第12話 ヒーローは遅れてやってくるものです
アンナとアドルフが別れの挨拶をする少し前、明かりの灯されていない暗闇の部屋に複数の男たちの姿があった。
「今から村の宿を調べるぞ」
「ですがハザン様、それでは王女との約束を違えることに!」
王女であるセフィーネが宿泊する建物、それと全く同じ作りをした宿がもう一棟この村にはある。
これは過去に反発しあう二人の貴族が同時に村にやって来て、どちらが一番高い宿を貸し切りにするかという理由でちょっとした諍いが起こってしまった事件があり、その反省から建てられたものである。
そして現在、もう片方の宿には昼間にセフィーネと言い争ったヴィードバッハ帝国侯爵家の三男ハザンとその従者たちが泊まっていた。
「これは一大出世のチャンスなのだ、少々のリスクなど恐れている場合では無い! それに王女と言っても所詮小娘、こちらが強く出れば文句はいえまいよ」
「ですが――」
「うるさい! あんな小娘に怯えるというのならお前は黙って見ておれ! ただし、事をなした後、お前に今の立場があると思うなよ」
「……」
ハザンは本来臆病かつ慎重で自分の立場を守ることにばかり目が行く小物である。
ゆえに彼の回りに集まる者も日和見のイエスマンばかりであり、大それた事を起こすような集団ではない。
現に今も部下たちは主人の渡ろうとしている危険な橋に怖じ気づいて難色を示している。
だが当のハザンだけはいつもと様子が違っていた。
普段ならば臆病なその男は大きな手柄を前にしてその判断力を鈍らせていた。
三男で特質した能力も無いハザンは中級士官の地位に就いてはいるものの、それは家の威光あってのものであり、ほぼお飾りの役職だった。
一応不自由の無い生活を送れているのだが、彼は今の地位に不満を持っていた。
そこに転がり込んだのが皇室のお家騒動である。
皇位継承権第一位の皇子は知と武の両方に卓越した才能を持つ天才で、本来なら順当に彼が皇位を継ぐはずだった。
しかし皇室の中にも生まれてしまったのだ。あの預言の日に、よりにもよって男の子、第13皇子が。
それを受け、現皇帝は皇位継承を先延ばしにした。
不安定な情勢だからというのが表向きの言い分だったが、英雄になる可能性を持つ第13皇子の成長を待つつもりであることは誰が見ても明らかだった。
当然第一皇子サイドの者たちは怒り狂った。
第13皇子を暗殺しようと考えたのは自然の流れだろう。
しかし相手サイドもそれは重々承知の上だった。
暗殺の魔の手が伸びる前に第13皇子は姿を消した。
しかしひょんなことからハザンは彼の消息の情報を手に入れた。
そう……手に入れてしまったのだ。
皇子暗殺を自分が成せば、無事皇帝の地位に就いた第一皇子からどれだけの見返りがもらえることか。
ハザンはまだ得てもいないその栄光に目がくらんでいた。
ゆえに――
「王女に睨まれようと構わん。皇子さえ見つけてしまえばこちらのものだ」
ハザンの愚行は止まることはなく、また誰も止めることができなかった。
++++++
最後の別れのため、アンナは家を抜け出し、アドルフと向かい合っていた。
月に照らされぼんやりと浮かび上がる茶畑はどこか幻想的で、これが本当に夢ならばとアンナは思う。
「今日この村にやってきたやつらは俺を追ってきているんだ。だからもうここにはいられない」
「そう……ですか」
予想通りだったとは言え、本人の口から別れを告げられるのはとてもつらいものがあった。
それにここは日本ではない。
一度別れてしまったら、そう気軽に再会できるものではないのだ。
だから、こんなときなんと言っていいのかアンナは言葉が浮かばなかった。
「そんな顔をするなよ。俺だって好きで出て行く訳じゃないんだ」
「それは……わかっています」
いつもと違って会話が続かなかった。
いくつか言葉のやりとりをするが当たり障りのないものばかりで、やがて言葉も尽きてしまう。
「……それじゃ、またな」
いまいち締まらない最後に若干寂しそうな顔でアドルフは別れと告げた。
「――あのっ……」
このままではいけない、そう思うが上手く言葉が出てこない。
「アドルフ君……あなたは彼らの言うように罪人なのですか?」
咄嗟に出てきたのはそんな的外れな疑問だった。
別れ際に何を聞いているのだと後悔するが、それでも会話を続けて時間を稼ぎたかった。
「それは違う。詳しく話せばお前も危ない目に遭うかも知れないから言えないけど、俺は悪いことをして追われてるわけじゃない」
アドルフが真っ直ぐにアンナを見つめる。
その瞳には最初に出会った時に感じた強い意志が籠もっていた。
「変なことを聞いてごめんなさい。ボクはアドルフ君を信じます」
「ああ、ありがとよ」
ふとアンナは思い出した。
そういえばまだ約束が残っていたのだと。
「アドルフ君はちょっと抜けてて間違ったことをしちゃうこともあるかもしれませんが、自分が犯した罪から逃げるような男の子じゃありませんから」
「ああ、もちろんだ!」
「だからレイラにしたことのけじめもちゃんと付けてくれますよね」
「あっ、あれはだって――」
唐突に出てきたレイラの話題に、感情的に否定しようとするアドルフだったが、すんでの所で踏みとどまった。
自分の目でレイラがどのような存在なのかを見極め、もし自分の行ったことが間違いだと思ったのならちゃんと謝る。それがアドルフがアンナにした約束だった。
「……そうだな。このまま逃げるのはずるいよな……」
そう言ってアドルフは背後を振り返る。
そこには二人を見守っていたグレゴールとレイラの姿があった。
アドルフはその二人に向かって歩いて行き、レイラの前で立ち止まる。
「その……悪かったよ。獣人だとか、忌み子だとかで悪者だと決めつけて。お前は確かに気に入らないところもあるけど……俺たちと何も違わない、一人の人だ」
アンナと話していた時のように目を合わせることはせず視線を斜め下に向けた状態の、ともすれば不遜ともとられる謝罪だった。
それはアドルフのまだ少年ゆえの意地とそれまで培われてきた常識が邪魔した結果なのかもしれない。
それでも彼はこの世界の常識の殻を破り、レイラを人と認めたのである。
「……謝罪を受け入れます」
レイラはただ一言、感情のこもらぬ顔でそう言った。
上から目線だと気分を害しただろうか。
それとも初めて自分を忌避する者から認められたという体験に戸惑っているのであろうか。
その心の内はわからない。
だが最後に自分の家族を受け入れてもらえてアンナの心はとても満たされていた。
「これでわだかまりもなくなっちゃいましたね」
レイラを認めてくれたのは嬉しかったが、同時にアドルフとの繋がりのようなものが切れてしまった気がしてアンナの顔はすぐに陰ってしまう。
だがアドルフは決意を固めた顔で再びアンナに向き合い目を合わせた。
「少しだけ待っててくれ!」
それはアドルフが本当に言いたくて、でも恥ずかしくて言えなかった言葉。
レイラに向き合ったことで彼の恥じらいが取れたのかもしれない。
「あと1年、いや正確にいつってのはわからねえけど必ずまた会いに来るから! だから、それまで待ってて欲しい」
真っ直ぐに、精一杯の誠意を込めてアドルフは言葉を紡いだ。
(そっか……そうですよね。『また』会えばいいんです)
アドルフの強固な意志を見せられアンナの心の中にも一つの思いが生まれた。
例えどれだけ再開が困難であっても二人がそれを望んでいるのなら決して不可能ではないはずだ。
例えその間に流れた時間が二人を変えたとしても今この瞬間彼と過ごしたという事実が変わることは無い。
だからまた会えばいいのだ。
(それが……友達なんですね)
だから――、
「待ってます。次に会えるその日まで! ……それまでさようならです」
アンナは最高の笑顔でアドルフに別れを告げた。
「ああ! 必ず迎えに来るからな! だからその時は――」
アドルフも少し照れた顔で微笑み返し最後に何かを告げようとしたその瞬間――4人の回りに赤い光が満ちた。
「ありゃりゃ、こりゃ囲まれちまったな。青春の1ページだってのに野暮なことしやがるぜ」
グレゴールがいまいち緊張感の無い感じに言うと同時に光の中から黒いローブを纏った複数の人影が姿を現した。
++++++
最初に異変に気づいたのはドミニクであった。
固有魔法『血露結界』。彼女自身の血を代償として霧のように空気中に分散させ、その血の霧が広がった範囲内の情報を読み取れるというドミニク固有の能力。
最大半径2kmにも及ぶ広域な索敵能力により彼女は村全体の状況を一度に把握することができる。セフィーネがエリア一人を連れて出歩けていたのも、ドミニクの存在ゆえなのである。
彼女は監視としてハザンの泊まる宿に控えていて、もし怪しい動きを見せた場合は証拠を掴んだ上で拘束せよとのセフィーネから命令されていた。
――しかし彼女が感じた異変とはハザンたちが動いたことではなかった。
彼らの動きなど血露結界により完璧に把握していたし、今夜動くであろう事も想定の範囲内だ。
だからドミニクが感じた異変はまったくの別物。
(……突然村の内部に気配? それも複数ですか……なんとも面倒くさい)
彼女の索敵範囲の内部に突如現れた複数の人の気配だった。
(数は5。村長の家のある辺りですね)
一瞬ドミニクの頭にはセフィーネの友人であるアンナの顔が浮かぶ。
これ、助けに行かないと後からセフィーネに怒られるのだろうかと、手間と保身を天秤にかけるドミニクだったが――
(――更に五人の気配が発生? しかもセフィーネ様の部屋……)
気だるげだったドミニクの表情が一変する。
行動は一瞬だった。
窓から飛び出したドミニクはそのままセフィーネの元に駆けつけようとする。
そこへ――
「ちっ、見つかったか! おい、お前たち始末しろ!! これは賊がやったことだ!」
同じく窓から抜け出し村を漁ろうとしていたハザンたちと鉢合わせる。
(ああ、そういえばこいつらもいましたね……)
緊急事態で一瞬意識の外に追いやっていたが彼らが動いた以上ドミニクの仕事は彼らを拘束することにある。
だがこの時彼女は迷った。
ドミニクの性分からして普通ならば与えられた仕事以外のことをすることはない。
セフィーネの護衛は他の騎士たちの仕事であり、セフィーネの寝室にはエリアも控えているのだから。
そしてエリアは強い。
戦いとなればドミニクの圧勝であろうが、殺し合いとなればドミニクをしてただでは済まないと思わせるほどの猛者である。
(――でも、な~んか嫌な予感がしますね)
ドミニクの経験が今ここで足止めを食らうことに警鐘を鳴らしていた。
その感覚に従い、ドミニクはセフィーネの元に行くことを決めていた。
さりとて彼らを放置することもできない。
「……殺しますか」
捕縛より殺害の方が早い。それにこのタイミングならば侵入者に罪をなすりつけることもできる。
そう判断したドミニクは彼らに一閃、水が流れるような滑らかな動きで剣を振るうと、魔力により強化した脚力で地面を蹴り、弾丸のごとき速さでセフィーネの元へと向かっていった。
彼女が去ったその場所に口を開くものはなく、ただ真っ赤に染まった地面が月明かりに照らされていた。
++++++
それは何の前触れも無く起こった。
赤い光と共に突如現れた黒ローブを着た5人の侵入者。
彼らは警告することもなく、逡巡することもなく、即座にその部屋の主、セフィーネに向かって走り出した。
「エリア!!」
セフィーネのかけ声と同時にエリアはその場に伏せ、先ほどまで彼女の頭があった場所を突風が吹き抜ける。
無詠唱・無宣言で放ったセフィーネのエアショットは突然の侵入者の一人を見事に捉え壁に激突させる。
「『ウインド』!」
間髪入れず今度はエリアが基礎法を唱え、残りの四人に向かって風を吹かせる。
それは本当に何の変哲も無いただの風。
しかしその風にエリアは即効性の麻痺毒を乗せて彼らの元に届ける。
エリアは第二階梯の素質しか持たず魔力量も少ないが、その代わりに極めて精密な魔法制御技術と毒物に対する知識があった。
「うぐっ――」
「ぐあっ……あ……」
毒を乗せた風を吸ってしまい、彼らの動きが鈍る。
その隙を逃すことなく、エリアはナイフを抜き侵入者を切りつけた。
「ぐおおおおおおおおおおおお」
「がああああああああああああああああ」
「!? この人たち――」
しかし、ナイフで切り刻まれながらもまるで痛みなど感じていないかのようにセフィーネへと走り寄る彼らを見てエリアが驚愕する。
「エッ――『エアショット』!!」
毒により動きは精彩を欠いていたが、痛みをものともせず鬼気迫る表情で向かってくる彼らはセフィーネに恐怖を与え、魔法による迎撃を僅かに遅らせる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお」
「――セフィーネ様!!」
その一瞬の隙は致命的だった。
即座に我を取り戻したセフィーネが魔法により二人を吹き飛ばし、エリアも一人の息の根を止めるが最後の一人がセフィーネに肉薄してしまう。
それは魔法使いとしては致命的な距離。
セフィーネが魔法を発動するより前に賊は左手を伸ばし、剣を突き出し彼女を貫く――
「ほっ」
その直前、窓から飛来した陰がその剣をはじき飛ばし、同時に賊を真っ二つに切り裂いた。
「ドミニクさん!」
エリアの顔に安堵が浮かぶ。
それは絶妙なタイミングだった。
もしあと一瞬でも遅れていたならセフィーネの命はなかっただろう。
ドミニクの騎士としての勘と、それに従うことを迷い無く決断した判断力が生んだ奇跡と言える。
そして王国最強の一角が登場した以上、既の勝敗はこの場は決した。
セフィーネの魔法を受けて吹っ飛ばされた者たちにはまだ息があるが、もはや脅威でもなんでもない。
もしこれ以上の追撃があろうともセフィーネに指一本触れることはできないだろう。
――しかしエリアは気づけなかった。セフィーネに剣を突き立てようとした賊が、同時にもう片方の手の中に握られていた何かを指ではじき飛ばしたことを。
そしてそれこそが彼の本命の行動であったことを。
「無駄なことを――」
だがドミニクは血露結界により彼の動きをすべて把握している。
当然最後の足掻きも察知していて、彼から放たれたのが赤い球体であることを確認すると剣で弾くために刃の腹の部分を球体にぶつけた。
――しかし剣がその物体に触れた瞬間球体は粉々に砕け散る。
(――えっ?)
セフィーネは眼前にその破片が迫ってきているのに気づく。
しかし気づいた時には既に遅く、驚きの声を出すだけの猶予もなく彼女はそれを浴びていた。
それがどれだけ自分を危険に晒す存在なのかセフィーネは理解していた。
なぜなら破片が放つその赤い光は賊が突然この部屋に現れた時に放ったものと同じ色。
つまりこの玉の効果は――
「……セフィーネ……さま?」
エリアは突然不具合を起こした自身の目を何度も瞬いた。
しかし何度見直しても部屋の中に主の姿は確認できない。
彼女のいた場所には光を失った黒くひび割れた玉が転がっているだけだった。
「……これは、やられましたね……」
ドミニクのつぶやきが、今エリアの見ている光景が事実であることを証明する。
セフィーネは二人の前から忽然と姿を消していた。
「――すぐに捜索を!!」
「もうやってます。でも……セフィーネ様の所在は私の『血露結界』の範囲外ですね」
ドミニクの報告は絶望的なものであった。
ドミニクの『血露結界』の索敵最大範囲は半径二キロメートルであり、その範囲内にいないということはすぐにセフィーネのもとに駆けつけることが困難であることを示している。
さらに最悪なことはセフィーネがどの方角に飛ばされたのかもまったく見当の付けられないということだ。
エリアの不健康な肌色から一層血の気が引いた。
「転移の魔法など聞いたことがありません……。ましてや物体に付与して任意に発動さえる技術など……」
「実際やられちゃったわけだしねぇ……」
「では生き残った者に尋問を――」
「それも無理っぽいですよ」
見れば息のあったはずの物たちは一様に大量の血を吐いて絶命していた。
「動きが人間離れしていたのでおかしいとは思っていましたが……。何かの薬物を飲んでいたようですね……」
これで完全に手がかりはなくなってしまった。
「まぁ落ち着きましょうエリアさん。まずは他の騎士たちにこのことを通達して捜索に当たりましょう」
「……そうですね」
ともすれば短絡的な行動に走ってしまいそうになっていたエリアをドミニクが諫める。
「さて、これ以上面倒くさくなる前に終わらせてしまいましょう。他の人への説明はエリアさんに任せます」
「あなたは別行動ですか?」
「はい。賊が現れたのはここだけじゃないんで」
そんな大事なことは先に言ってほしいと思うエリアだったが、
「心配いりません。あっちには頼もしい知り合いの気配を感じましたから。ちょっと助力を求めようかと」
「そうですか……ではそっちはお願いしますね」
ドミニクの言うことだから間違いはないのだろうとエリアは思う。
怠け者ではあるが彼女は決して愚かではない。
ならば自分たちとは離れ、自由に行動して貰った方が利は大きいだろう。
「今日はあなたが仕事熱心で助かりました」
「知りませんでしたか? わたしは長期の不働のためなら短期間の努力を惜しまない女ですよ?」
「無事事が終わったら休暇を増やすよう進言しておきますね~」
普段の調子を取り戻し互いに憎まれ口を交わし合あった後、二人は行動を開始した。
++++++
「――っ!? ここは――」
青臭い空気が鼻を突き、頬にざらつきを覚える。
どのような原理かはわからないが転移させられ受け身も取れず地面に転んでしまったようだとセフィーネは理解した。
「おお、どうやら成功したみたいだな!!」
突如耳に飛び込んで来た大人の男の声に驚き、顔を上げるセフィーネ。
すると先ほど襲撃に来た者たちと同じ黒いローブを着た男たちが目に入った。
男たちはぐるりとセフィーネを囲うように立ち並び彼女を見下ろしていた。
「でも行った奴ら誰も戻ってこないぜ?」
「やられたんだろ。王女様の護衛がいたはずだしよ」
「ってことはこのガキが第四王女なのか?」
「間違いねえだろ。聞いてた特徴と一致するしな」
(この人たちは……まさか――)
男たちの言葉からセフィーネは最近頻発していた子供の誘拐事件のことを連想した。
狙われた子供たち決まって10歳前後。すなわち預言の日に生まれた子供を狙ったのではないかと考えられており、まさにセフィーネはその条件に当てはまる。
ならば目の前の男たちはその実行犯で――、
(に……逃げなきゃ……)
身の危険を感じセフィーネは掛けだそうとする。
しかし――、
「おっと、逃がさねえぜお姫様」
「――いたっ!」
気遣いの無い強い力で腕を掴まれセフィーネの逃亡は阻止される。
「はっ――離しなさい、無礼者! あなたは誰に手を出しているのかわかっているの!?」
「悪いなお姫様。俺たちも仕事なんだよ」
「お金が目的ならわたくしが払うわ! だから今すぐその手を離しなさい!」
「んなこと信用できるわけないだろ」
今すぐ泣きだしてしまいたい気持ちを必死に押さえて気丈に振る舞うセフィーネ。
しかし護衛もおらず、王族の権威が意味を成さないこの野蛮な場においてセフィーネの言葉は何の意味も成さなかった。
だが、セフィーネはただの王族では無い。王国始まって以来の天才であり、その才能に恥じない実力を持つ魔法使いなのだ。
「それなら――無理矢理離してもらうわ! 『エアショット』!!」
「なっ――!? ぐあああああ――」
セフィーネの魔法をもろに食らい、男は吹き飛ばされ木の幹に激突する。
「――このガキが!!」
一瞬遅れて反応した他の男たちがセフィーネに押さえようとするが、彼らにも同じようにエアショットを放ち無力化していく。
あっという間にすべての男たちを吹き飛ばしたことでセフィーネは退路を確保することに成功する。
「『アクセ』――うぐっ――!!?」
一刻も早くこの場から立ち去ろうと、加速魔法『アクセル』を唱えようとした瞬間、脇腹に激しい衝撃を受けて、強制的に中断させられた。
――蹴られた、そう理解できたのは地面に顔がついた後だった。
「相手は預言の神子だから油断するなとあれほど言ったというのに……。まったく、学の無い方々はこれだから好きになれません」
「かはっ――、げほげほっ……うぅ……」
「可哀想に、こんなに苦しんでいるではありませんか。だから見つけ次第殺すように言ったのですがねぇ」
「…………え?」
新たに登場した男の言葉を聞いてセフィーネは戦慄した。
(殺すって……どうして? 彼らはわたくしを売ってお金を稼ぐのではないの?)
預言の日に生まれた子供は男女問わず軒並み能力が高い。
奴隷として売れば当然高額で取引されるのでてっきりお金目当ての誘拐なのだと思っていた。
それゆえに痛い目に遭わされることはあっても殺されることはないはずだとセフィーネは高を括っていたのだ。
だが目の前の男は確かに殺すと言った。
セフィーネは目を見開いて男を見上げた。
いたいけな少女を蹴り飛ばしたというのに微塵も罪悪感を感じていない冷たい目が自分を見つめていた。
この男は何の躊躇いも無く人を殺せる人種なのだとセフィーネの直感が告げていた。
「い……いや……」
セフィーネの虚勢もそこまでだった。
目前に迫った死の気配が彼女の思考を恐怖一色に染め、体の自由を奪う。
男が腰に下げた三日月刀を抜く。
「やだぁ! やめて、助けてエリア――ドミニク――」
セフィーネの悲痛な叫びに応えてくれる者はいない。
ここに転移させられてからまだ数分も時間は経過しておらずエリアもドミニクもコルト村から出てすらいないだろう。
奇跡的にセフィーネの所在地を彼女らが掴んだとしても、もはや手遅れである。
「アンナあああああああああ――!!」
最後に呼んだのは会って間もない、しかし付き合いの短さなどものともせず自分の懐に入ってきてくれた大切な人の名だった。
だが当然その言葉がアンナに届くことは無い。
彼女の柔らかな肌を切り裂こうと男が刀を振り下ろす――その瞬間。
「なっ――なに!?」
「――っ、このタイミングで二人目ですか」
突如セフィーネの真上に赤い光が走り小さな人影が現れた。
「――えっ!? ここはどこ――って、ふえっ? なんでセフィーネ様が?」
セフィーネの上にハニーブロンドの可愛らしい天使が舞い降り、その場の緊迫感を一瞬で霧散させるほど間抜けな声をあげた。




