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救世主が男の娘でいいんでしょうか?  作者: せんと
第2章 彷徨える孤児
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第16話 聖女の過去2

 侯爵家五男。

 そこいらの平民と比べれば遙かに恵まれた生活を約束された身分であり、しかし一方貴族としてみるならば大成の日の目を見ることは無いであろう不遇な立ち位置。

 そんな境遇のもと生まれて来たのがハルゲン・グレーザーだった。

 ただ幸いなことに彼の両親や兄弟は善人とは言わないまでも、家族に対する愛情は持っている者たちでハルゲンが家の中で肩身の狭い想いをすることはなかった。

 しかし家族以外の者たちまでハルゲンを好意的に見ていたかと言えばそうではない。

 兄弟の中で一番勉強が出来ず、剣術にはそこそこの才能を見せるも他の兄弟の方が実力は上でぱっとしない彼に対して使用人たちは他の兄弟よりも明らかに下に見た振る舞いをし、幼いながらもハルゲンはそれを感じとっていた。

 加えて彼の容姿が優れなかったこともコンプレックスを加速されることになったのだろう。

 彼が物心ついた頃にはすっかり捻くれた卑屈な少年になっていた。

 コンプレックスを覆い隠すように使用人たちに辛く当たり、自分が優位に立っていることをせめてもの慰みとして噛みしめていた。

 しかし家の中でそんなことを行っていればいずれは、ハルゲンの行為は当然親の耳にも届いてしまう。

 両親からの説教を受けたハルゲンは、しかしそれで改心することはなく、憂さ晴らしの対象を外へと求めた。

 目を付けたのは街の外れにあるスラム街だ。

 もしも領民に手を出せば、いくら領主の息子と言えどある程度の罰は与えられる。しかしスラム街の人々は税を納めておらず領民とは認められていないため、どんな扱いをしても咎めは受けないのだ。

 そこならば好きなだけ憂さ晴らしが出来る。そこに行けば自分は唯一の『勝者』だ。逆らえる者など一人もいないその場所はきっと自分に取って楽園に違いない。

 ハルゲンは濁った微笑みを浮かべてスラム街に赴いた。

 もちろんその場所に危険があることは理解していた。だからハルゲンは比較的市街地との境に近い領域で、呼べばすぐに衛兵が駆けつけてくれるであろう場所にいる人々のみをターゲットにした。

 スラムの奥に行けば荒くれ者の数も多くなるが周縁部分は老人や子供が多いのだ。力も金も地位もない相手ならば自分は王にだってなれる。ハルゲンはそう思っていた。

 実際最初の内はスラム街の人々は彼の望む通りの反応を示した。侯爵家の名を出せば怯えた様な表情で従うし、罵倒を浴びせても卑屈な笑みを浮かべるだけで逆らうことはなかった。

 だがある日、何時ものように憂さ晴らしをしようと自分と同じくらいの年齢の少年とその母親をターゲットにしたときに事件は起こった。

 ハルゲンとしてはいつもと同じことをしただけのつもりだった。だがその日だけは何故か相手の怒りを買ってしまい殴りかかられてしまったのだ。

 少しは才能があると言われていた剣術はとっくに錆び付いており抵抗することすらできずハルゲンはボコボコにされてしまった。

 途中から意識が飛び後のことは覚えていないが、次に目が覚めたときはボロボロの状態で地面に転がっていた。

 ハルゲンは一瞬、自らをこんな目に遭わせた少年に怒りが湧き、復讐の二文字が浮かんだが全身が鈍い痛みに襲われて動くことが出来なかった。

 それ以上に、この場所でも自分は上に立つことなどできないのだという事実を突き付けられた気がしてハルゲンは涙を流した。

 ――そんな彼に救いの手を差し伸べてくれたのはまだあどけなさの残る少女だった。


『あはは、ボロボロだね。顔がパンパンに膨らんで酷いことになってる』


 地面に横たわるハルゲンの隣にしゃがんで見下ろすような姿勢で笑いかけてきた少女を見てハルゲンは息を呑んだ。

 ウェーブの掛かったベージュの髪、透き通りようなアクアグリーンの瞳。

 恐らく自分と近い歳であろう少女。しかし自分よりもずっと大人びて見える。

 少女はそっと手をかざすとハルゲンはふわりとした温かさに包まれるのを感じた。

 徐々に全身の痛みが引いていく。治癒魔法を施されているのだとわかった。

 よく見れば少女の服装は神官のものだ。そういえば父親が新しい神官が赴任してくるとか言っていた。彼女がそうなのかもしれない。

 だがその時彼の心を占めていたのは別の感情だった。

 ボロボロに傷ついた自分とそれを優しく癒やしてくれる女の子。ありきたりだと言われてしまえば否定のしようはないのだが、ハルゲンの胸は高鳴らずにはいられなかった。


『でも今のは君が悪いよ! あんなことされたら誰だって怒るもん』


 しかしその淡い想いは彼女の言葉により一瞬で別の感情へと変わった。

 どうやら彼女は一部始終を見ていたらしい。それどころかハルゲンが悪いのだと説教まで始める始末。

 助けに入らなかったことよりも怒られたことの方がハルゲンには痛手だった。

 この少女もまた、他の人のように自分を蔑むのだと思ってしまったのだ。

 一度そう思ってしまえば引っ込みは付かなかった。ハルゲンはスラム街の人に向けたのと同じような酷い言葉を少女に投げつけ、逃げるようにその場を去った。




 翌日、昨日の出来事を引きずり暗い顔のハルゲンだったが、屋敷にいたとて自分の居場所があるわけでもないため仕方なくスラム街の方に歩みを進めていた。

 昨日のことはいろいろと考えた。自分に説教を垂れたあの少女にどうにかして復讐してやろうと画策したが、侯爵家といえど五男の落ちこぼれと幼いとはいえ神官の資格を持っている少女では後者の方が社会的地位は高い。結局彼女は自分の兄弟たちと同じ上に立つ側の人間なのだと認めざるを得なかった。

 きっと彼女は自分を軽蔑しているだろう。虐げていた弱者にさえ打ち負かされて逃げ出したこの哀れな男を。

 そして他の兄弟の存在を知っていつも通りの感想を抱くのだ。――ああ、こいつは出来損ないなんんだ、と。

 それ以前に自分は酷い暴言を吐いてしまった。あの美しい少女に向かって醜女だのなんだのと的外れ甚だしい罵倒をしてしまった。

 誇れない容姿をしているのは自分の方だというのに、きっと少女はハルゲンが去った後あまりの滑稽さに失笑していたことだろう。


『ああっ、昨日の男の子だ!』


 しかしハルゲンの被害妄想の混じった推測など星空の彼方に吹っ飛ばさんばかりの明るい笑顔を浮かべた少女が彼の前に立ちはだかった。


『もう! どうして逃げちゃったのさ、治療は完了してなかったのに!』


 わざとらしくぽっぺを膨らまして怒ってますアピールをしてくるが、本気で怒っているわけではないことは捻くれ者のハルゲンでもわかる。

 ハルゲンには今、いったい何が起こったのかまったく理解できなかった。

 あれだけ険悪な別れ方をしたのだから普通はもっと嫌な態度を取るはずだ。少なくとも屋敷の使用人たちはかつてそのような態度を取った。

 なのに何故何事も無かったかのように笑えるのか。小言一つ言わず手を取って話しかけてくれるのか。

 しかしもっと理解不能の言葉を少女が吐く。


『さ、昨日の男の子に謝りに行こ!』

『――は!? お前は何を言ってるんだ!!』


 これには思わず突っ込んでしまう。

 貴族である自分がなぜ最底辺にいる少年に謝罪などしなければいけないのか。

 謝るとしたら自分に傷を負わせた少年のほうであってしかるべきだ。

 この少女はきっと世間を知らないのだとハルゲンは思った。シュトレア教の教えは本質的な所では身分制を認めていない。だからこの少女は教義を真に受けて人類みな平等などという絵空事を信じているに違いない。


『だって、あなたはそのことをすごく気にしているでしょ?』


 ハルゲンの予測はまたもや裏切られる。身分云々などまったく関係なく、ハルゲンのためなのだと少女は宣ったのだ。

 ――なにを馬鹿なことを。

 そう一笑に付そうとして、しかし自分の顔が引きつっているのにハルゲンは気づく。


『あなたはずっと辛そうだったよ。ボコボコにされる前からずっと。私はあなたの事情を知らないけど昨日のことがあなたを苦しめてるのはわかるよ。だから――』

『――うるさい!!』


 たまらずハルゲンは怒鳴った。

 怒鳴りながらも一歩後ずさってしまった。

 彼女の澄んだ瞳に自分の矮小さを見透かされてしまった気がして。

 なぜあの少年が貴族である自分に手を上げるという破滅をもたらす危険を冒してまで殴りかかったのか。

 本当はハルゲンだって理解していた。

 ハルゲンは母親の前で少年に言ったのだ。こんな親の元に産まれてこなければもう少しマシな生活が送れたのにな、と。

 それだけではない。無能ならばせめて強者の機嫌でも取って見ろといって、金を餌に靴を舐めさせようとした。見るからにやせ細っていて今日食うものにも困っている母親にとって拒否するという選択肢はなかっただろう。そして屈辱に耐えながらもやりきった母親にむかってハルゲンは言ったのだ。そんな惨めな姿を晒して恥ずかしくないのかと。こんな親の元に産まれてくるなら死んだ方がマシだと。

 その直後だ。少年の拳がハルゲンの顔面に届いたのは。

 ……一体どの口が言えたのだろう。

 本当の恥知らずは自分自身だと言うのに。あの母親の生きるためにハルゲンに立ち向かったのだ。その姿はハルゲンから見ればプライドの無い行為に映ってしまうのかもしれない。

 だが生き残って息子にせめてもの食べ物を与えることこそ彼女の矜持なのだ。

 向けられた蔑みからただ逃げ続け、自身を高めることをも放棄して弱者をいたぶることを慰めとするハルゲンとは根本が違う。

 それを見せつけられたからこそハルゲンの鬱屈はより増して、エスカレートした暴言を吐いてしまったのだ。

 そんなことは自分でもよくわかっているのだ。

 だが、それを自覚したからと言ってなんだというのか。そこで素直に非を認めることができる勇気があるならばこんなことにはなっていない。

 ましてや、年の近い少女に指摘されたとなれば自分はより意固地になってしまうだろう。


『そっか。じゃあさ、街を案内してくれないかな? 私ここに来たばかりでどこに何があるのか全然わからないくて♪』

『……は?』


 しかし少女はそれ以上の追求をすることはなかった。

 先ほどの話などなかったかのように屈託の無い笑みを向けてお願いしてくる。


『ね? 今度は逃げないで付き合ってよ。ハルゲン様』


 どうやら彼女はとっくにこちらの素性を知っていたようだ。知った上でまた話しかけてきたらしい。


『……名前を知ってるってことは、俺の評判も知ってるんだろ?』

『うん、出来損ないなんだってね!』

『なっ――てめぇ! 喧嘩売ってるのか!?』

『いいじゃない。出来損ないでも街の案内はできるでしょ?』

『はぁ!? そういう問題じゃ――』

『ほら、私も暇じゃないんだからはやく案内してったら』


 少女は強引だった。ハルゲンの話など聞く耳持たずで腕を掴んで引っ張って行く。

 その手を振りほどこうとすれば簡単にできたのかもしれな。

 だがハルゲンはしなかった。

 ……何となく毒気を抜かれてしまったのだ。

 少女の言動は身勝手なものだったが悪意は感じられなかった。

 ただ彼女が思うままに振る舞っているのだとそう思えた。

 だからだろうか。ハルゲンは彼女から見た自分像というものに怯えずに接することができたのだ。

 ――こうしてハルゲンはなし崩し的に少女と交友を持つようになった。




 不思議な少女――ヘルミーナに出会った日から、ハルゲンは少しずつ変わっていった。

 最初は彼女の気まぐれな行動に振り回され大変な目に遭った。

 彼女は貧しい人や病人を見つけてきては無料で治療を施し、そのたびに司祭からお叱りを受けていた。しかもなぜかハルゲンまで巻き添えで。

 それでも彼女は止めようとしなかったため、ハルゲンはわざわざ自分のお小遣いを使い治療費を受け取ったと偽って説教を回避するようになった。

 その姿を見てヘルミーナにも思う所があったのか、司祭の説教など聞く耳持たなかった彼女もちゃんと教会の制度に沿うように動くようになった。

 だがそれで大人しくなったのかと言えばそうではなく、彼女はスラム街のより深い部分にまで足を踏み入れ、治療を試みようと言い出した。その結果、彼女の身の安全を守ろうとハルゲンはまたも振り回される。

 親に頼み込んで衛兵を使わせて貰ったり、自らも剣の稽古を再開したりとそれはもう見事な振り回されっぷりだった。

 だが、そんな忙しい日々を過ごしてきたハルゲンは、いつの間にか周りの目を気にすることがなくなっていたことにふと気づいた。

 今でも口さがない人々はハルゲンを兄弟と比べてこき下ろす。しかし、そんな下らないことしか言えない人たちの評価なんて自分には必要のないものなのだと思えるようになった。

 過去の自分の行いにもやっと向き合える勇気を持つことができ、あの日酷いことをしてしまった親子にも謝ることができた。

 それらがすべてヘルミーナの計算の上で行われたことだとは思わない。彼女はただ自分のやりたいように、自分の信じることを素直に実行しているだけなのだから。

 でも意図的に何か後押しをしてくれたわけではないとしても、彼女はハルゲンが自らのコンプレックスに立ち向かう勇気を持つまで側にいてくれた。

 いつの間にかハルゲンにとってヘルミーナは掛け替えのない存在になっていた。

 ハルゲンは彼女が何を考え、何を欲し、何を喜ぶのか知りたくてずっと側で見守り続けた。

 それでわかったことがある。

 気まぐれで動いていたと思っていた彼女の行動はすべて一つの信念に基づいていたのだと。

 彼女は不幸な子供を作り出さないよう必死だったのだ。そのために子供のみならずその親、はてはスラムというコミュニティー全体を作り替えようとしていたのだ。


『だって社会全体が裕福になれば子供を捨てる親もいなくなるでしょ? そうすれば子供は元気に育ってちゃんとした仕事に就いて税だって収めてくれるようになるもん。良いことずくめだよ!』


 嬉しそうに夢を語ってくれたヘルミーナを見てハルゲンは確信した。ここにこそ自分の役割があるのだ。

 ヘルミーナの理想は立派だが、それを成し遂げるには財力と権力が圧倒的に足りていない。彼女の性格柄それを求めるのは難しいだろう。だから侯爵家に連なる自分がそのサポートをしてあげなければならないのだと。

 ハルゲンは父親に頭を下げてお金を借りた。その頃には家族に対する苦手意識も薄れており、父親も前向きになった彼の姿を喜び気前よく貸してくれた。

 ハルゲンはそのお金で学校を建てた。授業料を一切取らない、身分を一切問わない平等な教育機関を作った。

 最初人々はハルゲンを馬鹿にした。出来損ないが女にそそのかされて馬鹿なことをしたものだと。しかし一年、二年と歳を重ねる毎にその評価は覆っていった。

 学校を出た子供たちが様々な場所で活躍しだして評判になっていったのだ。そのことでヘルミーナとハルゲンの名は一気に広まり二人の歩みは大きな一歩を踏み出すこととなる。


 それからの毎日はとても幸せな時間だった。

 学校に行けばヘルミーナと子供たちの笑顔に迎えられ、卒業生たちが各地で活躍した話を聞いては喜び、そしてハルゲン自身にも好意的な評判を与えられる。

 とても満たされた生活だった。

 唯一問題があるとすれば世間ではとっくに行き遅れと言われる年齢を超えたヘルミーナにその手の話がまったく上がらないことだ。

 正確には彼女に求婚する者は何人もいたし、30も半ばを過ぎた今でさえ衰えることの無い美貌を持った彼女に思いを寄せる者はたくさんいる。しかし彼女がすべて断ってしまっているのだ。

 ハルゲンは彼女が断りを入れたという話を聞く度に複雑な心境になりながらも内心安堵していた。

 彼も同じく独り身だったが、ヘルミーナに結婚を申し込むつもりはなかった。いや、正直に言えば結婚願望はあった。しかし彼の中であまりに大きな存在となってしまったヘルミーナに対して恋心を晒す勇気などなかった。彼女は自分が誤った道に進むのを止めてくれた。それどころかコンプレックスを取り除いてくれて生き甲斐まで与えてくれた。

 こんなにも多くのものをもらっているのに自分が返せたのはほんの一部でしかない。そんな自分がヘルミーナと結ばれようなどあまりに不釣り合いだと思ってしまうのだ。

 だから彼女が結婚の意思を示さないことはハルゲンにとっては良いことだった。夫婦とならないのなら、彼女の一番側にいられるのは自分なのだから……。




 だが、そんな幸せな日々は一瞬で崩れ去ることとなる。

 それはハルゲンがシューゲンに隣接する教区から学校建設の打診を受け、ヘルミーナの側を離れていたときに起きた。

 ヘルミーナの育った街、ロスベックがロットレイブンの群れに襲われたという報告をハルゲンが聞いたのは、既にヘルミーナがシューゲンの街を飛び出し一日が過ぎた後のことだった。

 話によればロスベックの神官は全滅しており、シューゲンの街にいるはずの神官たちも運悪く(・・・)他の教区へ出向いているとのことでロットレイブンが放つ猛毒を清めることができるのはヘルミーナただ一人だけだという。いくら彼女が治癒魔法の使い手であったとしても、街全体を覆う毒に対抗するなどあまりに無謀なことだった。それにロットレイブンの毒を吸ったならば生きていられるのは持って半日だ。どれだけ急いでもシューゲンから一日はかかることを考えれば彼女が間に合う望みは薄い。

 いや、それだけならまだいい。助けられる見込みが皆無だと理解して彼女が救助を断念してくれるのならば、それほど嬉しいことは無い。薄情と言われるかもしれないが、ヘルミーナさえ無事ならばハルゲンにとっては最悪ではないのだから。だが彼女はあまりに保身に対して意識が薄い。もしも危険を顧みず汚染された街中に足を踏み入れるようなことがあれば……。

 ハルゲンは鬼の形相で馬を走らせる。

 こんなところで終わっていいはずがないのだ。

 彼女にはまだたくさんやらねばならないことがある。

 必要としてくれる子供たちがたくさんいる。

 だからたとえ彼女の信念を曲げることになっても救助を止めなければ――




 そして辿り着いたハルゲンを待ち受けていたのは一面焦土となったロスベックの残骸だった。


『申し訳ございません。これ以上汚染を広げるわけにはいきませんでしたので』


 側にいた教会の関係者らしき数人のうちの一人がそう告げた。

 ヘルミーナが街の内部に姿を消してから既に一日が過ぎており、もともと生存は望めなかったと付け加える。

 後から考えればいくらでも不審な部分はあったが、彼らに構っている時間など一秒とてなかった。

 焼け跡となった街跡をハルゲンは走り回った。

 どこもかしこも焼け野原で、助けを呼ぶ声も、苦しみにもがき苦しむ叫びも何一つとして聞こえてこない完全な沈黙が辺りを覆っている。

 それでもハルゲンは信じて探した。

 辺りが夕焼けに赤く染まり、他の者たちが撤収した後も。空一面に星が輝き、手元などほとんど見えなくなる時間になってもずっと。

 いつの間にか瓦礫をかき分ける手は止まり瞳からボロボロと涙が流れだしていた。

 こんなに惨めな泣き顔を晒すのはヘルミーナと出会ったあの日以来だった。

 もう……この涙を止めてくれたあの人には会えないのだろうか。

 ハルゲンの心を諦めが満たし始めたその時――奇跡が起こった。


『まったくあなたは子供みたいに……。もうそんな歳でもないでしょ』


 ハルゲンが決して聞き間違えることのない、最愛の女性の声が耳に響いた。

 大きな喜びと共に顔を上げ、彼女の姿を捉えるハルゲン。

 しかし彼はヘルミーナの姿を見るなり驚愕する。

 いつも髪で隠れていた彼女の耳が見えていたのだ。人間としてはありえない長い耳(・・・)が。


『……できればこの姿は知られたくなかったわ』


 考えて見ればおかしな点はいくつもあった。

 ヘルミーナは他の神官と比べものにならないほどの魔力を持っていたし、魔法の技術も一線を画していた。

 それにいくら彼女が美しいとは言っても年を取れば少なからず衰えはくるものである。それなのに彼女はいつまでも若い頃のままで、まるで自分たちとは時の流れが違うかのようだった。

 それこそ話に聞く妖精族(エルフ)のように……。


『この子を助ける途中でピアス(・・・)が壊れてしまったみたい。まさか最期の最期でばれるなんてね』


 この子、と言われてハルゲンは初めてヘルミーナが小さな子供を抱いているのに気づいた。

 だがヘルミーナが子供を渡そうと近づいたことでもっと重要なことに気づいてしまった。

 彼女は体の至る所が焼けただれ、血を流していた。

 それこそ立っているのが不思議なほどの重傷だった。


『ヘルミーナ……その怪我は……』


 その瞬間、ハルゲンの頭からは子供のことも彼女が亜人なのかもしれないという事実さえも吹き飛んだ。

 そして治癒魔法が使えるはずの彼女が怪我を治さずここにいることの意味を察してしまい全身が凍り付いた。


『あはは……悔しいけど魔力切れみたいなの……』


 力なく笑ってヘルミーナは抱いていた子供をハルゲンに託す。


『だからねハルゲン。この子をお願い。私が命を賭けて救えたただ一つの命なの……』

『何を……言ってるんだ……?』

『あなたもわかってるんでしょ? もう私は……助からないって。それにきっと私の正体は知られてる。ここで私が助かったらまた(・・)この悲劇が繰り返されるかもしれない……』

『それって――』


 この惨状を意図的に作り出した者がいる。ヘルミーナはそう言った。それが彼女のせいで引き起こされたものだとも暗に示す。

 シューゲンの聖女とまで呼ばれたヘルミーナが亜人であるという事実が広まって困る相手など一つしか思いつかない。

 亜人排斥を掲げる教会を運営する側の人間たちだ。


『あはは……頼んどいてなんだけど、ちょっと心配だな。あなたは一人で思い悩んじゃうところがあるから』


 だが彼女はそれ以上教会については触れなかった。

 ただ優しげな微笑でハルゲンの頬を撫でて不安を漏らす。


『やめろよ……やめてくれよ……。お前はいつもそうだ。そうやって自分のことばかり主張して俺を置いてけぼりにして……』


 初めて会ったときもそうだった。彼女は身勝手で強引で……大人になった今でもこの癖は治っていない。

 でもそんな彼女だからこそハルゲンは救われたのだ。

 そんな彼女だけが自分の生きる意味だったのに……


『ううん。あなたは……もう一人じゃない。たくさんの人が……あなたのことを見守ってくれてる。だから……意味がないなんて……言わない……で……』

『無理だ……そんなこと思えるわけ無いだろ……。だから死ぬなよ……。死なないでくれよヘルミーナ――!!』


 ヘルミーナの最期の願いだというのにハルゲンは頷くことができなかった。

 ただ悲しみに涙を流し続け、愛する女性の名を呼び続ける。

 呼びかけに応えなくなり、体が冷たくなったあともずっと……。


 


(あの後俺は背後関係を洗い出そうと教会の裏事情に目を向け、ヘルミーナが殺されたのは彼女が亜人だという以外にも理由があったことを知った)


 過去から意識を引き戻しハルゲンは思う。自分は外の世界に対してあまりに無頓着過ぎたのだと。

 あの事件の裏に教会の帝国勢力牽制の意味が込められていたことを知り、激しく後悔した。もしちゃんと注意深く外に目を向けていたならば回避できていたかもしれない悲劇だったのだから。


(仮定の話など意味はないがな……)


 あの後ハルゲンは死ぬことも考えた。だが悲しみにも勝り彼の心を埋め尽くしたのが圧倒的な憎悪だった。

 その怒りの赴くままに事件の関係者たちを一人残らず葬り去り、それでも彼の怒りは収まらず次なる復讐相手を探した。その果てに辿り着いたのが教会解体という結論だった。

 そのために帝国の手先となり、もっとも忌み嫌う聖職者に自ら身をやつし、本拠地である聖都に乗り込んだのだ。

 ……そして今、時は満ちた。


「――では汝の頭に冠を。女神シュトレアよ! この者が誠に汝の代弁者たる資格を有する者ならば今こそ奇跡を見せ給え!!」


 聖遺物を語った人工物(アーティファクト)がハルゲンに戴冠される。

 失敗などあり得るはずも無い。奇跡は人の手で起こされるのだから。 

 ハルゲンはその瞬間を待ち構える。燃えさかる憎悪にその身を焼きながら。



 ……しかしいつまで待てどハルゲンの勝利を祝福するはずの奇跡が起きることは無かった。

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