第14話 反帝国派の思惑
「うっ……」
全身を押そう気怠さと僅かな吐き気を覚えてアンナは意識を取り戻した。
(ボクは一体……あれからどうなって……)
重い瞼をなんとか開けながら気を失う前の状況を思い出そうとする。
確か女魔法使いに敗れて即死してもおかしくない程の傷を負ったはずだ。
なのにこうやって意識があるということは助けがきたということだろうか?
どうやら誰かの家の中らしい。
高そうなベッドや鏡台などの調度品が置かれているので病院ということはなさそうだが……。
「ようやく目を覚ましたか」
「えっ?」
不意に背後かけられた男の声にビクッと驚くアンナ。
僅かに聞いたことがあるような、それでいて嫌な予感をさせる男の声に警戒心を高めた。
――が、
「わぶっ――」
起き上がろうとしたところで盛大にバランスを崩して再び床とほっぺがキスしてしまう。
――そう、床だ。
自分は床に転がされていたのだ。
しかも両腕には拘束具が付いていて動かすことができず、魔法を放とうとしてもその拘束具に魔力を乱されてしまう。
恐らく魔道具なのだろう。
警戒とかそんなレベルを超えて危機的状況にあることにアンナは気づいた。
「ククク、愉快な子供だな。笑いを取っても拘束は解いてやらないぞ?」
「待って下さ――ってうわああああああ」
再び声がしたと同時に視界がぐるんと回り始める。
感触的に足で転がされているのだろう。
1620度――四回転半転がされてやっと声の主と対面に成功する。
これがフィギュアスケートならば歴史に残る偉業だ。
もっともこの偉業を成し遂げた末に手に入れたのは相手がとても性格の悪い男だと言う情報だけだが。
「いっ……いきなり何を――」
ぐるぐる回る視界に苦しみながらも男に視線を向けた。
若干非難の色を帯びてジト目になっていたアンナの目はそこに映し出された美男子の姿に大きく見開かれた。
雪原を思わせるような白銀の髪は美しく輝きを放ち、長く伸ばされた前髪から覗く瞳は黄金。
その瞳は強い意志を持ちながらもアンニュイな雰囲気を感じさせるという危うげな魅力を放っている。
彼が窓辺に佇んで儚げなため息でも吐けば世の女性は瞬く間に心を射貫かれてしまうであろう文句の付け所の無い、男の自分ですら見惚れてしまう優しそうなイケメンだった。
このイケメンが、か弱い少女(♂)を床に転がして喜ぶ様はとても想像出来ない。
もしかして他にもう一人いるのだろうか?
状況的にあり得ないはずなのについそんなことを思ってしまう。
だがしかし、
「なかなか良い反応をしてくれる。どうだ? あと十回転くらい楽しんでみるか?」
こちらに顔を近づけてきて、片側の頬をつり上げて笑うイケメンを見てアンナは確信した。
こいつは碌でもないやつだと。
「い……いい大人が子供をいじめて楽しいですか?」
「ああ、とても楽しい」
臆面も無く即答されてしまった。
20代くらいの年齢の見た目なのにまるで少年のような笑顔のイケメン。
恐らく彼はその笑顔のままに蝶の羽をもぎ取って喜ぶタイプの人間だ。
(ってことはボクが生かされてる理由ってもしかしてそういうことなんですか……)
わざわざ瀕死の重傷を治したくらいだから、長くいたぶって楽しむつもりなのだろう。
だがそれならまだ希望はある。
エスティアナはもう自分に価値は無いと言っていたが、こうやって誘拐されたということはまだ何かしらの役割を持っているということだ。
そうであるならハルゲンも捜索隊を出してくれるはずだ。
自慢にはならないが、自分は痛みには強い方だ。
助けがくるまで耐え抜けば或いは活路も見えて――
(自分は……?)
そこでアンナは致命的なことに気がついて全身から血の気が引いていくのを感じた。
そうだ。自分が生かされているということは他の仲間も連れてこられている可能性が高い。
エスティアナは無事だろう。利用価値があるのならば少なくとも自分よりは酷い扱いを受けることはないはず。
でももう一人は――
「レイラは!? レイラはどうしたんですか!?」
アンナは噛みつかんばかりの勢いで叫んだ。
彼女の姿はこの部屋には見えない。
別の部屋で自分と同じような状況に置かれているのかもしれない。
だが自分の性別以上にレイラには知られてはならない秘密があるのだ。
もしそれがバレてしまったら――
「あの獣人の忌み子のことか?」
「なっ――!?」
事態は既に最悪の状況にあった。
この状況をどう切り抜けるかなどアンナには想像すらできず頭が真っ白となる。
その姿を見て一層笑みを深めた男がアンナに詰め寄った。
「あれは君の奴隷か?」
「そ……そうです」
情けないほど声が震えているのが自分でもわかった。
レイラの正体が露見してしまった。
しかも素性すらわからない敵に。
忌み子に対する拒絶反応は何度も見てきた。
親しい人であっても納得してもらうまでに時間がかかったのに、縁もゆかりも無い相手が彼女の存在を知ったらどうなってしまうのか。
「それは聖都に亜人を踏み入れさせることが極刑に値する罪だとしってのことか?」
「し……知りませんでした。その……法律とかわからなくて……」
嫌な想像ばかりが膨らむ。
彼女は果たしてまだ無事なのだろうか?
バレたのが連れてこられた後ならばまだ間に合うかもしれない。
でももしあの戦いの場で露見していたのだとしたら、彼らにレイラを生かしておく理由などあるのだろうか……
「だがシュトレア教にとって亜人は滅ぼすべき対象だ。それくらい赤子でも知っていることだろ?」
「知りませんでした。だってボクはシュトレア教徒じゃなくて……」
何か致命的な事を言ってしまっている気がする。
だというのに全く頭が回らず、沈黙という選択肢すら思い浮かばない。
会話が途切れるのが怖いのだ。
自分が抵抗の意思を見せた瞬間に真実を突き付けられる気がして。
「ほお……では君は異教徒ということか? あの忌み子を暴走させて聖都を落とすつもりだったのだな」
「え?」
「何をとぼけた顔をしている? 滅ぼしたい都に忌み子を匿って暴走の時を待つというのは国家転覆を狙う者の常套手段だろ?」
「――違います! そんな……物みたいな扱い絶対にしません!」
「違わないさ。実際に物じゃないか。忌み子の使い道などその程度のものだ」
――その言葉によりアンナの焦りは一瞬にして別の感情に塗り替えられた。
「……違います」
発した本人でさえ驚くほどの低い声でアンナは男を睨んだ。
その変化に一瞬驚きの表情を見せる男だったがすぐに興味深そうな笑みに戻り言葉を続ける。
「ではペットとして飼っていたのか? 確かに見た目はかなりの上物だった。ならば心配はいらない。彼女は生かされているだろうさ。ただし今頃は悪食なこちらのリーダーの慰み者に――っ!?」
男が言葉を言い切ることはなかった。
「『エクスプロージョン』」
アンナが使える最大威力の魔法を無詠唱で放つ。
「なっ――!? ――死ぬつもりか!?」
こんな至近距離で火属性の魔法を放てば当然術者も被害を被る。
巻き添え覚悟で放たれた魔法に、今までの余裕だった男が焦った様子でアンナの前方の何も無い空間に手刀を放つ。恐らく刃壊流魔刄と同じ原理なのだろう。アンナの魔法は不発に終わる。
「――『エアロブラスト』」
だがそれを歯牙にもかけず、続けて第四階梯魔法を無詠唱で放とうとする。
またしてもそれは阻止されたのだが男はあることに気づいて絶句した。
魔法を封じられていたはずのアンナがなぜ立て続けに魔法を放つことができるのか。
そのためには拘束具を取り外すほか方法は無く、非力なアンナには不可能なはずだった。
「まさか――腕を犠牲にしたのか!?」
それをなし得たのはまったくの偶然だった。
レイラを侮辱する言葉に怒ったアンナはその激情のままに腕に力を込めた。
イメージしたのはレイラが見せてくれた身体強化。しかし怒りに身を任せる余り魔力を体内で循環させるという工程を忘れ、腕だけに魔力を集めたのだ。
皮肉なことにそれでは拘束具を破壊するには至らなかった。しかし一部だけを強化したアンナの腕力に非強化部分が耐えきれずアンナの腕その境で引き千切られていた。
「レイラを……返して下さい」
想像を絶する痛みに苛まれているはずのアンナ。
しかしその顔に痛みの表情は無く、ただ目の前の敵に対する怒りだけが見て取れた。
「なるほど……これは予想以上に面白い物が見れた。お礼に見学くらいはさせてあげよう。君の奴隷が可愛く鳴く姿を――」
アンナの怒りに呑まれかけていた男だったがまた笑顔を取り戻す。
今度は気怠さもいやらしさも無い、心からの笑みだった。
「なら、もう話すことはありません」
男の挑発に一層怒りを煮えたぎらせるアンナ。
いつもの冷静さはなりを潜め、ただ目の前の敵を消滅さたいという感情だけがアンナを支配する。
そのためにはもっと……もっと強大な魔法が必要だ。
「落ちて傾き海深く――」
その思いを成し遂げるためにアンナは第五階梯の詠唱を始める。
「ククク、一体どれだけの力を隠しているのやら。だが――流石にこの距離で詠唱を完成できるとは思っていないだろ?」
それをさせまいと男が放った拳がアンナの腹部にめり込みその軽い体を壁まで吹き飛ばす。
「――ごふっ……し……沈みゆくをば見送りぬ……常しえよりの営みも……」
「――なんだと?」
しかしアンナの詠唱は止まらない。内蔵が破裂していてもおかしくない程の攻撃を受けたはずなのに意識を保ち、言葉を紡ぎ続けている。
その秘密は既に元の姿を取り戻しつつある失ったはずの両腕に見て取れた。
そう、アンナは治癒魔法を行使しているのだ。エスティアナから得られた情報を元に思いついたある仮説が見事に的を射ていたようで、アンナは史上初めて聖職者以外の治癒魔法の使い手となった。
それだけではない。アンナは第五階梯合成魔法の詠唱と同時に治癒魔法を行使しているのだ。
魔法の同時使用は理論上は可能だ。例えば第六階梯の才能を持つ者ならば第三階梯を二つ、或いは第二階梯を三つ同時にといった風に合計6つの基礎魔法の組み合わせで使える魔法までならば同時使用することができると言われている。
だがもちろんそれを成すには尋常で無い集中力が必要であり、同時に2つ以上のことを思考できる並列思考の才能も必要となる。
恐るべきはそれをこの土壇場で成功させ、その上まだ一度も使えたことの無い第五階梯合成魔法を発動させようとしているアンナの精神力である。
「常しえよりの営みも
しかし永遠に明けることはなし
そは還らず
いずこも墓場」
戦いの女神はアンナに微笑み、戦術級と言われる魔法の詠唱は完成する。
「第五階梯合成魔法――」
「――待て! そんなものこの場で放ったら――」
壁まで吹っ飛ばされたお陰で今度は無効化する暇はない。
この魔法がどんな結果をもたらすかなどアンナは考える余裕が無かった。
ただ目の前の相手を打ちのめしたいその一心で凶悪な破壊をもたらすであろう魔法を――
「戯れはその辺にしてくださいまし」
「――――え?」
涼やかなその一言と同時にアンナの回りに満ちていた膨大な熱量が一瞬のうちに消え去った。
(これは……レジストされた? 第五階梯を一瞬で?)
過熱していたアンナの心も一気に冷える。
現れたのは敗北の記憶に新しい魔法使いの女。
全身全霊を賭けた一撃すらもあっさり打ち消してしまう圧倒的格上の相手。
(これは……今度こそ詰んでしまいましたね……)
それでも最後まで足掻こうと覚悟を決める。
「確認は済んだのでしょ? その下手な悪役芝居を止めて下さいますか?」
「ぷっ……ククク……はははははは」
だが対する相手は完全に気が抜けていた。
「……は?」
突如漂いだした和やかな雰囲気に唖然としてしまう。
(油断させてブスリと刺す戦法? でも格上の相手がそんなことする意味はありませんよね?)
「警戒する必要はありませんわ。あなたの奴隷は別室で丁重に保護してますから。先ほどのやりとりはこの男、ロランの仕組んだ茶番です」
「茶番……ですか?」
「ええ、ロランたっての要望でしたので」
「要望? ボクと戦うことがですか?」
「そこではない。君が奴隷の獣人に、ひいては亜人に対してどのような扱いをするのか知りたかったんだ。なぜなら俺は――」
言いながらロランと呼ばれた男は突然服を脱ぎだした。
「ええ!? 何をしてるんですか!? やっぱりボクに乱暴する気なんですね!! エッチな薄い本みたいに――って、ええええええええええええええ!?」
錯乱して訳のわからない事を口走りかけたが上半身裸になったロランを見るなり驚愕の叫びに変わった。
「そそそその肌――うっ、鱗が――それって――あなたはまさか竜人族ですか!?」
「ククク、いいリアクションじゃないか。ご明察だよ」
「じゃあ要望っていうのは」
「君が亜人に対してどういう感情を持っているのか確かめたかったんだ。もっとも、君の応え次第ではそのまま殺していたかもしれないけどね」
「そうだったんですか……」
「とは言え、あなたの正体を明かす必要はありませんでしたけどね」
「そう言うなアマデウス。試すような真似をした以上こちらも誠意を見せるのが筋と言うものだ。これにより生じたリスクは俺の責任で処理するさ」
女性の名はアマデウスというらしい。
落ち着いてよく見ると本当に美しい人だ。
もっとも今アンナの感心を一身に集めていいるのは彼女ではないが。
「あ、あの! 触ってもいいですか!?」
鼻息を荒げながらアンナはロランに迫った。
どうやら敵さんも話せばわかりそうな相手だし、これくらいは許してくれるだろう。
ずっと夢見ていたのだ。人族以外の種族に出会うのを。
だと言うのに変な宗教のせいで他種族の人と出会う機会は無く、いまいち異世界を感じられない現状に不満たらたらだったのだ。
だからレイラ以外では初めての他種族、それも希少種である竜人族を目の前にしてしまったいま、少々度が過ぎて興奮してしまっても仕方の無いことなのだ。
「ああ……別に構わないが……」
さっきまでSっ気たっぷりだったロランが若干引いている。
だが引かれるくらいなんだというのだ。
目の前の竜の鱗に直に触れられるのならばそんなのは安い代償だ。
「おお――」
ロランの鱗部分をぺたぺたと触る。
もっと固いと思っていたが意外に弾力性があり、少しざらついてはいるものの擦れて痛いという程でも無い。
不思議な手ざわりに夢中になったアンナは無遠慮にロランの腹部を触りまくる。
ぺたぺたぺたぺた。
ちょっとだけ吸着力のようなものがあり、その感触が病みつきになってしまう。
ぺたぺたぺたぺた。
ああ、これは何時間でも続けていられる――
「ふっ!」
「ぎゃあああああああ」
ロランが急に腹部に力を入れたせいで、鱗と鱗の間に指の肉を挟まれたアンナは絶叫した。
しかも鱗の堅さまで変化していてドアに指を挟まれたときくらい痛い。
「いっ――いきなり何をするんですか!?」
「すまないね。幸せそうな君の笑顔を見ていたらつい歪めたくなった」
「そんな理由!? てっきりべたべた触りすぎて怒られたのかと思ったのに!」
先ほどの茶番は演技だと思っていたのだが、性格悪いのは元からだったようだ。
いくら出会うことの難しい竜人族だと言ってもこの人とはお近づきにならないほうがいいかもしれない。
「あれ? でもそもそも、珍しい竜人族さんがなぜこんなところに?」
聖都に亜人を立ち入らせるのは極刑に値する犯罪だとロラン自身が言っていたのに。
もしかしたら極刑はロランの誇張なのかもしれないが許されることではないだろう。
しかもこの人たちはエスティアナを攫ったことから教会関係者であるはずだ。
尚更ロランがこの場にいる理由がわからなかった。
「それについては我から説明しよう」
アンナが疑問を抱いていると聞き慣れぬ声がした。
現れたのは腰まで伸びたホワイティーアッシュの長髪が美しい壮年の男性。
こちらもまたロランに引けを取らぬほどのイケメン。だが、ロランが陰のある月とするならばこちらはすべてを照らし出す太陽といった印象だ。
この部屋の顔面偏差値、高すぎ! と内心抗議の声をあげたくなる。
「初めまして可愛いお嬢さん。我の名はオクタビオ・ガザレス。次期教皇となる者だ」
「あ……アンナです。初めまして――へぇっ!?」
不遜な自己紹介をしながらおもむろに近づいてきたかと思ったら何の断りも無くおでこにキスをされてしまった。
思わず変な声が出てしまう。
(おおお男に――男にキスされちゃいました!? レイラとさえまだなのに――)
父親にならまだしも初対面の男の唇が同じく男である自分のおでこに触れたと考えると鳥肌物だ。
何か男として大切なものを失った気がした。
「ククク、やめておいたほうがいいよ。彼は赤子から老婆、果ては男まで誰でも行ける口の変人だ。勘違いして熱をあげると泣きを見ることになる」
その上ロランに不名誉な勘違いをされてしまった。
こっちは立っていられないほどショックを受けていると言うのに。
まさに踏んだり蹴ったりだ。
「性別や年齢など些細なこと。そうであるならば種族の違いなどもっと取るに足らないものだとは思わないかい?」
「は……はぁ」
アンナの内心などまったく気にかけていない様子でオクタビオは話し始めた。なかなかのマイペースぶりである。
「我は愛したいのだ。ありとあらゆる生命を。だがそのためには亜人排斥を謳うシュトレア教は障害でしか無い。だから変えようと思ったのだ。我が教義の頂点に立ち、女神の教えそのものを。帝国派だのの反帝国だのは口実でしか無い。我の狙いは最初からその一点にあった」
なんかとんでもないことを言ってるぞ、この男。
「その彼の理想が実現して。もっともメリットがあるのが誰なのか賢いお嬢さんならわかりますわね?」
「つまりロランさんは人族以外の種族の地位向上のために協力しているということですね」
「ククク、別に俺は他種族の命運まで背負ったつもりはないさ。あくまで竜人族の代表としてここにいるまでだ」
「我には金があり地位もある。だが唯一自由に動かせる武力だけはなかった。そこをロランに補ってもらったのだ」
枢機卿が私設の軍隊を持つことは認められていない。ハルゲンは帝国との繋がりがあるため自前で持っていなくても動かせる手駒は十分にあったが商人であったオクタビオにはその辺のツテが少なかった。むろん金を積めば高ランクの冒険者や傭兵を雇うことはできただろうが、高ランクであればあるほど秘密裏に使うことは難しい。
反面、亜人ならば手練れであっても知られていない者は数多くいる。それこそ第七階梯級の化け物であっても人族の間で無名ということはざらにある。
「第七階梯級……って、もしかしてロランさんって鎧の人の中の人ですか!?」
「何だ、今頃気づいたのか?」
確かにこの声には聞き覚えがあるような気がしていた。ただ全身鎧の威圧感のせいでもっとごつい男を想像していたのだ。
だとしたらさっきの戦闘は本当にお遊び程度のものだったのだろう。いくら常時回復しながら詠唱を行える様になったと言っても首をはねられたら終わりである。
彼の力量から言ってそれは容易く行えたはず。
やっぱり第七階梯級は化け物だ。今度こんな相手に出会ったら脇目も振らずに逃げだそう。
「そして今すべての条件が揃った!」
(あ、オクタビオさんの話はまだ続いていたんですね)
話がわき道に逸れかけていたというのにまったく気にした素振りを見せない。
これが人の上に立つ人の度量というものなのかもしれない。
「聖女は我が手元にあり、グレーザー卿は我の思惑通りに動いてくれた! 後は我の戴冠を待つのみなのだ!」
オクタビオは自分に酔いしれるように高々と宣言した。
しかしそれはおかしくないだろうか?
教皇に選ばれるには選挙に勝つ必要があるはずだ。
エスティアナの話では食らいついてはいるが得票は2倍近い開きがあるときいていたのだが。
「選挙で勝てないならば選挙で戦わなければよろしいでしょう?」
「でもそんなことをしたら信者のみなさんが認めないのでは? 何よりハルゲン様陣営の格好の攻撃材料になってしまうと思うのですが……」
「ええ、だから相手の方にルールを破らせるのです。実は今日は第3回目の教皇選挙の日。本当ならばオクタビオ様がこの場にいるなんてあってはならないことなのです」
「我だけではない。反帝国を掲げるすべての枢機卿に登城を拒否させている。それは教会史上始まって以来の不祥事だ。そして先例がないからこそ相手は自分に都合のよい解釈で動くだろう。我々が敗北の不名誉を恐れて投票権を放棄した、と。そうなれば投票という正規の手順を踏まず彼は教皇就任の証、戴冠の儀を執り行うだろう」
「それってオクタビオ様の負けを意味しませんか?」
「無事に儀式を終えられたならばな。もちろん温かく見守るつもりは無いし衆人環視の儀式の場だからこそ絶大な効果を発揮する切り札が我にはある」
オクタビオはそこで一度言葉を切り不敵に笑う。
「何しろ我が手中にある聖女エスティアナはグレーザー卿の実子では無い。彼とは縁もゆかりもない辺境の村で産まれた平民の子なのだから」
そうして彼は語り出す。
教会と聖女にまつわる昔話を。




