第24話 尊い心 プレシャス・ハート
師匠はとりあえず話を合わせた。
「そ、そうか……良かったな」
「決めた。僕は屋敷へは帰らない! 旅に出る」
「な、なぜ?」
「そなたに心を磨いてもらった。次は自己で器量を磨くことにしたのだ」
マッテオは師匠の前で足を止めて兜を外す。
その表情は希望に満ち溢れ、翡翠の眼が爛漫と輝いていた。
兜を脇に抱え、彼が握手を求めながら「世話になった。研魔職人」と述べると師匠は、その手を握ることなく返す。
「まぁ、また心に穢れがまとわりついたら、我の工房へ立ち寄れ。磨いてやる」
「断るっ!」
「……」
「輝ける男になれば磨く必要など無いだろ?」
「ふん。言ったな小僧?」
「その時は成長した僕を是非とも見てほしい。挨拶に来るさ」
「いや、面倒だ。二度と来るな」
「はぁーははは! 良い持ち味をしているな。研魔職人!」
「黙れ」
貴族の子息……いえ、旅人となったマッテオ・エレメルは持っていた兜をかぶり、踵をかえすと花畑に背を向けて歩き出した。
「師匠……あの人、あの兜を着けたまま旅をするのですか?」
「聞くな」
出会った人々が、それぞれの道を見つけ、心のおもむくまま歩んで行く。
「でも、素敵です。研魔術がここまで人を変えてしまうなんて。私、改めて研魔職人になりたいと思いました」
「自ら輝く心の前では、研魔術なんて子供騙しだ。いくら宝石にして磨いても、所詮、心の輝きなんて端から見てもわからん」
「アラベラさんもマッテオも心を磨いたから、二人は前向きに生きられるようになったんですよね?」
「心は穢れていないように取りつくろうことはできる。アラベラ嬢は本来持つ心の輝きで自信を取り戻し、幸せを見つけたのだ。そして、あの貴族の坊やが己で心を磨き続け、輝かせる為には、何を成し遂げたかでしか計れん。つまるところ、心を輝かせるのは自分次第だ」
「あのマッテオは、この先も心変わりしないままでいられるでしょうか?」
「変わるも良し、変わらんも良し。それだけだ」
「それで言うなら、アラベラさんは変わって良かったですね? 婚約者のズデンカさんが彼女の心を変えたみたい」
「弟子よ。まだ解らんか?」
たまに出る師匠の謎かけ。
私は考えたけど、謎かけの意味自体がよくわからなかった。
見るに見かねて師匠が答えた。
「令嬢殿が新たな婚約者の心を変えたのだ」
「アラベラさんがズデンカさんを?」
「十年前、彼女が投げかけた、たった一言。その一言が一人の男の心を輝かせ続けた。アラベラ嬢の幸せは、巡りめぐって来たにすぎぬ」
師匠は顔を背けて少し恥ずかしそうに語る。
「"ありがとう" 一番、簡単な研魔術だ」
それを聞いて、私はアラベラ嬢が羨ましくなった。
「スゴいなぁ……アラベラさんの心の宝石は特別だったんですね」
「いや、誰しも特別な心の宝石は持っている……特別で切なく、変えがたい大切な気持ちを何と言ったかな? 弟子よ」
「尊い、です」
「上出来だ」
ダーケスト様の足は来た道を戻って行く。
去り際に彼は言った。
「心とは尊いモノだ。だから、壊さぬようにな」
研魔職人は心の穢れに触れることで、自らの心に穢れをまとう。
けれども、研魔職人自身の穢れを取り払うことは、誰にも出来ない。
私は師匠であるダーケスト様の話を思い出した。
"研魔職人は他人の穢れを落とす代わりに、闇へ堕ちるしか道がないのさ"
職人という人達は基本、無口。
師匠のダーケスト様は職人なので、あまり自分のことを話さない。
私が弟子入りする遥か昔、過去に何があったのか、私は知らない。
だから――――知りたい。
「アナタは……自分の心を大切にしていますか?」
彼は背中へ投げかけられた問に足を止め、風にそよぐエーデルワイスの花畑を、ジッと見つめてから答えた。
「……」
そして師匠は、また歩みを進めるのでした。
私はそれ以上、聞くのを止めて静かにダーケスト様の背中を追いかけた。
「弟子よ。この後の予定は来客が多い。忙しくなるぞ?」
「はい! 頑張ります」
おわり




