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第15話 繊細な心 フラジャイル・ハート

 子息マッテオの悪意に満ちた立ち振舞いは尚も続く。


「僕たち貴族階級は平民と違い、神に愛された唯一無二の存在。それゆえ、生まれながらにして精錬な心持っている。研魔術などと言う下賤(げせん)の力に頼る必要はない」


 令嬢は顔を覆って肩を震わせ、覆った手のすき間から、溢れんばかりの大粒の涙を流していた。

 追い討ちをかけるように子息マッテオは罵倒を止めない。


「所詮、君も家の名前と結婚したいだけの低俗な人種だ」


 たまらず私は「止めて!」と叫び、間に割って入った。

 子息はまるで汚い物に目を向けるように見下して聞く。


「なんだ? 異人の連れ」


「アナタには人の心が無いの? アラベラさんが、どれだけアナタのことを慕っているか、知っていますか?」


「知っているさ。僕の花嫁候補はみんな僕を慕っている。何故なら僕が代々、王家に使える軍閥の一族で、伯爵の地位に近い者。政治の中枢に影響をもたらす貴族の息子だからね」


「そんな話じゃない!」


「めんどくさい娘だ。ここは貴様に分不相応だ。早く馬小屋にでも帰れ!」


 貴族の子息は腰に携えたサーベルを取り出した。

 (さや)に納めた剣を掲げ、私の頭へ振り下ろそうとした。


 何もかも終わるかもしれないと悟った。

 このまま頭を殴られ命を落とすのかも。

 命があってもケガの後遺症で、まともに生きていけないかもしれない。

 もう研魔職人になる道は閉ざされたんだ。


 その瞬間――――サーベルの風を切る音がピタリと止んだ。

 剣先は私の前髪を風圧でわずに散らす。

 痛みへの恐怖が不発に終わると、腰が抜けて膝から落ちた。

 アラベラ嬢が泣きながら私へ寄り添う。


 子息マッテオの手元を見ると、鱗に覆われた大きな手が、サーベルを持つ子息の手首を掴んでいる。


 魚人のダーケスト様は低く唸る声で言った。


「失礼。先ほどから聞いていれば、随分と自分の心内に自信がおありのようだ」


「は、離せ異人!? なんと汚い手だ! キサマのような駄族がいるだけで、華やかな場が汚される。失せろ!」


「そこにヘタリ込んでいるのは我の弟子ゆえ、粗末に扱われては困るのですよ。それに、アラベラ嬢は大切な顧客でしてな。黙ってはいられんのです」


「無礼なヤツめ!」


 子息マッテオは掴まれた手を振りほどき、ダーケスト様の胸を鞘で押す。


 が、魚人の師匠は巨大な幹のように微動だにず、子息は少し戸惑って何度も師匠を鞘で押した。

 舞踏会に参加した貴族達にも不穏な空気が流れ、それを察した子息は「おのれ」と悪態をつき尚も師匠の胸を押すので、ダーケスト様は不毛なやりとりに飽きて子息の腕を、また掴み、軽くねじる。


 人体とは不思議なもので、子息マッテオは、ねじれた腕に連なり、身体はのたうち回る蛇のようによじれた。


 師匠のダーケスト様は(はばか)ることなく、貴族の息子に詰め寄る。


「これでも、かつては異人の権利を訴える闘争に参加していたもので、荒事には馴れていましてな。おまけに、異人を圧制し続けた貴族連中を、今でも嚙み千切りたいほど恨んでいる」


 そう言うと師匠は子息の耳元へ裂けた唇を近づけ、大きく口を開き鋭い牙を見せつけた。

 腕力で敵わず、今にも噛み千切られそうな牙に、すっかり怯えた子息マッテオ。

 彼は震える声で反論する。


「たった一度だけ優しくされたくらいで、つけ上がる女など、程度が知れている!」


「心底、そうだと思っているのか?」


「あぁ、そうさ!」


「ご存じか? その一度だけ優しくされたことを大切な思い出として、何年も相手のことを(した)い続ける者がいることを。何度、蔑まされても過去の出来事を思い返し、いつか相手の気持ちが変わってくれる、理解してくれると信じる女性がいることを。我には理解できぬ。人間ではないのでね」


「腕を離せ無礼者!」


「しかし、そんな一途な気持ちを平然と踏みにじる男の性格は、もっと理解できないね!」


「この汚らわしい野獣め!」


「ふん! 野獣で結構。貴殿からすれば、女に優しくしたなんて、何人も囲む婚約者の一人かもしれない。長い人生において、風が過ぎ去った出来事かもしれない。だがな、そんな思い出を、宝石のように大切にしている女は確かにいるのだ。そんな特別で変えがたい気持ちを、人の言葉で"(とうと)い"と言うのではないか?」


「何をわけのわからないことぉ」


「尊い物はガラス細工のように繊細でモロい。だから――――言葉に気を付けろ!!」


「こ、こんなことをして、だだで済むと思うな魚人!」


「結構。ならば今日は無礼講と行きましょう。特別にタダで貴殿の心を見てしんぜよう」

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