第10話 教皇選挙
「ではただ今より第103代教皇選挙を執り行う。立会人はこの私、聖法騎士団総長ダンテ・アマートが受け持たせていただきましょう」
有力者たちを交えた候補者選定会議から3日後、全123名の枢機卿が再び大聖堂に集められていた。
立候補者はエスティアナの父ハルゲン・グレーザー。そして最年少で枢機卿の地位に上り詰めた異端児オクタビオ・ガザレス。
この両名の一騎打ちである。
方や帝国の教会権力取り込みのために送られてきた先兵。ハルゲン、ひいては帝国はこの日のために自国領から多くの枢機卿を輩出し、盤石の体勢を築いてきた。
方やその帝国支配に抗おうと集められた烏合の衆から祭り上げられたぱっと出の新人。反帝国という目標を掲げつつもオクタビオの派閥にハルゲンほどの求心力は無い。反帝国派のほとんどが帝国派に重要なポストを奪われた、いわば負け犬たちであり、教会を守るためというよりは自身のプライドを取り戻すために躍起になっているだけの単なる小物の集団だからである。
この勝負の結末は誰が見ても明らかなものだった。
――オクタビオが女神と称したあの女性を連れてくるまでは。
「では祈りを捧げましょう。女神の代行者として相応しき者の名をその胸に刻みながら――」
123名の枢機卿が一斉に顔の前で手を組み瞳を閉じる。
これが教皇選挙における投票のスタイルである。
とは言っても本当に祈りを捧げているわけではない。
彼らの手には赤い石と青い石が握られており、祈りを捧げながら、どちらか一方に魔力を注いでいる。
それぞれの石に送られた魔力はダンテの傍らにあるこれまた赤と青の円柱ガラスの中へと流れ込んで貯蔵されていく。
要するに彼らは投票用紙の代わりに自らの魔力を送って票を投じているのだ。
これはアーティファクトの一つで、本来ならば複数人の魔力を集めて強力な魔法を放つための兵器なのだが、近年ではもっぱらこのような儀式の場で用いられるようになった。
石に込められる魔力の限界量は任意に決めることができ、しかも石個別には設定出来ないため1人一票という原則は保たれるしその場で結果がわかる上に不正もしづらいので、とても効率のいいやり方なのだ。
種がわかっている者にとってはなんとも滑稽な投票方法ではあるが、そこは様式美と言ったところだろう。
ちなみにオクタビオが赤でハルゲンが青であり魔力の溜まり具合は両者拮抗していた。
しかし徐々に青の魔力が赤を上回り、目視でも明らかなほど差が開いたところで投票は終了した。
ダンテがそれぞれの円柱にメモリの着いた板を宛がい、溜まった魔力の量を計測する。
「ふむ……それでは結果を発表する。グレーザー卿80票。ガザレス卿43票。よって――」
結果は二本の円柱が示している通り、ハルゲンが二倍近い得票だった。
しかし喜色を浮かべているのはオクタビオ、そして反帝国派の面々だった。
反面ガザレスは苦り切った顔で彼らを見つめている。
なぜなら、
「両者三分の二の得票に届かなかったため再選挙を行うこととする」
そう。教皇に選出されるには全教皇の三分の二以上の票を得なければいけないのだ。
123名の三分の二となると82票以上。ハルゲンは後二票というところで教皇の座に手が届かなかったのだ。
それでもオクタビオの得票と比べれば大きな開きがあるのは変わらない。たった二票ならば再選挙までにどうとでもできる。
だが此度の選挙において敗者は間違いなくハルゲンの方であった。
「あの……お父様」
投票が終わり人のいなくなった大聖堂に足を踏み入れたエスティアナは唯一残っていた自身の父に声をかける。
彼女の声は僅かに震えていた。
父の口から聞かずとも立ち去っていった枢機卿たちの顔を見れば結果は自ずとわかってしまっていた。
だから彼女がわざわざ父を待っていて、それでもなかなか大聖堂から出てこなかった彼に痺れを切らせて自分から声をかけたのは結果を知りたかったからではない。
今回の投票では決まらなかった。ならばハルゲンは次に備えねばならない。
そうであるならば自分はまだ必要な存在であるはずだ。
そんな願望を持って父に尋ねる。
教皇の座に就くというのはハルゲンだけの悲願ではない。彼に劣らず、いやそれ以上にエスティアナはハルゲンが悲願を達成することを願っているのだ。
「お前か……」
しかしハルゲンのエスティアナを見る目は至って醒めたものだった。
そこには悲願達成を先延ばしにされた怒りや焦りは見受けられない。
むしろこれからの方策に思慮を巡らせているであろう優秀な為政者としての姿がそこにはあった。
だがその反応はエスティアナが最も恐れていたもの。
「今日はこれからやらなければならないことが多い。家に帰ることは出来ないだろうからお前は先に帰っていなさい」
怒鳴られるならばまだよかった。自分は能力においてオクタビオが連れてきたあの女性に負けたのだから。死ぬ気で彼女を超えろと言われたなら喜んで修練に励んだことだろう。
だがハルゲンが示したのは無関心。
もはやそこに子煩悩は父親の姿はなかった。
++++++
夜の帳が下り燭台に灯された蝋燭が部屋を仄かな橙色に染める。
一人の部屋としては広い、だが大勢で集まるには適さない空間に十数名の人影があった。
その部屋に窓はない。地下にある部屋か、あるいは最初から窓がないよう設計されたものなのだろう。それゆえに覗き見の心配がない。その上でサイレントの魔法を使えば身内の裏切りを覗いてこの場での情報が第三者に漏れることはまずないだろう。
「まったく面倒なことをしてくれましたな。あの若造は」
「まったくだ。我らの勝ちは動かんというのに無駄な足掻きを」
「これ以上調子に乗られても鬱陶しいだけだ。もう殺してしまえばよかろう」
「それなら既に暗殺者を送ってある。本国の抱えるSランクの暗殺者をな。だが結果は失敗。それどころか誰一人として帰ってきていない。どうやら相手も凄腕の護衛を雇っているらしい」
「それに奴のもとにはあの女がいる。女神云々はブラフだとしても能力は確かなのだ。致命傷を与えたとてすぐに治療されては意味がない」
「ならばSランクの冒険者を仕向けてはどうか? 正面切っての力推しで女諸共殺してしまえばよかろう」
「高ランク冒険者を使えば足が着く。そこまでの危険は犯せんよ」
「そんな弱腰でどうする! 教皇の座さえ手に入ればあとはどうとでもできるではないか!」
「だがしかし――」
帝国派の枢機卿、そして帝国からの使者を交えて議論が交わされていた。
だれもが予期しなかった結果に苛立ちを隠せない様子で剣呑な雰囲気を醸しだしている。
(本当にやってくれる……)
ハルゲンもまた内心苛立っていた。
エスティアナに声をかけられた時などうっかり怒りをぶつけてしまいそうになったほどだが、ぎりぎりの所で理性が勝った。
あそこでエスティアナを怒鳴りつけたとして、万一それが外に漏れたら状況は更に悪くなってしまう。
帝国派、反帝国派の枢機卿を除けばその他は信仰に生きる敬虔な信徒である。
彼らには派閥争いなどに興味は無く、仮に帝国の息が掛かった相手が選ばれたとしてもすべてはシュトレアの御心なのだと納得してしまうような、ハルゲンからしてみれば狂信者たちである。
彼らは神聖なものに惹かれる。ゆえに高位術者であるエスティアナを持ってして票を集めようと考えたのだ。
しかしそれはぽっと出のあの女によってかっ攫われてしまった。
彼女の見せた驚異の治癒魔法、そして女神にうり二つな彼女の姿はそれほど衝撃的だったのだ。
「――して卿はどうお考えかな? ハルゲン卿」
黙り込んでいたハルゲンに気を使ったのか議論を交わしていた者の1人が声をかけてくる。
不意打ち気味の振りに一瞬対応が遅れてしまうが、ハルゲンはすぐに気を取り直し頭を切り換えた。
「まずオクタビオの暗殺についてだが……これはほぼ不可能だろう。こちらのロディ・ホーデンスが負けるほどの猛者を相手は飼っているようだからな」
「ロディ・ホーデンスと言えば第六階級の化け物ではないか。それでは確かに力押しは難しいな」
「そうだ。ゆえに末端を狙ってこちらに取り込むか、あるいは消すしかないだろう」
「ならば反帝国派の枢機卿すべてに暗殺者を送っておこう。流石に全員は無理でも数人は仕留めることができるだろう」
「同時に何かスキャンダルがないかも探らせろ。取り込めるのならそれに越したことはないからな。ただし脅すときは確実に落とせるネタを掴んだ時だけだ。後はどちらの派閥にも属さない者についてだが……」
ハルゲンは苦いかおをして口ごもる。
本来ならばエスティアナという切り札によって取り込めていたはずの票。
彼の目算ではその内の4割がオクタビオの側に奪われた。
だがそれは残り6割は依然としてエスティアナを推しているということであり、彼らの誰がオクタビオに付いたのか判別する方法も探る時間も今はない。
ゆえに反帝国派にするような強硬な手段を取ればやぶ蛇となる可能性が大いにあり手出しがしづらい状況にあるのだ。
「いっそ全員が寝返っていれば分かりやすかったものを……」
「ハルゲン卿?」
「何でも無い。残りの者たちについては情報収集に努める。確実に敵だとわかった場合のみ始末することとする」
中途半端な結果を残したエスティアナの人望に悪態を吐きつつ、ハルゲンは今後の方針を決定した。
++++++
「おかえりなさいませエスティアナ様」
「「お帰りなさいませ」」
ロディに続きアンナとレイラの声が綺麗にハモる。
アンナにとってはメイドというのはただのフェイクなのだが、なかなか板についてきている。
メイド服という恥ずかしい恰好も既に気にならなくなっているのかニコニコ顔でエスティアナを迎え入れる。
「うん……ただいま」
だが帰ってきた返事はどこか元気のないものだった。
よく見れば顔は青く、どこか疲れ切っているような雰囲気を漂わせている。
(そういえば数日前もちょっと元気がなかったですね)
教皇へ立候補する人を決めるための会議から帰ってきた時もどこかエスティアナは元気がなかった。
その時はすぐにいつも通りの彼女に戻ったので会議で疲れただけなのかと思ったが二度目ともなると別の理由があるのではないかと疑ってしまう。
それに今回は数日前とは違う点があった。
「ハルゲン様は一緒ではないようですが」
アンナより先にロディがそこを指摘する。
「城に残るってさ。今後の対策を考えないといけないみたい」
「ということは……」
「うん、再選挙になったよ」
エスティアナは力なく答える。
(選挙でお父さんが勝てなかったからエスティアナ様も落ち込んでるってことですかね?)
でもそれならばまだチャンスはあるし、むしろ再選挙に向けてやる気をたぎらせるタイプのように思うのだが……。
ならば悩みの核心はそこではないのだろうか?
「ちょっと疲れちゃったから部屋で休むね。さ、行こ。アンナちゃん、レイラさん」
「あっ、はい」
(一応本人も元気の無い自覚はあるようですし、そこまで深刻な問題ではないのでしょうか?)
歩き出すエスティアナにトコトコと続いて部屋へと入るアンナ。
だが3人が部屋に入り扉を閉めた瞬間、
「うわあああああん、アンナちゃああああああん」
「えっ!?」
突如アンナは正面から抱きしめられ、そのまま持ち上げられた状態でベッドにダイブさせられた。
「ど、どうしたんですかエスティアナ様!?」
「もういっぱいいっぱいだよおおおおお。慰めてアンナちゃん!」
「うわあああ、それ以上押さえつけないで! 胸で――わぷっ――窒息しちゃいます」
いつもなら嫌がればすぐに離してくれるのだがエスティアナは解放してはくれなかった。
それどころかますます腕に力を込め、自分本位の抱擁を続ける。
やはりいつもの彼女ではない。
やがて抱きしめる力は緩んできたのを確認してアンナはエスティアナの顔を見る。
泣いているのかと思ったが彼女の顔にその痕跡は見つけられなかった。
代わりに何かを諦めたような儚い笑顔を向けられる。
「ごめんね。ちょっと取り乱しちゃった」
「……何かあったんですか?」
「うん……」
エスティアナは肯定したが理由を話そうとはしなかった。
ただ彼女が見せる表情に見覚えがあった。
(前世の……ボクの病室から出て行く時のお母さんの表情に似ています)
次に会うときにはもういなくなっているかもしれない。そういう喪失への恐怖と諦観。
エスティアナも同じような感情を抱いているのだろうか?
何も話してくれない彼女にそれを確かめることはできない。
代わりにアンナは自分からエスティアナの腰に腕を回してぎゅっと抱きしめてやった。
「……ありがとう、アンナちゃん」
しばらくするとエスティアナから安らかな寝息が聞こえてきた。
それを確認したアンナはため息をついた。
(これは……どうするべきなんでしょうかね?)
なんとなく、エスティアナの悩みは根が深い気がしてアンナは迷った。
もし現実的に対処が必要な問題だったら自分では無くロディに頼っていたはずだ。
それをせず最近知り合ったばかりの自分に縋り付くということは近しい人には言えない悩みなのか、或いは解決を諦めているために後腐れの無さそうな自分に悩んでいることだけを打ち明けてすっきりしたかったのか。
(首を突っ込んで助けになってあげるべきなんでしょうか?)
人のことを心配できるほど余裕のある立場ではないのだがついそんなことを思ってしまう。
もしこの行為が自分から助けを求めることが出来ない性格の彼女が発した精一杯のSOSだとしたら悩みを解決してあげたいと思う。
(うん、やっぱりお節介を焼いてみましょう。本当に助けが必要ないのならすぐに引き下がればいいですし)
やらないで後悔するよりはいいだろう。もともとぐじぐじ悩むのは性に合わない。
たぶんこの手の子は抱え込んで自滅するタイプだと思うし。
身近に実例がいるのだからこの感覚は間違っていないはずだ。
(って、ん? レイラ?)
そこでアンナは思い出した。そういえばレイラも部屋にいるはずなのに何も物音が聞こえない。
こんなことがあればいつもは割り込んでくるものなのに。そう思って視線を巡らせると、
「アンナ様が……他の女と……ベッドイン」
レイラがハイライトの消えた死んだ魚のような虚ろな目でこちらを見ながらレイラ心の俳句(字余り)を詠んでいた。
どうやら空気を読んで割り込まないでいてくれたみたいだ。彼女は人一倍感情の機微に敏感だからエスティアナがおふざけでやったのではないことを察していたのかもしれない。
ただその代償は大きく心に大きな傷を負ったようだった。
エスティアナより先にレイラの心のケアが必要かもしれない。




