこの配置だ。
「ディフェンダーはアンナさんには物足りない役目かもしれないけど大丈夫かな?」
「問題ありませんよ。授業での初等部同士の試合はともかく、公式戦になれば物足りないなんて言ってられなくなると思いますし」
ただ初等部を相手にするだけならばララエラとアンナをアタッカーに据えて速攻で相手フラッグを叩くというのが最も効率的な戦術だろう。
だが公式戦となれば話は別である。いくらアンナとララエラが強いと言っても相手ディフェンダーを抜くのには手間取る可能性がある。その上相手アタッカーもこちらと同等の力を持っていれば、それを受け止めるのは平凡な能力しか持たない男性陣のみとなってしまうため危険が大きい。なので無難な方法ではあるが最大戦力であるアンナとララエラをディフェンダーとアタッカーに分けることにしたのだ。
「アンナさんの魔法による広域防衛とフレッドさんの姑息な戦法で相手を翻弄している間に、わたくしの駿足で敵フラッグを叩く。まさに隙の無い戦術ですわ!」
「ちょっと待て! 俺もいるだろ!」
「あなたは頑張ってディフェンダーの一人を抑えてくださればそれでいいですわ」
「ぐっ……今に見てろよ。絶対活躍してやるからな!」
ララエラに憎まれ口を叩かれ悔しそうなグリッド。しかしそこに険悪な雰囲気はない。
チームのみんなとも打ち解けて、それなりのチームワークも生まれてきている。
これならなんとかやっていけそうである。
++++++
時間はあっという間に過ぎ、公式戦前日。
アンナたちチーム一同は配布された試合進行表を見て呆れとも感心ともつかぬため息を吐いていた。
「まさか1試合目からアンゼリナさんのチームに当たるとはね」
「偶然……ではないのでしょうね。まったく小細工を弄する事に関しては一流ですわね」
「でもある意味ラッキーじゃねえか。もしあいつが1回戦負けしたら戦う機会さえないんだからさ」
「僕たちが勝ち進めない可能性もあるからね。うん、そう考えれば1回戦で懸案事項に決着が付くのはいいことかもしれない」
前向きな意見を述べつつミルチャは苦笑いだ。
だがアンナにはそれ以上にため息を吐きたい気分だった。
それというのも――
「チーム・アンナふぉーえばーらぶ」
「声に出さないでくださいプリシラちゃん。とても恥ずかしいです……」
敵であるアンゼリナチームのチーム名が『アンナフォーエヴァーラブ』という恥ずかしい名前だからだ。
チーム名は自由に決めていいとは言えこれは酷い。
「まったくです。彼らにはセンスの一欠片も感じられません」
レイラもぷりぷりご立腹のようである。
「そうですよね。ボクのことを言われてるわけでないのはわかってるんですが、完全にもらい事故ですよ」
「本当です。どうせなら『アンナ~アルティメットラバー~』くらいのポップでカジュアルなネーミングセンスを見せて欲しいところです」
レイラのセンスは敵と同レベルだった。
「それ、レイラが考えたんですか?」
「はい! あっ、もしよろしければ今からチーム名をこちらに変更しますか?」
「……少しあなたとの付き合い方を考えさせてもらいます」
「――何故ですか!?」
ちなみにアンナたちのチーム名は『リトルドラゴン』。
今は弱くてもいずれドラゴンに並ぶ程の大物になってやるぞという意気込みが込められているらしい。
『アンナフォーエヴァーラブ』と比べればとてもまっとうな名前である。
「確かに相手チームの名前はアンナさんにしてみれば嫌がらせだね」
「永遠の愛を誓った男から刃を向けられる……なかなかに悲劇的でロマンがありますわ」
「だからラブの対象はボクじゃなくてアンゼリナさんなんですって!」
「ははは、わかってるって。でもさ、ここまで二人がそっくりだと何かあるかもって思っちまうよな」
「失礼な。アンナ様はあんな芋臭い田舎娘と比較していい存在ではありません」
「そうですわ。容姿の美しさも、器の大きさもアンナさんの圧勝ですわ!」
うむ。失礼かどうかはともかくとしてアンナとアンゼリナを比べるのは違うと思う。
「だから尚更さ、王子様が探してたのが実はこっちのアンナだったりして、とか思うんだよな~」
「あら、それはそれでロマンがありますわね」
「面白い発想ですがそれはありえませんよ。ボクに帝国王家の知り合いなんていませから」
ましてや永遠の愛を誓われるほどの仲になった男の子なんて今までで一人もいない。
旅の途中、ロリコン貴族に一方的に好かれて求婚されたという黒歴史はあるが、それ以外で色恋沙汰に巻き込まれた経験など一つも無いしこれからも巻き込まれる予定などないのである。
「あっ――」
ん?
いま短く声を出したのは誰だろう?
このタイミングで意味深な反応をされると不安になってしまう。
だが特に言葉が続かないようなので何か個人的な用件でも思い出したのかもしれない。
「でももしかしたらお忍びで遊びに来ていた王子様と知らずに付き合っていたということもありえますわ。よく思い出してみてくださいアンナさん」
「そんな、おとぎ話じゃないんですから。ねぇレイラ」
なんだか妙に食いつきがいいララエラに年頃の女の子っぽさを感じながらも、あくまで夢見る乙女の妄想だとアンナは笑い飛ばし、恐らく同じ気持ちになっているであろうレイラとその滑稽さを共有しようと目を向けた。
だが、レイラからの返事がなかなか返ってこない。
「どうしたんですかレイラ?」
「アンナ様……私……」
不思議に思ってレイラの顔をのぞき込むと若干狼狽えたような表情でこちらを見返してくる。
「私……その間抜けな王族に心当たりがあるかもしれません……」
「――――――――は?」
レイラの不吉な言葉にアンナは我が耳を疑った。
++++++
燭台に灯る柔らかな光が一つに重なる二人分の影を映し出していた。
「ごめんね。また迷惑かけちゃって」
まだ花開く前の、麗しい少女の声が響く。
その言葉は謝罪を表してはいたが、その声色に反省の色はない。むしろ猫が気まぐれで甘えるような、どこか相手の心を見透かしたような侮りすら感じられる。
だが本来それは平民たる彼女が目の前の人物に対して許される態度ではない。
「気にすることはねえよ、アンナ。俺はお前のためならなんだってしてやれるんだ」
だが対する彼はそんなアンゼリナの態度を当然のものとして受け入れる。
ただ彼の方もある意味では異端児であった。
王族とはとても思えない品性に欠ける言葉遣いはもとより、彼の真っ赤な頭髪は整髪料でガチガチに固められて天高くそびえ立っている。この世界においてはかなり前衛的な髪型だ。
分を弁えぬ平民の少女と品格を失した高貴な少年。ある意味二人はお似合いなのかもしれない。
「俺の方こそ悪かった。お前を守るって誓ったのに……お前のこの美しい髪を失わせてしまった」
少年の言葉にアンゼリナは一瞬たじろいだ。
彼女の髪は右側だけ異常に短く切られている。今はウィッグで誤魔化しているがあまり品質がいいとは言えず、左側との差は一目瞭然であった。
アンゼリナは憎き敵を思い腸が煮えくりかえる思いだったが、今は彼の前ということもありなんとか怒りを呑み込んだ。
「ううん。あなたは悪くないわ。悪いのは卑劣なあの偽物。アタシが情けをかけて許してあげたのに、アイツは背を向けたアタシに不意打ちを食らわしたの」
アンゼリナが情けをかけた事実などないし、実際に髪を切ったのはレイラなのだが、彼女の中では都合良く事実がねじ曲げられていた。
彼女は嘘を吐く。
より少年の愛を得ようと。
その嘘を少年は見抜けない。
なぜなら彼には真実など必要ないからだ。
「ならそいつに思い知らせてやらねえとな。生まれてきた事を後悔するほどに」
「嬉しいわ。でも気をつけてね。相手は卑怯だけど最上級魔法を使えるだけの腕はあるわ」
「どんな相手だって俺は負けねえさ」
少年はアンゼリナを強く抱きしめる。もう二度と自分の手から零れないように。
あの日約束したのだ。誰よりも強くなってこの手で守るのだと。
あの時、少年は無力だった。愛する少女を守ることもできず、逆に守られてしまった。
生き残った少年は愛する少女を奪った黒き獣を憎んだ。だがそれ以上に何もできなかった弱い自分を憎悪した。
「絶対に守ってやる。今度こそ……」
あれから血の滲むような努力を重ねた。
強い相手と聞けば誰彼構わず勝負を申し込み、そのすべてに勝ってきた。
自分は確かに強者となったのだ。
だからもうあの日の過ちは繰り返さない。
少年はアンゼリナを抱きしめながら、しかし幼き日に失われた少女の面影を重ねていた。
超大国ヴィードバッハ帝国の第13王子にして英雄誕生の預言の日に生まれ落ちた剣の天才。
彼の名はアドルフ・ドムシャイト・ヴィートバッハ。
かつてアンナが意図せず蒔いた恋の種は、ラフレシアのごとく大輪の花を咲かせて運命を待ち構えていた。




