第11話 治癒魔法を使ってみたいお年頃です
「第五階梯の発動方法?」
「はい。ロディさんからエスティアナ様は第五階梯の治癒魔法が使えると伺ったのでどんな感じなのかと思いまして」
「ってことはアンナちゃんも第五階梯の素質があるの?」
「えっと……はい。発動に成功したことはありませんが一応」
一瞬隠しておいたほうがいいだろうかという思考が過ぎったが、護衛を引き受けた以上、実力を隠すのは互い不都合を有無だろうと考えアンナは素直に白状した。
本当に正直に言うなら第六階梯の素質まであるのだが、第五階梯を飛ばしていきなり最上級魔法を使えるようになるはずもないし聞かれてもいないのでそこは黙っておく。
現在アンナはエスティアナの部屋で魔法の修行を行っている最中だ。
1回目の教皇選挙が引き分けに終わって以来、エスティアナがハルゲンと共にグランロンド城に赴くことはなくなった。
一応今日が再選挙の日らしいのだがハルゲンは一人で出かけていった。
そのお陰でエスティアナは家に引きこもる事となり護衛としては楽な状態となったのだが、あれ以来エスティアナは出会ったときのような溌剌さを失っていた。
表面上はいつも通り振る舞っているつもりでも、ふとした瞬間に寂しそうな顔になるのだ。
やはり父ハルゲンが関係しているのだと思うのだが、安易にその領域に踏み込むことはできない。
なので少しでも気が紛れればと思い魔法のレクチャーをお願いしてみたのだ。
ちなみにレイラは別室にてロディ監視の下、身体強化の修行中だ。
彼女も魔法使いではあるが、既に自身の素質である第四階梯まで発動出来るので別授業なのだ。
別に動き回るわけではないので同じ部屋でやってもよかったのだが、しきりにアンナとエスティアナのやり取りに意識を向けるレイラにロディが怒って別の部屋に連行されてしまった。
「う~ん、そうだなぁ。ぽんっって出してぎゅって集めてしゅわ~って放出する感じかな」
そうして始まったエスティアナの授業だったが、出だしからアンナは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする羽目になった。
「ぽ……ぽんっって出して……しゅわ~?」
「違うよ、ぎゅって集めるが抜けてる! ほらちゃんと言ってみて」
「ぽ……ぽんっって出してぎゅって集めてしゅわ~って放出……する?」
「よくできました! それじゃあ実践してみましょう!」
「ええ――!?」
エスティアナは人にものを教える才能が壊滅的になかった。
たぶん彼女は感覚的に物事をこなせるタイプだ。
教えを請う相手を間違えてしまったことにアンナは今気づいた。
「あの……もうちょっと具体的に……というか論理的な説明にはなりませんか?」
「あっ、ごめんね! ちょっと難しいこと言っちゃったかな? つい忘れそうになっちゃうけどアンナちゃんは子供だもんね」
(なんかこっちが頭悪くて理解できないみたいに思われてませんか!? 小学生並みの説明してるのはエスティアナ様の方なのに!)
「そうだ! 最初に魔法を使う時に、師匠は弟子の体を通して魔法を使って感覚を覚えさせるって言うじゃない? それを試してみよう! 実践あるのみだよ!」
結局エスティアナは考えることを放棄して体を使う方法に走った。
この聖女案外体育会系である。
ただこの方法は案外成功しそうな気もするのでアンナもそれに賛成した。
「それじゃあ始めるよ~」
エスティアナは背後から抱きかかえる様にしてアンナの手を握る。
(お……おっぱいが……)
レイラより小さめとは言え、エスティアナも十二分に巨乳の領域。
柔らかな感触が背中を包み込みとても安らかな気分になった。
これが聖女の振るうという第五階梯の癒やしの力――などと馬鹿なことを考えている内にエスティアナが詠唱を始める。
――落ちて傾き海深く
沈みゆくをば見送りぬ
常しえよりの営みも
しかし永遠に明けることはなし
そは還らず
いずこも墓場
なんとも暗い内容の詩。
エスティアナが使おうとしている光属性の聖なる魔法とは対照的な詠唱であるが詩の内容と魔法の効果とは関係しない。
固有魔法でも無い限り、光属性だろうと闇属性だろうと第五階梯合成魔法を使う時はこの詠唱なのである。
(だとしたら一体これは何を詠ったものなのでしょうかね?)
ふとそんな疑問が浮かぶが、深く考える前にエスティアナが詠唱を終える。
「――第五階梯合成魔法『フェアリーライト』」
エスティアナに握られたアンナの手から温かい光が漏れる。
怪我をしてから時間が経っていなければ部位欠損すらも癒やすと言われる強力な治癒魔法だが、この場に怪我人はいないためそれ以上の変化はこの場に訪れなかった。
「何かわかったかな?」
「う~ん……なんとなくそれっぽい感覚は得られた気もするのですが、第四階梯合成魔法を使う時とあまり差が感じられなかった気がします」
「やっぱりか~。実は前にも同じことをしてあげた子がいるんだけど、その子もわからないって言ってたんだよ」
「――じゃあなんであたかも名案が思いついた風で実践しようとしたんですか!?」
「アンナちゃんを抱きしめたかっただけだよ!」
「なっ――」
あまりに堂々と答えられたためアンナは言葉を失った。
「うふふ~、ぷにぷにだね、アンナちゃんのほっぺた」
後ろから抱きついた状態でアンナの頬を弄ぶエスティアナ。
もしかして彼女は欲望を満たしたいだけで真面目に教える気はないのだろうか?
いや、元々気分転換のつもりだったからそこまで真剣にやってもらわなくてもいいのだが。
むしろ母性を押しつけて頂きありがとうございますとお礼を言いたいくらいである。
「あ、母性と言えば気になっていたことがあるんです」
「母性? えっとごめん、何かの話の続き?」
「いっ、いえ……その治癒魔法を使うには母性とかが必要なのかなと思って……あはは」
つい本音が出てしまいそうになり慌てて誤魔化すアンナ。
ただ疑問については常々思っていたことだった。
すなわち何故教会は治癒魔法の独占なしえたのかということ。
「母性は関係ないんじゃないかな? 男の人だって使える人は使えるし」
「ではエスティアナ様はどうやって治癒魔法を覚えたのですか?」
「えっとね、修道会に入っている人である程度魔法の素養のある人は秘蹟を受けられるの。私はそれから治癒魔法が使えるようになったよ」
「え、それだけですか?」
「うん」
思った以上にお手軽な方法だった。
なんというかもっと様々な修練の先に習得できるみたいなものかと思っていたのだが……。
しかし逆に考えれば修練を積んで習得できる程度ならば教会に所属しなくとも自力で使えるようになる人が現れても不思議では無い。
とすればその秘蹟とやらに他では真似できない仕組みがあるのだろう。
ゲーム的に考えるならば読めばその魔法が使えるようになるアーティファクトみたいな物があるのかもしれない。
「とは言っても秘蹟を受けてもみんなが使えるようになるわけじゃないみたいだよ」
「むぅ、アーティファクトという可能性は消えてしまいましたか」
「え!? なんでアンナちゃんがそれを知ってるの!?」
「ん? やっぱり使うんですか、アーティファクト」
「うえっ!? 鎌をかけたの!? だ、駄目だよ、秘蹟は秘密なんだよ! 誰にも言っちゃいけないの! それにアーティファクトなんて何も使ってないよ!」
焦った風にアンナから飛び退き手を顔の前で振って否定のジェスチャーを取るエスティアナ。
しかし彼女の様子から図星であったことは明らかだ。
なんとも嘘のつけない少女である。
(アーティファクトを使うって事は自力で習得は難しいんですかね? でも治癒魔法を自分で使えるようになるととても便利ですしせっかくの機会なので何か習得の糸口が欲しいところですね……)
優しいエスティアナならば押せ押せで行けば折れてくれるかもしれない。
そういう打算もあってアンナは食い下がることにした。
そしてこういう時に取れる手段は自分には一つしかない。
エーリカと同じ匂いのするこの少女ならば少しは効果があるはずだ。
「エスティアナ様~」
「ひっ!?」
友好的な笑顔で彼女の緊張を解こうとしたのだが、その裏に抱く欲を読まれてしまったのかエスティアナは余計に体を強ばらせた。
ちょっと申し訳ない気持ちになるが、それよりも治癒魔法への思いが勝った。
「秘蹟の内容詳しく教えて下さい♪」
「駄目だよ! いくらアンナちゃんでも絶対駄目なんだよ!」
「そんなこと言わないで教えてください。……おねえちゃん」
尻餅をつきながら後ずさるエスティアナにぽふっと抱きついて上目遣いと甘い声でおねだりをするアンナ。
性別を知っている者からみれば完全なセクハラである。
(このような手を使うのはボクにもダメージがありますし良心も痛みますが……エスティアナ様はエスティアナ様でボクを女の子扱いしてるのですからお相子です!)
本当に性別がバレれば困るのは自分なのに酷い八つ当たりもあったものである。
「ボク、お姉ちゃんのことは何でも知りたいな……」
「わ、私だって教えてあげたいんだよ! でも決まりがあってね――」
「……お姉ちゃんはボクより教会の方が大事なの?」
「そ――そんなことないよ!!」
「じゃあ教えてくれる?」
アンナは可愛い妹風味の演技で果敢にエスティアナに攻め込む。
『おお、やればできるではないか! まるで恋人が他の女に取られてしまった時のような激情を纏った魔力の流れだ! いいぞ、この状態を保てれば身体強化の習得は間近だ!』
部屋の外からロディの興奮したような声が聞こえてきた。
レイラも頑張っているようだし、こちらも成果を出さねば!
「……秘蹟の時に使ったアーティファクト。たぶんあれは何かの知識を書き込むものだよ」
アンナの猛攻に耐えかねてついにエスティアナは折れた。
半ばダメ元だったため内心驚きである。
やっぱり妹というのは世界が違っても強力な魅力を秘めているみたいだ。
実際には弟なところが申し訳ないが。
「知識ですか?」
「うん。他にも聖水をぶしゃ~ってかけられたり、ユニコーンの角で頭をこつこつ突かれたりしたけど特に何も感じなかったし」
厳かなはずの儀式もエスティアナの口から語られるとまるで何かの新しい遊びみたいだ。
「それで肝心の知識とは何についてのものだったんですか?」
「たぶん人の体の構造についてだと思う。でも何からせん状の変な階段みたいな絵もあったからそれだけじゃないのかもしれないけど……」
(らせん状っていうとDNAのことでしょうか? それも体の構造についての知識という枠から外れてはいませんし……)
だとするならば治癒魔法が使えるようになるための条件は人体構造を把握することなのだろうか。
しかしエスティアナの様子を見るにそのことを理解している風ではないので知識さえ頭の中にあれば必ずしも内容を理解している必要はないのかもしれない。
それに関して言えば思いたる節はある。
発動速度に難があったり制御が難しくて常用はしていないがアンナは風や火、土属性以外の属性魔法もすべて使えるのだ。
しかし普通はそうでは無い。
風・土属性は比較的誰でも使えるのだが火や水、そして雷属性の魔法は適性のある者しか使えず、ましてやその三つすべてを使える者など滅多に現れないのだという。
にも関わらず自分がすべての属性を使えたのはそれぞれの現象の原理を知っているからだとアンナは解釈している。
火は酸素の燃焼、水はH₂Oの生成、雷は電子の移動といった具合にイメージを持って魔法を使えばすぐに形になったことからその可能性が思い当たったのだ。
だとすれば人体の構造を把握することで治癒魔法が使えるようになっても不思議では無い。
(でもだとしたらボクが自力で習得するのは難しいかもしれませんね。ボクの持ってる知識なんて所詮テレビで見た程度のものですし、この世界にはそれを学ぶための書物もないでしょうし)
修道院に入ればいずれは秘蹟とやらをうけて習得できるのかもしれないが他人との集団生活の中で性別を隠し続けるのは至難の業だろう。
とすればやはり現段階では不可能ということか……。
(ん? でも要は構造さえ把握してればいいんですよね。それなら――)
「さ、アンナちゃんの言うこと聞いてあげたんだから次は私の番だね。嬉しいな~何でも言うこと聞いてくれなんて」
「へ?」
解決策が思い浮かんだ気がしたアンナの思考は溢れんばかりの笑顔で発せられたエスティアナ言葉によって打ち切られた。
何やら不穏な言葉が聞こえた気がするのだが……
「な……何でもする? そ、そんなことボク言いましたっけ?」
言って無いはずだ。必死におねだりはしたけど交換条件は持ち出してなかった。
お風呂で洗いっこしましょなどと言われたら大惨事を招きかねないため言質を取られないよう十分注意を払ったのだから。
「うん、この耳でしっかり聞いたよ♪」
「いや……でもボクの記憶では……」
「だってそうでのなければ、他の人にバレたらすごく怒られるような事を話すわけないでしょ?」
――この人、過去を捏造するつもりだ!
しかも否定しづらいようにこちらの良心をちくちく突きながら押し通すつもりだ!
「ってことでアンナちゃん。お姉ちゃんと二人きりでお風呂に入ろっか」
予想通りの要求を突き付けられ、全身から冷や汗が吹き出すのをアンナは感じた。
そりゃあ無理を言ったのはこちらの方なのでできる限り恩返しはしたいと思うのだが……。
或いは腰回りさえタオルで死守すればバレずに遂行できるだろうか?
いや、しかし戯れにタオルを奪われでもすれば一巻の終わりだし……
「やっぱり駄目かな?」
あれこれ言い訳の言葉を探しているとエスティアナは悲しげな顔になってしまった。
先ほど自分がしたように泣き落としにきたのかと思ったが、ふざけている雰囲気ではないようだ。
ならば本気でボクとお風呂に入りたいのだろうか?
そんなことを思ってしまったが、その推測はどうやら間違っていたようだ。
「あのね、もうそろそろ護衛に任務も終わると思うんだ。ううん、既に私を護衛する意味は無くなってるから本当は今すぐ任務完了でもいいくらい」
「……それはどういうことでしょうか?」
「アンナちゃんは賢いから気づいてるんでしょ? お父様の態度がかわったこと」
「それは……」
護衛が必要ないということは教皇選挙においてエスティアナは影響力を及ぼさない不要な存在となったということだ。
しかしハルゲンの娘である以上、教皇選挙云々に関わらずエスティアナは人質になり得るはずである。
ということはハルゲンにとってエスティアナはその価値すらない存在になってしまったということになる。
ハルゲンとの距離感が開いていたことは感じていたがそこまでのものなのだろうか?
それとも彼女が一方的に思い詰めているだけ?
「だから最後に楽しく過ごしてお別れしようよ。お風呂はレイラさんと一緒でもいいからさ」
「うぅ……」
だがいずれにしろ無理に作った悲しい笑顔でお願いされてしまってはとても断りづらい。
エスティアナは今日で護衛の任を解くつもりだったのだ。だから餞別に秘密を教えてくれたのだろう。
ならばこちらも誠実に対応すべきだ。
この際だからもう性別をバラしてしまってもいいのかもしれない。
エスティアナならば秘密を守ってくれるだろうし、どうせ自分はこの国を去らなければならないのだから問題も起きないはずだし。
――いや、そもそもこのまま彼女の言うとおりにすることは正しいのだろうか?
もしまだ危険なのならばロディが止めてくれるだろう。しかし彼も安全だと判断したとして、このまま彼女の元から去ることが良い結果を生むとはとても思えない。
そんなことをするくらいなら――
「そう自分を卑下するものでもないだろう。まだ君には充分な利用価値がある」
「――!?」
突如発せられた第三者の声。
それは屋敷の使用人たちの畏まった口調ではなく、レイラやロディの聞き慣れた声でもない。
いつの間にか開けられていたテラスに出るための洋窓。
そこに立っていたのは先日圧倒的な力量差を見せつけられ敗北を喫した最悪の相手。あの時の鎧の男だった。




