第23話 エーデルワイスの花言葉
すると、アラベラ嬢はゆっくりと兜を脱ぎ、栗色の髪を風に任せてほぐすと、両手で持った兜を持ち変え「えい!」と、掛け声と共に子息マッテオの頭にかぶせた。
「な、なんだ? 急に」
「ご存知ですかマッテオ様? エーデルワイスの花言葉を」
「い、いや、知らない」
「エーデルワイスの花言葉は”大切な思い出”。アナタは私に大切な思い出を下さいました……ですが、もういいのです」
「もう、いい?」
「マッテオ様――――残念ながら、申し出をお断りいたします」
「ぼ、僕は以前のような心無い人間ではない!」
「えぇ、翡翠のような瞳を見れば解ります。純真無垢なキレイな眼。昔、ケガをした私にハンカチで傷を手当てしてくださった少年の眼。私が慕い、憧れたマッテオ・エレメル様ですわ」
「だったら……」
「アナタが私に大切な思い出をくださったように、今度は私が、誰かへ大切な思い出を作ってあげたいのです。今は、そう思わせてくれる人と巡り会えましたの」
かつて婚約者だった二人は、黙ってしまった。
よどんだ空気を消し去るように風が男女に吹き付け、髪がたなびくほど吹き付ける風は、地面に落ちたエーデルワイスの白い花びらを吹き飛ばし、青空へ舞い散らせた。
アラベラ嬢は風にたわむれる花びらを、愛おしく眺めた後、兜をかぶる子息へ向き直り語りかける。
「マッテオ様が本当に生まれ変わったのなら、私ではなくアナタがこれから出会う人々に、分け隔てなく、その優しさを与えて下さい。愛のある人生の素晴らしさを、より多くの人に伝えてほしいのです」
風で舞い上がるエーデルワイスの花びらは、まるで、令嬢がこれまで胸に秘めていた過去を吹っ切り、自身を縛り付けていた記憶を彼方まで忘却させたようにも見えた。
師匠はほくそ笑みながら呟く。
「くくく、大した令嬢殿だ。婚約破棄返しとはな」
令嬢が頑なに外すことを恐れた兜を、自分の手で脱いだ。
その意味は大きい。
アラベラ嬢は自分の生き方に、迷うことはなくなったのだと。
アラベラ嬢は子息マッテオの両手を取り、立ち上がらせると一礼し、その場から離れ、私たち二人の元へやって来た。
スカートの裾を掴み軽く持ち上げて、深々と頭を下げた。
「ダーケスト様、クラヴィス様。私はこれで失礼します。ごきげんよう」
「あぁ」
私は手を小さく振って挨拶を返す。
「アラベラさん、またね」
自信に満ちた可憐な令嬢は、咲いた花のように凛とした背中を見せながら、立ち去って行った。
「ねぇ、師匠。これで良かったんですよね?」
「さぁね、我には人間の気持ちはよく解らん」
解らんなんて言いながら、師匠のダーケスト様はどことなく嬉しそう。
師匠は腕組をして愚痴をこぼす。
「しかし、これもまた難儀。フラれるというのは心が穢れやすいものだ。せっかく研魔したというのに」
すると――――。
「ふ、ふふふ……むふふふ……はぁーっはははは!!」
兜を着けたまま突然、天高く笑い出した子息マッテオを見て、私は師匠の腕を掴み恐怖。
「し、師匠! あの人、フラれたのに大笑いしてます。怖いです!」
「言うな弟子よ! 我も戦慄を覚えているところだ」
兜をかぶった子息が、こちらに視線を向けるので、私は思わず師匠の腕に顔を隠して身を守る。
兜を着けた出で立ちは、人形が勝手に動き出したようで、すごく気持ち悪い。
子息マッテオは私たちへ歩みながら語った。
なんだろう、不気味な風格と圧で寄ってくる。
「一人の女性の心を掴むことすら出来ぬ男が、歴史ある名家を守ることなど、叶わぬと悟ったのだ」




