その64 夢オチを切に希望しますわ!
これは夢なのだと、わかっているのですわ。
真夜中に目が覚めたのは、泣き声のせいでしょうか。
どうせ、夢なのだけど、「わたくし」はゆっくりと起き上がりました。
あら、いつの間に、手を繋いでいたのかしら。「わたくし」は隣で寝ているもう一人を起こさないように、指を解きました。
「……セ、シ……」
ふふ、寝ぼけているのね。大きな子供がいるみたい。半目を開けて、むにゃむにゃと寝返りを打つ夫の姿を見て、「わたくし」は笑いました。
「母上ぇ……」
反対側から泣きじゃくる声で呼ばれて、「わたくし」は振り返りました。
「どうしたの?」
問うと、小さな身体が「わたくし」にしがみつきます。
暗い寝台でも、よくわかるわ。自分と夫によく似た顔の男の子が、ギュッと抱きついてきました。「わたくし」も、つい抱き返します。
こちらには家族が一緒に寝る習慣なんてないみたいなの。
最初は渋られてしまいましたわ。でも、やっぱり、この方が良いと思うのよ。
「ねえ、母上……どこにも、いかないで」
そう言って、縋るように泣く男の子を「わたくし」は優しく撫でました。
「どっかいくのやだぁ……」
柔らかなブルネットの髪も、赤く染まった白い頬も、全て愛おしい。思わず、額に唇を落とします。
「エミール。いい? よく聞くのよ」
男の子の名前を呼んで、「わたくし」は微かに笑いました。本当は、笑うべきではないと思うのだけど、笑うことにしましたわ。
この子は、察しているのかしら。そんな気がして、「わたくし」は声を潜めました。
「大丈夫ですわ。きっと、またすぐに還ってくるから」
よくわからない。そう言いたげに、暗がりの中で男の子が「わたくし」を見つめます。
わからなくても、いいのよ。「わたくし」はいっそう優しく撫でながら、子守唄のように言い聞かせました。
「セザールとクロードに手紙を書いたの。わたくしがいない間、きっと、あなたの力になってくれるわ」
心残りがあるとしたら、この子のこと。
大丈夫。きっと、この子は強い子になりますわ。でも、少し臆病なのが心配ね。父親の方に似すぎている気もするわ。もう少し、「わたくし」に似ればよかったのに!
「母上……い、いたいよぉ」
いつの間にか、「わたくし」は男の子をきつく抱き締めていました。
ごめんなさい。ごめんね。
今更になって震える身体を鎮めようと、「わたくし」は小さな我が子を抱き締めます。
そうしていないと、涙が出そうだったの。
決意が揺らいでしまいそうで、怖かったのよ。
ごめんね。ごめんなさい。
† † † † † † †
飛び起きた。
文字通り、寝台から飛ぶように起き上がった。傍から見ると、エビみたいだったかもしれない。
なんですか。今の夢は――?
信じられないくらい高鳴った鼓動を抑えようと、ルイーゼは胸元を握り締める。息があがって、肩が上下した。よくわからない混乱で頭が埋め尽くされる。
え? なんですか? あの夢は? あれも、前世の記憶ですか?
一緒に寝ていたのは誰ですか。
どう見ても、小さい頃のエミール様と若い陛下でしたわよ!? え!? なんで、騎士身分の男が、そんな組み合わせで寝ているのですか。ホモですか。おかしいでしょう。いやいやいや、ありえませんから。なんの妄想ですか。
――なんで、アンタの前世二人分見えるんだ?
ギルバートの言葉を思い出す。
あの状況がありえる人間は、一人しかいないのではないか?
「まさか、ねぇ?」
ルイーゼの頭から血の気がサアッと引いていく。あまり考えたくない。だが、夢の中の「わたくし」について、心当たりが一人だけ浮かんでしまった。
あの状況下にいることが出来る人物。
エミールから母上と呼ばれ……首狩り騎士と同じ日に死んだ人物が、一人いるではないか。
「そんなはず……!」
そんなはずは、ない。
ルイーゼは毛布を蹴飛ばし、木刀を掴んで寝台から起きあがった。
小さな町の安宿。簡素な造りの部屋を飛び出して、ルイーゼは裸足で駆けた。まったくもって愉快ではないし、お魚くわえたドラ猫もいない。寝間着姿だが、構う余裕などなかった。
「ギルバート殿下、早急にお聞きしたいことが――!」
ルイーゼはギルバートがいるはずの部屋に飛び込んだ。
直後、男性の部屋を訪問するのには無防備すぎる格好であることを自覚したが、なにかあれば返り討ちにすればいい話だ。
だが、中を見た瞬間、ルイーゼは絶句した。
「え……あー……申し訳ありません。人違いでしたわ」
見なかったことにして、ルイーゼは静かに扉を閉めることにした。
きっと、夢の続きに違いない。
そうだ。よく考えれば、ありえない夢だったのだ。今この瞬間も夢であり、朝起きたら綺麗サッパリ忘れているはず。夢オチ、最高!
「待てよ。いきなり人の部屋に入ってきたくせに、勝手に帰るんじゃあない」
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベリマシタワァァァァァァァ!!!」
某ハンバーガーチェーンのCMよろしく気が狂ったような声をあげて、ルイーゼはギルバートの手を木刀で叩いた。ギルバートは解せない様子で、閉まりかけの扉を無理やりこじ開ける。
寝起きと思しき顔をしかめるギルバート。いつものように三つ編みにせず、日焼けした肌に艶やかな闇色の髪かかる様は、どこか官能的である。
が、ルイーゼは敢えて言うならチラリズム派だ。いいや、いっそのこと、全裸の方がマシだ。なにを言っているのかわからないかもしれないが、ありのまま、今思っていることを言葉にする。
「裸エプロンは、ありえませんわよッ!」
ルイーゼは叫びながら、扉を蹴ってやる。間に挟まれたギルバートは、素肌に纏ったエプロンをヒラヒラさせながら抵抗した。
「痛いじゃあないかッ!」
「な、なんて格好を! 破廉恥ですわよ。いいえ、変態ですわ!」
「日常的に執事を打っているアンタには、言われたくないんだが!?」
「なんですって。わたくしが変態!? 健全な行為ですわよ! 仮に百歩譲っても、あなたよりはマシですわ!?」
「はあ!? 嫌なら見なきゃいいじゃあないか! 興奮してきたら、どうしてくれる!」
「見られて興奮するなんて、言い逃れの出来ない変態ですわよ!?」
「勝手にアンタが見たんだろう? こっちに来てから、我慢の限界だったんだ」
確かに、ノックもせずに飛び込んだのはルイーゼだ。自室で趣味に浸っていたギルバートを邪魔したのも、ルイーゼだ。
「でも、納得出来ませんわぁぁぁああッ!」
扉をこじ開けて外に這い出るギルバートに、ルイーゼは容赦なく木刀の一閃を浴びせた。ギルバートが避ける動作に合わせてエプロンもひらりひらり。大事なところが見えそうだ。
「パンツを穿いてください!」
「んなもん、普段から穿いてないんだが」
「サラッと普段もノーパン主張しないでくださいませっ!」
廊下に出て対峙する二人。
ルイーゼとて、前世は男だった。初心な少女のように男の身体を見て恥ずかしいとは思わないし、逆に特別見たい願望もない。だが、夢のショックも冷めぬうちに、こんな趣味を見せられて、頭がグルグルと混乱している。
「悪霊退散ですわぁぁぁあ!」
ルイーゼは自分でもなにを言っているのかわからなくなりながら、木刀を構える。ギルバートも只ならぬ気配を感じて、姿勢を低くして身構えた。
ルイーゼが踏み込み、距離を詰める。それを迎え撃とうと、ギルバートも腕を持ち上げた。
「ぐがっ……!」
刹那、ギルバートの身体が不自然に大きく前のめりに傾く。
「え!?」
ルイーゼが容赦なく振り降ろしたはずの木刀がピタリと止まる。
空気の流れに合わせて、葉巻の香りが鼻腔をくすぐった。
「まったく、若いのは……朝くらい静かに出来んのか」
セザールだった。
見ると、彼は左手でギルバートの頭を掴んで、床にめり込む勢いで押し付けている。ルイーゼの木刀を止めたのは、右手に持ったフライパンであった。
因みに、服装はラフなシャツとスラックスの上から、ピンクのエプロンというものだ。勿論、大きなフリルとリボン付き。どいつもこいつもエプロンである。
「朝食が出来た」
セザールは現状になんのツッコミも入れず、短く告げた。
食事は宿の人間が用意してくれるはずだが、恐らく、厨房を借りたのだろう。前世の記憶が正しければ、彼は料理、裁縫、掃除など、女子力(主婦)が非常に高かった。中身は世間一般と感覚がズレたオッサンなのだが。
しかし、ギルバートの頭を押さえこみ、ルイーゼの木刀を受けるとは。伊達に護衛を任されているわけではない。腕が衰えていないようで、ルイーゼは安心した。
「行くぞ、小僧」
セザールは床に叩きつけられて伸びているギルバートの頭を掴んで、軽々と引きずる。他国の王子だというのに、なんて雑な扱いだろう。自国の王族にすら敬語を使わない男なので、予想はしていたが。
そして、裸エプロンのギルバートを引きずって食堂へ行くのは、やめて頂きたいと思うルイーゼだった。
† † † † † † †
許すまじ。
許すまじ。許すまじ! 許すまじ許すまじ!
アロイスは激怒していた。王都を発って一晩。未だ冷めぬ興奮で、目が充血している。
「それで、この街に妹はいるのか、いないのか!?」
ここは王都から近い商業の街だ。
各地からの街道が集まり、商人が行き交っている。ここで売り買いされた商品が王都に届けられるのだ。
王都を出て旅をするなら、多くの者がここで宿をとる。ルイーゼたちもそうだろうと踏んで、アロイスもここで妹を探すことにしたのだ。
少し足を伸ばせば小さな町も存在するのだが、そちらには、庶民が使うような安宿しかない。貴族の駆け落ちには、向かないだろう。
「坊ちゃま。それらしい二人組を見たという情報がありました!」
「なんだと? ジャン、それは確かなのか?」
ジャンに街を調べさせた結果を聞いて、アロイスは身を乗り出した。
ついに妹を誑かした男の首を獲って帰れる。いや、首を獲るのでは物足りない。生きたまま腹を裂いて臓物で首を絞めてやろうか。
「ああ、ルイーゼ。シャリエ家の天使。連れ戻したら、もうイケナイ男に誑かされないように、足を斬ってしまおう。大丈夫だ。嫁になど行けなくても、この僕アロイスが一生面倒を見るから。足などなくても、ルイーゼは天使のままだ!」
アロイスはキラキラと目を輝かせながら、妹との今後の生活を妄想する。少しやんちゃなところがあるが、必要性を説明すれば、きっと理解してくれるはずだ。
「一人は赤毛でかなりの美形だったということです。目を回して泣きながらうわ言を呟く女の子を抱えていたという目撃情報が。既に街を発ったようですが……」
「なんだと!? きっと、ルイーゼに違いない! 可哀想なルイーゼ。無理に連れ回されているんだな。僕が保護して、誰にも奪われないよう檻に閉じ込めなければ……待っていてくれ、ルイーゼ!」
ジャンからの情報を聞いて、アロイスはすぐさま愛馬に跨る。ジャンと相乗りになるが、まあ構わない。乗馬は得意なのだ。
そのやる気に満ち溢れた行動の速さ故か、アロイスには「女の子の方はブルネットの髪色でした」という補足が耳に入らなかった。
馬にジャンを乗せ、アロイスは鞭を振った。
「馬はなにも言わなくとも鞭打ってもらえて、羨ましゅうございますね!」
「待っていろ、ルイーゼぇぇぇえ!」
アロイスは叫びながら、馬を走らせた。街中を疾風のように馬が駆ける。だが、ここは常に商人と商品が行き交う街だ。障害物が多くて、速度を出せば出すほど危なくなる。
案の定、目の前を商人の荷馬車が横切った。
「坊ちゃま、よろしゅうございません! ぶつかります!」
「はんッ! 僕は乗馬が得意だ。この程度!」
アロイスは怯むことなく、馬の速度をあげた。そして、低い荷馬車を一気に飛び越えてみせる。
我ながら、鮮やかな手腕だ。流石に執事のジャンも驚いたようで、目を丸めて口を開けている。
だが、
「よろしゅうございませぇぇぇええんッ!」
「うああああ! こんなはずじゃぁぁああああ!」
絶叫と共に、馬は荷馬車どころか道に施されていた柵をも飛び越えて、街を流れる大河の水面へと、華麗に突っ込むのだった。調子に乗って跳び過ぎた。それだけのことだ。
「こんなはずじゃ……! ルイーゼ! ルイーゼぇぇええっ!」
「水責め……きっと、これは坊ちゃまからのお仕置き。よろしゅうございますよ、坊ちゃま! ジャンは嬉しゅうございます!」
水に沈みながら、アロイスは妹の名前を叫び、ジャンは勝手に咽び喜ぶのだった。
異世界には、きっとパンツあります。




