第12話 再選挙
「開票の結果、グレーザー卿77票。ガザレス卿42票。――よって両者三分の二に届かなかったため次回の再々選挙へと決着を委ねるものとする」
厳かな大聖堂の中にしわがれた、しかし重みのある老人――聖法騎士団総長ダンテ・アマートの声が響き渡る。
それを聞いた枢機卿たちの反応はおよそ1回目の選挙の時のものと同様だった。
すなわち帝国派であるハルゲンの陣営は苦虫を噛みつぶしたような顔を。反帝国派であるオクタビオ陣営は我が意を得たりというしたり顔に。
しかし今回のハルゲンの苦渋はより深いものだった。
なぜなら最初の選挙と違い、既に票が読めており、彼らの想定では今回で決着が付いていたはずなのだから。
前回の選挙の際の得票はハルゲンが80票でオクタビオ43票。
その結果を受け、ガザレスは反帝国派を掲げていることが明確な者たちすべてに暗殺者を仕向けることを決め実際に4人を仕留めることに成功している。
対して、襲撃こそあったがガザレスの陣営で殺された者は一人もいない。
つまりガザレスの想定では自分が80票、オクタビオが39票となりぎりぎり三分の二を超えての勝利という結果を得られていたはずなのだ。
(だというのにこの結果ということは……つまり自陣営の中に裏切り者がいるということか)
金か人か或いは法に触れることでもやっていたのか。いずれにしろ何か弱みを握られて脅されたのだろう。
ハルゲンとてその点には気を使っていたはずだったが、今回はオクタビオの情報収集能力に軍配が上がった。
腐っても豪商の出。独自の情報源を持っているようだ。
「いやはや流石は帝都ドルガルドの大司教出身の傑物。この我ごときでは負けないようにするのが精一杯です」
不意に声をかけられハルゲンは思考を中断する。
だが声の主を確認したところでハルゲンは内心舌打ちする。
今もっとも話したくない相手。オクタビオ・ガザレスその人だった。
「これはこれはガザレス卿。しかしその謙遜は嫌みに聞こえますぞ。その若さでここまで食らいつかれては老骨の立場がないというもの」
「経験豊富なあなたにお褒め頂けるとは恐悦至極です」
「ああ、まったく若者は勢いだけは盛んで羨ましい限りだ」
抑えようとはしていてもどうしても皮肉が出てしまう。
だがオクタビオもそれがわかっていて話しかけて来たのだろうから気を使う必要もないだろう。
「いえいえ、血気盛んな者に歳は関係ないでしょう。現に我の陣営の数名がその犠牲となっているのですから。露骨でありながら一切の証拠を残さないあの老獪さは我にはとても真似できぬものです。まったく一体何処の古狸の差し金なのやら」
(釘を刺しにでも来たつもりか?)
皮肉を同じく皮肉で返してくるオクタビオに対してハルゲンはそう判断した。
向こうとしてみれば身内が4人も殺されたのだから文句の一つでも言いたくなったのだろう。
(だが文句を言いたいのはこちらの方だ)
確かにオクタビオは帝国派相手によく食らいついている。
だが言ってしまえば食らいつけているだけとも言える。
こちらの弱みを握って数人を翻意させたとしても所詮は数人が限界。これ以上こちらの牙城が崩されることはないだろうし、翻意した者が特定出来れば力に物を言わせて再び従わせることもできる。
悪戯に選挙を引き延ばせば不利になるのは相手の方だし、ましてやここから彼らが30票以上も票を伸ばし逆転する可能性など皆無である。
つまりオクタビオのやっていることは悪戯に時間だけを浪費させる嫌がらせに過ぎないのだ。
(下らない意地さえ張らなければ死者も出なかっただろうに)
身勝手な言い分ではあったが、権力者としての立場で言うならハルゲンの考えもあながち間違いでは無い。
身の程と引き際。この二つを弁えていなければ権力の座にあり続けることは難しい。
――では目の前の男はどうだろうか?
ふとそんなことを思い改めてその顔をよく見てみる。
オクタビオの目はまだ敗北を認めた者のそれではなかった。
それどころか彼はハルゲンに挑発的な笑みを向けた。
「ともあれ失われた者たちの命は決して戻る事はありません。ゆえに若輩の我は彼らの意思を背負いただ突き進むのみです」
「卿の元にいる女神にでも祈って奇跡を起こして貰えばよいのではないか?」
「いかに女神とて死者を蘇らせることはできないということです」
「ふん、女神が聞いて呆れる」
やはりあの時の茶番には何か仕掛けがあったのだろう。
ならば後は簡単だ。あの自称女神の化けの皮を剥がす噂でも流してやればいい。
そうすればその他の勢力の票は聖女のいるこちら側に戻ってくる。
「あまり詰らないであげてほしい。彼女の立場はあくまで卿の聖女と同じく傍聴人に過ぎないのだから」
「これは異な事を。女神を人である聖女と同列に扱うと申すのか?」
「聖女も女神も我にとっては等しく『女』。愛すべき存在である点で違いなどありません」
「ははっ、卿には聖職者よりも情夫の類いが向いているようだ。これ以上続ければもう女の乳房を吸うこともできなくなるやもしれんぞ? そうなる前にお家に帰られてはいかがかな?」
「そうですね。我も死にたくはないゆえしばらくは屋敷に引きこもるとしましょう」
オクタビオはハルゲンの嫌みに最後まで笑顔を崩すことはなかった。
話しかけてきた時から、いや、候補者選定の会議に現れて以来ずっと保っている余裕の雰囲気を纏いながらその場を後にする。
「――ですが、賊に狙われているのはハルゲン卿も同じ。精々身の回りには気を配られるのが良いでしょう」
去り際、そんな警告じみた言葉を残しながら。
(ふん、若造が。いっぱしに脅しのつもりか?)
情報戦ではともあれ帝国の後ろ盾を持つこちらが武力の点で遅れを取ることなどありえない。
自陣営で殺された者が一人もいないことがそれを物語っている。
唯一不安なのはロディから報告を受けた第七階梯級と思われる者の存在だが、こちらにもそれに匹敵する戦力はある。しかもそれは帝国とは関係無しにハルゲン自身の手駒だ。
今この時もすぐ近くでハルゲンの回りに目を光らせてくれているのだから。
その認識は決して慢心などではない。今の布陣ならば例えドラゴンに襲われようとも生き残ることが可能だろう。
ただしその加護はあくまでハルゲンが必要としている者に対してのみ与えられるもの。
「――グレーザー様!! お屋敷が何者かの襲撃に遭いました!!」
ゆえに慌ただしくも大聖堂に乱入してきた兵士がもたらしたその報告は彼の心を僅かばかりも動かすことはなかった。
「ロディ・ホーデンスは重傷を受け治療中! 聖女エスティアナ及び側にいたという女中の二名が連れ去られたものと思われます!」
これがオクタビオの警告が指す内容なのだとしたらそれはまったくの徒労である。
既に役目を終えたエスティアナに人質としての価値などないのだから。
懸念するとすれば自分と彼女との本当の関係性。
だがそれがバレたところで難の問題もない。大切なのは彼女自身の言葉であり、彼女が自分を裏切ることなど絶対にあり得ないのだから。
(しかし……あの男がその程度のことを読み違えるだろうか?)
一瞬、本当にごく僅かだがハルゲンは不安を感じた。
もしこの感情に従いエスティアナの救出に尽力していたなら未来は違った結果を迎えたのかもしれない。
しかしハルゲンはそれを否定した。
それはいささか感情的とも言える判断だった。
いつもの老獪な彼ならばありえない程に。
――このまま自分の前から消えてしまえばいい。
憎悪と諦め、そして一抹の寂しさを帯びたその思いに引きずられハルゲンは判断を誤った。
とても短くて申し訳ございません。
また忙しくなってきたので来週の更新はお休みになると思います。




