第15話 聖女の過去1
かつてヴィードバッハ帝国辺境の都市ロスベックに一人の少女がいた。
彼女の名はヘルミーナ。
赤ん坊の時分に修道院の庭先に捨てられていた孤児である彼女はそのまま修道院で育てられることとなり、女神の教えと共に日々を過ごすこととなった。
ヘルミーナには魔法使いの才能があった。
第5階梯の素質を持ち、その才能に驕ること無く修練を続けた彼女は弱冠十歳にして治癒魔法取得の秘蹟を受けることとなり見事に上級神官の地位を手に入れる。
治癒魔法が使えることが絶対条件である上級神官は一つの教会に対して最低一人以上を置くことを義務付けられた存在で、場合によっては司祭の地位に就ける者もいる。
流石に年齢も経験も足りていないヘルミーナが重要な役職に就くことはなかったが、大都市であるヴィードバッハ帝国グレーザー侯爵領シューゲンへ治癒魔法使いとして派遣された。
そこで彼女は一人の少年と出会うことになる。エスティアナの父でありグレージャー伯爵家五男のハルゲン・グレーザーその人だ。
具体的にどのタイミングでどのような出会いをしたのか。それを知る者はもはやハルゲン以外にはいないため他人の知り及ぶところではないのだが、年の近かった二人はいつの間にか仲良くなり、よく行動を共にしていたという。
ヘルミーナには一つの夢があった。
それは自分と同じように親のいない子供たちが泣くことのない世界を作ること。
そのために彼女は神官としての給金をすべてなげうってスラムの子供たちに治療を施し、食料を与えた。やがてその活動は広がりを見せ、いつしかその地方一帯を巻き込んだ貧困救済のための活動へと成長していくこととなる。
もしもヘルミーナ一人だったなら個人の活動の域を出ることはなかっただろう。しかしその想いをハルゲンは全力で支えた。
五男とは言え侯爵家の子息だった彼の財産はそれなりのもので、かつハルゲンはそのお金を惜しげも無くヘルミーナの支援につぎ込んだため、慈善活動は日々規模を増していき彼女の名と共に広まっていった。
「そうしていつの間にか彼女はこう呼ばれるようになったのだ。『シューゲンの聖女』と」
そこで一旦オクタビオは会話を止めて紅茶を飲む。
その所作は優雅で無駄が無く彼の育ちの良さを垣間見せる。
「フッ」
ただ飲み終わった後にドヤ顔をしてこちらに流し目を送るのは止めて欲しい。
男の自分から見ても見惚れてしまう程の容姿だとは思うが、あまりナルシスト感を出されると引いてしまう。
でも意外にもこういう性格の男がモテたりもするから女の人というのはわからないものである。
(まぁすべては『ただしイケメンに限る』という前提ありきなんでしょうけどね……)
アンナは心の中で愚痴った。
イケメンはそれだけで得をするからずるい。
できれば自分もそっちの方面に成長したいものである。
(って、今は関係ないことですね)
いきなり知らない女の人の話が始まったので理解が追いつかず思考が逸れてしまった。
というか現時点でもエスティアナとの関連性がいまいちわからないのだが。
「その二人の子供がエスティアナ様……ってことはないんですよね?」
オクタビオの言葉を信じるならばエスティアナはハルゲンの本当の子供では無いらしい。
ということはもしかしてヘルミーナが他の男と作った子供なのだろうか?
そういえばエスティアナが母親について話したことは一度もない。
――つまりエスティアナの誕生には愛憎渦巻くドロドロの昼ドラ展開が!?
「残念ながら君の考えているような交尾の話では無いぞ?」
「こっ、――交尾って!? そんなこと考えてません!!」
割り込んできたロランの言葉に思わず赤面してしまう。
いや、突き詰めて言えば間違いではないのだが、交尾という生々しい表現はやめてほしい。
(というかまたあなたですか)
なんかさっきからやたらとロランからの茶々が多い気がする。
腰掛けようとした椅子を後ろに引かれて転ばされたり、わざわざ彼自身が紅茶を入れてきてくれたかと思ったらアンナのだけ砂糖の代わりに塩が入れられてたりとまるで小学生がするような低レベルな悪戯が続いている。
今もこうやって赤面するアンナを見てニヤニヤ笑っているのだ。
ガキ大将にいじめられるの○太くんの気持ちがわかった気がした。
「そ……それで真相はどうなんですか?」
これ以上付き合っていても話が進まないしロランを調子づかせるだけなので、もう気にしないことにしてオクタビオに視線を合わせる。
「結論から言えば二人の子供である可能性は皆無なのだ。何せ彼女は死の直前まで、毎日欠かさず奉仕活動を行っていた。その間に腹が膨らんでいたなどという話は出ていない」
「……亡くなっていたんですね」
「ああ……。シューゲンの教会に赴任してから25年の間、彼女に特定の相手がいたという話はなかったそうだ。それはハルゲンに関しても言える事だった。最初こそ二人の仲を疑う者もいたが、嫁ぎ遅れと言われる歳をとうに過ぎても二人が男女の仲になることはなかった。修道女と違い、神官には結婚の自由がある。そして上級神官と侯爵家五男ならば身分的にも釣り合いが取れないということはない。だと言うのに結婚をしないというのは不自然だ。二人は完全にプラトニックな仲だったと我は踏んでいる」
到底理解できない心理だがね、とオクタビオはため息を吐く。
「だからこの話がエスティアナ嬢へと繋がるのはヘルミーナ嬢の最期、彼女の故郷とも言えるロスベックの街にロットレイブンの大群が押し寄せるという事件が起きたときだ」
「ロットレイブン!?」
アンナはその魔物の名を知っていた。
ロットレイブンとはカラスの姿をした魔物で、普段は山の奥深くで暮らしている。
戦闘力という意味では武器を持った大人ならば軽く殺せる程度の雑魚なのだが、彼らが怖いのはその性質だ。
彼らは餌として腐った動物の肉や、毒性の強い植物を好み、取り込んだそれらの有毒物質は彼らの腹の中で合成され猛毒へと姿を変えるのだ。
それは糞として体外に放出されるのだが、その糞に汚染された空気を吸った者は半日間悶え苦しんだ末に死ぬのだという。
ゆえにロットレイブンを見つけたさいにはすぐに焼き殺し、神官に浄化処理を依頼しなければいけないという決まりがあった。
「そんなものが大群で押し寄せてきたら街はあっという間に汚染されちゃうじゃないですか……」
「左様。事実ロスベックはその事件で壊滅的なダメージを受けた。しかも運の悪いことに最初に被害に遭ったのがロスベックの教会付近で、そこにいた神官たちは浄化する暇も無く猛毒の餌食なって倒れてしまった。その中にはヘルミーナを拾い育ててくれた者たちもいたはずだ。その話を聞きつけたヘルミーナは回りの制止を振り切ってロスベックに向かった。彼女が街に辿り着いた時、そこは死屍累々の地獄絵図だったという。できうる限りの速さで辿り着いた彼女だったがそれでも時間が掛かりすぎていたのだ。そしてヘルミーナ自身も救助の途中で毒にやられて命を落とした」
「その中でただ一人助けられたのがエスティアナ様ということですか?」
「いや、その事件で助かった者は一人もいない」
「えっ? それじゃあエスティアナはどこで関係が……」
「正確には記録上は……ということだ。実際この事件は生存者0の痛ましい出来事、『ロスベックの悲劇』として有名だ。生存者がいたという話は我の情報網を持ってしても掴むことはできなかった。ただ一つ気になる点があってね。その事件の一月ほど前にロットレイブンの好物である腐乱香が買われる動きがあったのだ」
「誰かが意図的に起こした事件だったということですか?」
「その通り。我で無ければ気づけなかっただろう。なにせ腐乱香は各地で少量ずつ買われていた。買った者も流れの冒険者や薬師、魔物使いなどばらばらだ。だが我が実家の商会を通じて当時の帳簿を調べたところ薬の購入時期はほぼ同時期だった。さらにその数ヶ月前にヘルミーナのいた地区の司教で入れ替えがあった。今でこそ表面化している帝国派対反帝国派という構図だが、当時はその走りで教会中枢ではヴィードバッハ帝国の影響力を削ごうという機運が高まっていた。彼らにとってヘルミーナという存在は帝国貴族であるハルゲンと懇意にする帝国側の人間。排除の対象となっていたとしても不思議ではあるまい?」
「そうなんでしょうか……」
この推理はあくまでオクタビオの想像の域を出ていない。
何も知らなければ胡散臭い陰謀論だとしてまともに受け取らなかっただろう。
だが現に権力闘争に巻き込まれている現状ではある程度現実味を帯びた推理であると感じられた。
「あれ? でもおかしくないですか? 事件の真相がオクタビオさんの推測でしかないなら、エスティアナがその時に生き残りだという考えはどこから出てくるんですか?」
「我は思うのだよ。肉体こそ繋がりはなかったが、ハルゲン卿とヘルミーナ嬢は誰よりも深く心で繋がっていたのだと。だと言うのにハルゲン卿は事件のすぐ後に結婚を発表し子をなした。それは何故だろうか?」
「エスティアナ様を実子として迎えるための偽装したと言うんですか? ――でも待って下さい! 今までの話を聞く限りそれを公表されて困るのは教会側の人間じゃないですか」
エスティアナを匿おうとしたということは教会側の悪意にハルゲンが気づいていたということになる。
そうであるならば、わざわざ我が子として偽装する必要など無い。陰謀に巻き込まれた犠牲者だと堂々と発表し、エスティアナを証人として教会の蛮行を暴き、責め立てればよかったのだ。
泣き寝入りのような真似をする理由などハルゲンには何も――。
そこまで考えてアンナはある可能性にいきついた。
「……つまり教会側にもハルゲン様側にも公になって不都合となる真実があったということですか」
「ご明察だよ。それこそが今回の教皇選挙を左右する重要な鍵であり、我らの理想に最も与してくれる真実なのだ」
「ではその真実とは?」
アンナは問いかけオクタビオは応えなかった。代わりにふっと笑みを返しアンナの手を取る。
「我は愚かな女も好きだが聡明な女もまた好みだ。どうかな? 教皇になった我と一番最初に肌を重ねる栄誉に与るというのは」
どうやらもったいぶるつもりらしい。
もっともここまで話を聞けばある程度の推測は立てられるが。
「残念ながら心に決めた人がいますので」
「そうか。気が変わったならいつでも来るといい」
アンナがさらりと断りを入れるとオクタビオもあっさり引き下がる。
もともと答えを盾に迫るつもりはなかったのだろう。どちらかと言うと気が向いたので誘ってみたと言ったところか。
出会って間もないがなんとなくオクタビオの為人が見えてきた。
それに答えをはぐらかすつもりも彼にはないようだ。
いつの間にかオクタビオは紅茶を飲み終えていた。
既に話は終わったと言うように無言で立ち上がり扉へと向かう。
ロランとアマデウスの二人も彼に続き立ち上がる。
「さぁ、君も来たまえ。真実というものはしっかりと整った舞台の上でこそ明かされるべきなのだ」
++++++
踏みしめる足音が徐々に大きく、速くなっていくのを感じる。
一歩、また一歩と踏み出すたびに心も逸る。
無理もない。長年待ちわびた瞬間がもうすぐやってくるのだから。
「本当によろしいのかな、ハルゲン卿」
「よい。勝負を放棄したのは相手の方だ。後から文句など言わせはせんさ」
自分でも事を急ぎすぎている自覚はある。
だがそれが何だというのか。
あの時から15年間も耐えてきたのだ。
もはや若造の小賢しい嫌がらせなどに付き合っている忍耐など残っていない。
「だが戴冠の儀は本当に大丈夫なのか? あれには儀式のためのアーティファクトを管理する聖法騎士団総長の承認が必要なはずだが」
「承認なら既に貰っている。この選挙が始まる遙か前からな!」
聖法騎士団総長ダンテ=アマート。
彼のエスティアナへ向ける視線に邪な感情が交じっていると気づいたのは5年前。エスティアナが治癒魔法を習得し上級神官の資格を得た時のお披露目会でのことである。
ハルゲンはすぐに調査を行い、彼がいまだに下の意味でもお盛んな現役だとわかるや、エスティアナを餌に協力を仰いだ。
ダンテは呆れるほどあっさりと陥落しハルゲンの協力者となった。
彼と取り交わした約束はエスティアナの安全を守りハルゲンを教皇の座に就くための手助けをすることと引き替えに、教皇就任の暁にはエスティアナの操を捧げるというもの。
団長に上り詰めるだけの実力があるロディがエスティアナに付きっきりで護衛に付くことが許されているのもダンテの采配のお陰である。
(まぁ二度も誘拐を許してしまっているがな)
だがそれは護衛を受け持っているダンテ側の責任だ。例え既にエスティアナが亡き者にされていたとしても文句は言わせない。
それにあのダンテが二度も同じ失敗を犯すとは思えないし、なにより入手間近な獲物を諦めるなどあのエロ親父が許すはずが無い。恐らく既に手は打ってあるのだろう。
だからエスティアナのことは放って置いても問題はないし、彼女を利用して相手が何かを企んでいたとしても阻止されるはずだ。
(ゆえに懸念材料はもはや無い! 後は戴冠の儀を終えて既成事実を作り上げる。それで我が野望は成就するのだ!!)
心の中でそう宣言しハルゲンは教会のシンボルカラーである青い絨毯の導きに従い玉座の間へと歩みを進める。
戴冠の儀執行の御触れを出してから半日が過ぎ、既に聖都には夜の帳が降りていた。
平素ならば閑散として厳かな雰囲気を漂わせる玉座の間が今は大勢の人々で埋め尽くされ熱気で溢れていた。
玉座の傍らには聖法騎士団総長ダンテ・アマートが控えており、その手にはコバルトブルーに輝く宝石がちりばめられた黄金の冠。
その冠には秘密がある。一定量の魔力を注ぐことによって治癒魔法を発動するという教会の持つアーティファクトの一つなのである。
その治癒効力は第六階梯相当とも言われており、その効果範囲は聖都全域に渡る。
それを新教皇となる者が戴冠するときに過剰とも言える演出と共に発動させる。種を知らない者たちにとってそれはまさしく神の奇跡となるわけである。
玉座の手前まで辿り着いたハルゲンは反転して集まった人々に顔を向け、自分が神の意志を受け教皇の座を引き継ぐ者であることを宣言する。
それを受け、ダンテが黄金の冠を掲げると、観衆たちの興奮は一気に高まり熱に浮かされたような視線をただ一点に向けて集中させる。
(まったく愚かなものだな。人を救えるのは同じく人でしかないというのに……)
もし神などという存在が本当にいたとしたらハルゲンが最愛の人を失うことなどなかったはずだ。
結局この世は人の力を持ってしてしか変えられない。
だからこそハルゲンは自ら行動を起こしたのだ。
「見ていてくれヘルミーナ。もうすぐ……もうすぐ俺たちの復讐が始められるんだ」
冠を戴くために膝を突き頭を垂れたハルゲンは誰にも聞こえない小さな声でそう呟いた。
しわがれた大人の声とは対照的に、少年のような輝きを持った彼の目は現在ではない、過ぎ去りし過去だけを映し出していた。
ハルゲンのすべてを奪っていったあの悲劇を。
そこに辿り着くまでのあの美しく幸せだった日々を――




