第14話 終焉の獣
「『極剣』のジルヴェスター、ですか?」
「そうだ。この際だから話しとくが、グレゴールってのは偽名だ」
「そう……どうりでドミニクが素直に従ったわけだわ」
アドルフの告白にセフィーネは納得がいったという顔をしている。
一方アンナはちんぷんかんぷんだった。
「年に一度、ヴィードバッハ帝国で剣術の大会が開かれるんだが、その大会で一番になったやつに贈られる称号が『極剣』なんだ」
「めちゃくちゃ強そうな称号ですね」
「実際強いですよ~。この前の大会には刃壊流、水繃流、極帝流の三流派すべての師範が参加してますし、事実上優勝者は最強の剣士であることと同義です」
人族が使う剣術はほとんどがその3つの流派のどれかなので確かに強いのだろう。
「一対一なら恐らく人類最強だって本人が言ってたぞ」
「ただのおじさんじゃなかったんですね」
「そういうことだ。だからそんな心配する必要はねえんだって」
先ほどからちょこちょこ後ろに視線を向けていたのがばれていたようだ。
アンナの不安はいまだ消えない。
だが他の者たちは人類最強の称号をよっぽど信頼しているらしく、そこに不安は感じられなかった。
例え相手が魔物の群れであろうと『直立不動』と『極剣』のコンビならば殲滅して見せるだろう。だから自分たちは二人の討ち漏らした雑魚の相手をしつつ村へ向かえばいいのだと、セフィーネの護衛騎士たちは口を揃えて言う。
(でも……やっぱり何か引っかかるような……何かを見落としているような……)
もやもやの原因を探そうと思考を巡らせる。
(人類最強っていうならキリア神父が出てきたところで二人が負けるとは思えませんし……。じゃあキリア神父はそれがわかっているから魔物たちをけしかけた? あれ?)
そこでアンナは一つの疑問が生まれた。
「魔物の群れを嗾けたのがボクたちを攫った組織だとして、目的は何なのでしょうか?」
「村ごと潰すとかじゃねえか?」
「それはとても物騒ですが……それならわざわざ誘拐なんてせず最初から魔物を向かわせた方が早いと思います」
「なら口封じだ! 顔を見られた神父が情報を掴んじまった俺たちを消すためにやったんだ!」
アドルフの答えは特に根拠のないものだったが、一応筋は通っていないこともない。
でもそれならば、そもそもの問題として相手の組織はなぜ自分たちを誘拐したのだろうか?
金銭目的ではなかった。
ならばキリア神父が居たことから何か宗教的な信念のもと行われたことなのだろうか?
狙われたのは預言の日に生まれた子供たちだ。
だがキリア神父は自分たちを殺すつもりだった。
それはつまり預言の神子個人ではなくもっと物質的な……体そのものが必要だということだ。
(それじゃあまるで何かに捧げられる供物みたいじゃないですか……)
その考えに至ったときアンナの背筋が凍った。
もしかしたら自分たちは勘違いをしていたのかもしれない。
魔物の群れが押し寄せてきた理由を自分たちは相手の意図だと思っていた。
でももしそれが意図せぬ結果だったとしたら?
彼らの狙いは他にあって、その副産物として魔物たちが移動せざる終えない状況が作られたのだとしたら?
つまり魔物たちはより強大な存在から逃げてきただけなのだとしたら――。
(……魔物の群れなんかよりよっぽど危険な存在が復活、ないしは誕生した?)
確証は無い。
考えすぎだと言われればそこまでの拙い推理だ。
なのになぜこんなに鼓動が早くなり、汗が止めどなく流れ出るのか。
……その答えは向こうからやって来た。
「あれは……討ち漏らしか?」
最初にソレ気づいたのはセフィーネの護衛騎士隊長のカロンだった。
彼の言葉が疑問系になったのはまだ距離が離れているからというわけではない。
ソレが如何なる存在なのか、彼には判断がつかなかったからだ。
目線の先にあるソレは夜の帳の中にあってなお昏い、霧のようなものだった。
その存在感はあまりに希薄。
目視しているのに次の瞬間にはそこに在ることを忘れてしまいそうな、そんな不安定な存在感。
なのにすべてを呑み込んでしまうのではないかという不安を与えるその黒い霧はカロンに一つの固定観念を植え付ける。
――あの存在に近づいてはいけない。
カロンは一瞬で理解した。
魔物たちソレから逃げて来たのだと。
だが理解できなかった。
なぜソレが魔物たちを追い越して目の前にいるのかを。
全身が震え、汗が滝のように流れ、今すぐこの場から逃げ出したい衝動に彼は駆られた。
だがカロンはただ本能のままに行動する魔物とは違う。
彼には理性があり、使命があるのだから。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
ゆえにカロンはソレに向かって単騎で突進する。
それはあまりに唐突で無謀で愚かな行為だった。
その時点でカロンは正気を保ててなかったのだろう。
その時カロンを突き動かしていたのはただ一つの感情だった。
「カロン隊長――!!」
カロンの突然の動きに気づいた騎士たちが彼に視線を向け、更にその先にあるソレに気づく。
同時に彼らもカロン同様理解した。
ソレは理を外れた存在なのだと。
人の身で近づくことは許されぬ存在なのだと。
――だが彼らもまたカロンに続き一直線にソレに向かって突撃した。
近づいてはいけないと警鐘を鳴らす本能。
しかし彼らはそれを理性でもって押しのける。
我らは王女の護衛を任された精鋭中の精鋭。
王家の敵を前に逃亡などあり得ないのだ。
彼らはその矜持のみを支えとして未知の脅威へと立ち向かった。
彼らが護衛すべきセフィーネを置いて全騎で突撃するという愚を犯したと誰が責められようか。
それの排除無くしては王国に未来などないのだから。
騎士たちとソレとの距離はどんどん縮まっていく。
残されたアンナたちも一拍遅れてソレの存在に気づき目を見開く。
――その時彼らは確かに見た。
漆黒の闇から覗く二つの赤い目を。
――その時彼らは確かに聞いた。
終焉を告げる獣の戦慄きを。
「〓〓〓〓 〓〓〓〓〓〓〓 〓〓〓〓〓 〓〓〓」
意味を持つのかさえわからない獣の声が放たれると同時に大地は割れ、空気は震え、空は歪む。
獣に近づいた哀れな生け贄たちはあるものは砕けた大地の奈落へと落ち、あるものは一瞬で干からび砂塵となり、あるものは理を超えた見えざる力に四肢を引きちぎられる。
騎士たちは一瞬のうちにその存在を抹消された。
「なに……あれ……」
その光景は刃物を向けられても怯むことの無い精神力を持つアンナをして恐怖に凍り付かせるほどの凄惨な光景だった。
今さっきソレの可能性に思い至ったはずなのに――。
自分が一番に対応できる心構えを持っていたはずなのに――。
それなのに何も考えることができない。体が動いてくれない。
「「『ダブルアクセル』!!!」」
その絶望的状況の中、最初に動いたのはレイラとエリアだった。
彼女らは自らの主への忠誠ゆえに、真っ先に恐怖を振り払い自分のすべきことに気づく。
すなわち主人の安全確保。
二人は自らの主人を抱え基礎魔法アクセルの二重掛け、第二階梯合成魔法ダブルアクセルにより加速し、黒き獣から逃れようとした。
「まっ――待ってくれよ!!」
遅れたアドルフも身体強化により脚力を増強し、慌ててその後を追いかける。
「〓〓〓〓〓 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓」
しかしそれを引き留めるように再び獣が啼いた。
「「――――――!?」」
レイラとエリアに驚愕が走る。
発動中のダブルアクセルの効果が一瞬にして消されていた。
「――魔法を封じた!?」
驚愕するアンナ。
「『ダブルアクセル』!」
だがレイラが再び魔法を宣言すると、正しく発動し彼女を再び加速させた。
どうやら封じられたのではなく打ち消されただけのようだ。
しかしそれで安心したのもつかの間、獣が纏う黒い霧が急激に体積を増し風船のように膨らんでいく。
「――レイラ! なにか来ます!!」
不吉な見た目通りに膨張した闇は破裂した。
その瞬間、霧の破片とでも言うべき黒い刃がアンナたちに飛来する。
「「『ウインドウォール』!!」」
アンナとセフィーネが第三階梯のシールド魔法を宣言したのはほぼ同時だった。
しかし風の壁は無数に飛来する黒き破片が当たる度にその強度を弱めていき、遂には突破されてしまう。
「――ぐっ!」
「レイラ!?」
運悪く破片の密度が濃い方向にいたアンナとレイラの元に黒の刃が降り注ぎレイラの足を貫いた。
アンナを抱えたままレイラは勢いよく地面を転がる。
「大丈夫かアンナ!!」「アンナ、平気!?」
大丈夫です、そう言いたかったが強がりでも言える状況ではなかった。
レイラはアキレス腱の辺りをざっくり切られており、とても走れる状態には見えない。
そしてアンナ本人も、歩くことのままならない状態なのだから。
だれが見ても致命的な状況だった。
「先に行って下さい。ボクたちはここで迎撃します!」
この極限の状態にあって、アンナは驚くほど冷静にその状況を受け入れることができた。
自分は足手まといだ。
逃げられる可能性のある者たちの足を引っ張ってはならないと。
「アンナ!! 何馬鹿なこと言ってるの――」
エリアの腕から逃れてアンナに駆け寄ろうとするセフィーネ。
「エリアさん! あなたなら何を優先すべきなのかわかりますね!!」
セフィーネには答えず、エリアに言葉を投げる。
セフィーネを説得している時間はない。
こうしている間にも一歩、また一歩と暗闇が近づいてきているのだから。
最早一刻の猶予も無い。
「……わかりました」
そしてアンナの思いをエリアは、正しく理解した。
「はっ――離して!! このままじゃアンナが――」
「もうしわけございませんセフィーネ様」
エリアはそっとセフィーネの顔に手を当てる。
恐らく意識を奪う薬でも嗅がせたのだろう。セフィーネはぐったりとエリアにもたれかかった。
「……必ずドミニクと極剣を連れて戻ります」
悲痛な顔でそう言い残して二人はその場を離脱した。
「……俺は引きずってでもお前を連れて行く」
その場にはアンナ、レイラ、アドルフの3人が残された。
「……無理ですよ。アドルフ君の力では二人も運べません」
アンナ一人くらいなら身体強化があるので子供のアドルフにも運べるのかもしれないが、二人という部分を強調してレイラを見捨てるつもりがないことを暗に伝える。
「それでも!! お前を見捨てるくらいなら、残って一緒に戦うんだ!!」
正義感が強く、まだ子供のアドルフには誰かを見捨てるという選択肢などとれなかった。
それが大切な存在であるなら尚更……。
「いいえ、アドルフ君は先に行った二人と同じようにグレゴールさん、いえジルヴェスターさんでしたっけ? 彼を呼んできてください」
しかしアンナはそれを許さない。
「それならセフィーネたちが行っただろ!」
「あなたも行ってくれた方がより確実です!」
「ならその間、誰がお前を守るんだよ!!」
「あなたがいたって何の役にも立たないんです!! あなたの自己満足に付き合わせないでください!!」
酷いことを言っている、その自覚があってもアンナは言わなければならなかった。
助かるかもしれない友達を道連れになどしたくなかったから。
本当はもっとちゃんとした言葉で伝えてあげたかったがもう時間が無い。
だからアンナは足の痛みに耐えながら立ち上がりアドルフを抱きしめる。
「もし悔しいのなら強くなってください。あなたが世界に名を轟かせるほど強くなったら、その時はいっぱい守ってもらいますから。だから今は――」
アドルフは浮遊感を覚えた。
これはアクセルをかけられた時の感覚――、
「――またね、アドルフ君」
「――アンナ!! 俺は――――――」
一瞬にして二人の距離が開く。
アドルフの言葉は最後まで紡がれることはなく、遙か後方へと飛んでいった。
距離が稼げたからといってアドルフが逃げ切れるとは限らない。
でも自分のせいで友達を道連れにしないで済んでアンナはほっとした。
もしかしたら彼はそれでも戻ってくるかもしれない。
その時は彼の意思を尊重してあげるべきなのだろうか?
怒っているであろう彼になんと言って謝ろうか……。
……だが、もう彼と再び言葉を交わすことなどないことはアンナ自身が一番分かっていた。
闇は再び膨れあがり目前にまで迫っている。
体が妙にだるい。
全身から命を吸い出されていくような虚脱感。
もう魔法も使えそうに無かった。
アンナとてせっかく手に入れた幸福な日々をそう簡単に手放すつもりなどないはずだった。
最後まで足掻くつもりだったはずなのに体が動いてくれない。
ああ、ここで終わりなのだとアンナは理解してしまった。
「ごめんねレイラ。道連れにしちゃって」
本当はレイラも逃がしてあげたかった。
しかしレイラはアンナ無くして生きることは叶わない。
精神的なものではなく、現実に交わされた誓約ゆえに。
忌み子たる彼女は主人であるアンナの死と同時に奴隷紋により殺される運命なのだ。
アンナの謝罪を否定するかのようにレイラは強くアンナを抱きしめる。
最期の瞬間まで一緒なのだと言うかのように。
そして獣は二人を呑み込み――すべてを闇に染めた。




