第1話 ちょっと不安なスタートです
学術都市ベルウェグは隣国ビスター公国に接する半島の街グーデルと、そこから10kmほど海を隔てて浮かぶ孤島エハムンから成る。
ただ一般的にベルウェグと言われてみなが思い浮かべるのは孤島の部分のみであろう。というのも学校としての施設はすべてエハムン島に集約されており、半島部分は他と何ら変わらない普通の市街地だからである。
そのためベルウェグの市街地の住民はエハムン島を学術区と呼んで区別している。
なぜこんな面倒な場所に学校を作ったのかと言えば単純に警備の問題である。
ベルウェグは各国から多くの人材を受け入れており、その中には貴族や王族も含まれるため極力部外者が立ち入れない環境で、かつ警備が最小限で済む環境が必要だったのだ。
岩礁に囲まれており、決まったルートを通らないと船はすぐに座礁してしまうという厳しい環境に囲まれるエハムン島はまさにその条件にぴったり当てはまったのだ。
そして仮に座礁の危機を回避しつつ島に上陸した者がいたとしても、煉瓦造りの城壁を左右に広げる大きな塔に行く手を阻まれる。
学園内に入る者が必ず通らなければならないその建物は職員塔であり検問所でもある。
ここを通過するためにはすべての武器を預け、姿を偽る魔法やアーティファクトの類いも解除させられる。
ベルウェグはいまだかつて賊の侵入を許したことのない世界で最も安全な場所なのである。
「ん~、なかなか雰囲気があって良いところですね~」
そんな鉄壁の守りを見事通過したアンナとレイラは塔を振り返りながら緊張の糸を解いた。
別に悪いことをするつもりはないのだが性別を隠している手前、内心はビクビクだったのだ。
武器や魔道具の所持に関しては金属探知機のようなもので徹底的に調べられたが流石に服を脱いで性別確認とかはされなかった。
微塵も疑いを持たれなかったのは男としては喜ぶべき事なのかどうか迷う部分ではあるのだが……。
ともあれ、無事目的地に到着である。
見渡せば煉瓦造りの道が延びた先にロマネスク建築風に統一された建物が並んでいる。
ここから見えるのは教員や職員たちの宿舎だろう。そこから更に進んでいくと学生寮があり、その終着点にベルウェグの本校舎が佇んでいる。
この場所で前世でも経験することのできなかった学生生活開始を送ることになるのだ。
アンナには目に入るものすべてが輝いて見えた。
(……そうです。とても絶景なんです)
そしてもう一つアンナの目を惹きつける光景があった。
それはこの学園指定の短いスカートから覗くレイラのすらりと伸びた太ももである。
その上オーバーニーのソックスを穿いていて、いわゆる絶対領域を作り出しており女の子特有の柔らかい太ももの魅力がこれでもかと言うほどに強調されている。
さらに言えば獣人であるレイラには尻尾が付いており、エロスのみならず可愛さも加わって見ない振りをするのが失礼なレベルの神々しさを放っているのだ。
とはいえ堂々と鑑賞する度胸のないアンナは景色を見る振りをして密かにレイラの後ろに回り込んでチラ見する程度であるが。
(ごめんなさいレイラ。これは悲しい男の性なんです……)
罪悪感を覚えつつもチラ見を止められないアンナは心の中で謝罪した。
「そうですね……。とても綺麗ですアンナ様。一生見続けていたいくらいです。いえ、むしろ食べてしまいたいです」
「あはは、確かにチョコレートみたいな色をした壁もありますね」
「ええ、素晴らしいホワイトチョコです。さぞ柔らかくて幸せな味がすることでしょう」
「ん? 白い建物はとくに見当たりませんが……」
ただアンナは気づいていなかった。
レイラもまた同じようにアンナの背後からの絶景を狙っていることに。
いつもロングスカートをはいていたため、まだ子供特有の丸みの残るアンナの足は透き通るように白く瑞々しい。
この芸術品をもっとローアングルから眺めたい欲求をレイラは抑えられなかった。
「あ、こんなところに珍しい雑草が」
「え? どれですかレイラ」
「アンナ様は動かないで! 枯れてしまいます!」
「どういう原理で!? ――あっ、それよりもレイラの後ろのあたりからのアングルは眺めがよさそうですよ」
「そうなのですか? では一歩下がって――」
「動いちゃ駄目です! レイラも景色の一部なんです!」
……こうしてムッツリ主従の二人はお互いに向けられた下心に気づくことなく背後を取り合いぐるぐると回転しながら学生寮へと向かった。
「えっと……ボクたちが入る寮はここを右に曲がった先なんですよね?」
「はい、左は魑魅魍魎の巣窟です。間違っても反対側に進んではいけません。」
「あんまり滅多な表現を使うものじゃないですよレイラ」
レイラをたしなめつつも確かにその通りだとアンナは思う。
この学園では基本的には身分による差別はないことになっている。
学びたい者は誰であれ等しい教育を受けることができるし成績だって貴族だからと優遇されるわけではない。
しかしそうは言ってもひとたび学園を出てしまえば厳しい身分社会が待ち受けているわけで、やはり平民と貴族との間には大きな溝がある。
なのでこの場所でも一応身分の区別というものがあってその一つが居住地区の分離だ。
貴族は東側の高級寮に、平民は東側の一般寮に入ることになっている。
「このまま貴族地区に飛び込んだらもしかしたらセフィーネ様に会うことも出来るのかもしれませんが……」
「可能性はなくはないですが、また求婚とかされますよ?」
「い……言ってみただけです」
この地に辿り着く途中で経験した忌々しい記憶を呼び起こされアンナは青くなった。
貴族という人種はとても恐ろしいのだ。良くも悪くも権力とそれに見合った行動力を持ち合わせており、相手の都合というものを考えない。
アンナも旅の途中うっかり助けた紳士貴族に惚れられ危うく人妻にされそうになるという悲劇を経験した。
今でもアンナは夢に見るのだ。
……女性ならばイチコロになりそうな低音ボイスで愛を囁いてくる、髭がチャーミングなナイスミドルを。
あの時は丸一日鳥肌が治らなかった。
それ以外にも高圧的な態度を取られたり、理不尽な仕打ちを受けたりと貴族の人々とのトラブルを何度も経験させられ、さしものアンナも身分の違いがいかなるものなのかを理解することができた。
「この学校にいることは確かですから焦る必要はありません」
「そうですね。チャンスはいくらでも巡ってきます。まずは足場を固めるところから始めましょうか」
そのまま二人は平民地区に進み一般寮の管理塔に辿り着いた。
手続きは済んでいるはずなのでここで鍵を受け取ればすぐにでも部屋に入れるはずである。
ちなみに通常寮生は3~4人で共同生活を送ることとされており、部屋割りは学園側の任意で決められることになっているのだがアンナの場合はレイラという特殊な事情を抱えた従者がいるため、特別に二人で一部屋使うことを許可して貰った。
本当の理由は性別を隠さなければならないからなのだが、結果が同じならば細かい理由に関しては気にする必要はないだろう。
――アンナが入るのが女子寮でなければという但し書きが付けばの話であるが。
「れ……レイラ……なんだかさっきからすごく見られてるような気がします」
女子寮なので当然女の子がいる。
管理棟にも部屋はあるらしく数人の少女たちが見受けられたのだが、その誰もがこちらを見てぎょっとした表情を見せたあと、気まずそうに目を逸らして自分たちの部屋に戻っていくのだ。
その反応にアンナは背筋を凍らせざるを得なかった。
「ま……まさか早くもボクの性別がバレてしまったのでしょうか……」
最初はレイラを見て驚いているのかと思ったがどうやら違うようだ。
彼女はいま変装によって忌み子とは見なされない容姿になっている。
忌み子の特徴と言えば褐色の肌と赤い瞳なのだが、片方の特徴だけを備えた人種や種族はたくさんいる。
つまり、片方を誤魔化すことができれば忌み子だとは認識されないということに気づいたアンナは水属性の魔法でレイラの目の回りに擬似的なレンズを作り出し、反射率を弄ることによって違う色に見せることに成功している。なので忌み子として忌避されているわけではないはずなのである。
或いはレイラに生えいる獣耳と尻尾がそうさせているのかと思われたが逃げていった彼女たちの視線はことごとくアンナのみに視線を向けていた。
つまり原因はアンナ自身にあるはずなのだ。
この二年間――正確に言えばこの世界に生まれてから12年間、家族以外には一度として性別を疑われたことはなかった。
それゆえに慢心していたのかもしれない。
女性の感性は鋭いと言うし、年頃の乙女が集うこの場所ではより一層その感性が研ぎ澄まされていても不思議ではない。
「きっと罰が当たったんです。レイラの太ももをこっそり覗いたりなんかしたから、……滲み出る下心を察知されちゃったんです!」
「えっ!?」
思わずカミングアウトされた事実にレイラは珍しく素っ頓狂な声をだした。
直後に言葉の意味を受け止めたレイラは嬉し恥ずかしといった様子で耳と尻尾を揺らしてちょっとだけスカートの裾を上げてみるのだが、狼狽えるアンナには気づいてもらえず塩をふりかけられた野菜のようにシュンとなってしまった。
「でもおかしいです。普通アンナ様を見た女は羨望か嫉妬か情欲を抱くものなんですが……」
「最後の一つはおかしくないですか!?」
「とにかく落ち着いてくださいアンナ様。あれはアンナ様の秘密に気づいた反応ではありません。もし気づいたのであれば誰も指摘しないのは変です」
「た……確かにその通りですね」
ではなぜあんな反応をされたのかという謎は残るが……
「もしかしてこれが噂に聞くいじめというものなんでしょうか……。季節外れの編入生であるボクはすでに出来上がったグループの輪に入れてもらえないなんてことも……」
「とても歓迎するべき事態ですね……」
戦々恐々とするアンナを余所にレイラはボソッと呟いた。
今日も忠実なワンコは主人以外に興味がない。
「と……ともあれここで引き返すわけにはいきません。ボクたちには目的があるんですから」
そう、コルト村の顛末、両親の安否を知るためにここに来たのだ。
まだ、セフィーネと再会すらできていないこの段階でへこたれるわけにはいかないのだ。
それにまだいじめだと決まったわけではない。
確かなことがわからないこの状況で凹むなど時間の無駄で敷かない。
アンナはしっかりと前を向いて部屋の鍵を手に入れるため寮長室へと進んだ。
「げっ!? 厄介者――」
「やっぱりいじめが始まってるじゃないですか!!」
だが寮長室に入ってかけられた第一声にアンナの心はあっさり折られた。
せっかく気持ちを切り替えて作った明るい表情が一瞬にして崩れ去る。
「ああっ、違うのよアンナさん! 私は寮生みんなに公平な寮長だもの。嫌な相手にも笑顔で接しなくちゃ!」
どうやらここの寮長は思っていることが口に出るタイプらしい。
そこに悪意は見られなかったが初対面の相手を容赦なく嫌な奴認定するあたり、かなり面の皮が厚い人物のようだ。
あんまりな言いぐさに目に涙が滲んでくる。
(あれ? でも初対面で?)
そこでアンナは違和感に気がついた。
嫌な相手だとわかるためには事前に相手の何かしらを知っていなければならない。
今日やってきたばかりのアンナがここの寮長に悪感情を持たれる出来事など起こりうるはずがないのだ。
それに初対面のはずの彼女は確かにアンナの名を呼んだ。
そこから導き出せる答えと言えば、
「あの……寮長さん。ボクを他の人と勘違いしてませんか?」
「えっ?」
言われて初めて気づいたという様子で寮長はアンナをじっと見た。
「そういえば今日のあなたはなんだか佇まいに品があるような……。泥団子と焼き団子くらいの差があるような……」
微妙な例えを交えながら寮長は懐から眼鏡を取り出した。
どうやら視力が悪かったらしい。
そういえば途中で会った女の子たちもハッキリと目が合ったわけではなく、視線を合わせる前に逃げ出していた。
もしかしたら雰囲気だけで見間違いされていたのかもしれない。
「――はっ、何この子!? 本物のアンナさんより断然綺麗!!」
(だから思ったことそのまま口に出すのやめましょうよ!)
その言い方だとこっちが偽物ってことになってしまうではないか。
だが、その言葉から察するにこれまでの少女たちの反応はやはり人違いが原因だったようでひとまず安心である。
(それにしても名前まで同じなんですね……。ものすごい偶然です)
世の中には自分に似た人が3人はいるというがまさにその一人がいるところに舞い込んでしまったらしい。




