その62 良く言えば忠義、悪く言えば依存か。
先の戦が終わったあと、セザールは専ら領地に引き籠っていた。
武人としてはそれなりの才があり、荊棘騎士と呼ばれるが、同時期に活躍した≪双剣≫に比べると、やや格が落ちる。特に、クロード・オーバンとは同郷ということもあり、なにかと比較されたものだ。あまり気にしなかったが。
自分の身の丈というものを理解していたし、王宮での立場も要らなかった。終戦を機に、領地経営と商売に専念することにしたのだ。
その際、近衛騎士の地位を無理にでも返上しておけばよかったと、セザールは心底後悔している。
父の代わりに自領に引き籠って、せっせと開拓と改革を進めていたセザールの元に、突然、護衛の辞令が下ったのだ。しかも、外国へ令嬢一人護衛するという変わった任務。
せっかく、特産品のワイン販売も軌道に乗っていたというのに、まったく遺憾である。今年の初物を味わえなかったら、どうしてくれるのだろう。
断るつもりで王都まで来たが――件の令嬢を見て、気が変わった。
「セザール! セザールか?」
回廊の窓に寄りかかっていると、庭からセザールを呼ぶ声がする。振り返ると、見覚えのない姿。
隆々の筋肉を純白の制服に包んだ男。自分と同じくらいの歳か。無造作に束ねた赤毛は、引っ掛かるところがあるが……あんな男、知り合いにいたか?
二階から見下ろしているせいか、余計にわからない。
「……知らん顔だな」
だいたい王都は人の出入りが多すぎるのが悪い。
こちらの知り合いなど、恐らく一割も覚えていないセザールだった。
「無視をするでない。変人!」
「知らぬ人間に変人呼ばわりされる覚えはないわ。我は常識人だ」
「ぬう。おぬしこそ、世の中の常識人に詫びろ!」
「我ほどの常識人は見たことがないから、無理だな」
まったく、困ったものだ。これだから、王都は嫌なのだ。きっと、自分は容姿端麗で目立つから、一方的に覚えられていることが多いのだろう。美貌もほどほどではないと、苦労する。
「待て、聞きたいことが――」
「うるさい」
セザールは大声をあげる筋肉隆々男を無視して、苛立ちを覚えながら回廊を進む。
国王と話をつけたので、すぐにでもアルヴィオスの王子は出立つもりするらしい。せっかち者である。セザールは今朝王都に着いたというのに、また旅支度をしなければならない。
セザールは咥えた葉巻に火をつけた。
マッチはその辺に置いてあった壺に投げ入れておく。「ひ、ひひぃん!?」とかいう声が聞こえたが、中に誰かいたのだろうか。
「壺目線でも熱いですゥッ!」
大きな壺に突然足が生えて、どこかへ走っていってしまった。最近の王宮では、変な奴を飼っているのだなぁと、半ば呆れる。
とりあえず、久々にカゾーランの顔でも拝んでおくか。倅の方も、しばらく会っていない。
だが、その前に――。
自分は「奴」ほどマメではない。
だが、こうして王都に来たときくらいは、顔を見ておくのも悪くないだろう。
自分の幼馴染だった女性――セシリア王妃の子は、引き籠り姫と呼ばれている。
八年前、王都に顔を出した際は、暗い部屋に丸くなって震えていた。「怖い怖い」と言うので、気休めに魔除け道具をいくつか渡してみたのだが、今はどうなっているだろうか。
聞けば、建国祭の夜会に出席したらしい。セザールが渡した魔除け道具が役に立ったのか。
カゾーランの倅も更生してやったし、自分には子育ての才があるのかもしれない。と、セザールは心中で自画自賛した。
「う……ふ、ぇ……ッ」
王子の部屋に近づくと、なにやら咽び泣く声が聞こえた。
わずかに開いた扉の隙間から、か細い声が聞こえる。女でも連れ込んで泣かせているのだろうか。そんな声だった。
隙間から室内を覗くと、部屋の隅で蹲っていた人物が顔をあげる。
部屋の真ん中には怪しげな魔法陣のようなものが描かれ、チーズやジュースが散乱している。異様な光景だ。
「……だれ?」
顔を確認して、彼がエミール王子なのだとわかった。顔立ちが両親にそっくりだ。特に、サファイアのような深い青の瞳が、セシリア王妃の生き写しである。
「セザール・アンセルム・ド・サングリア。荊棘騎士と呼ばれることもある」
セザールは素直に自分の名を告げた。
エミールは表情を揺らして震えていたが、やがて、ゴクリと喉を鳴らした。
「……前にも、来た?」
「ああ、随分前になるが」
セザールは葉巻を口から離し、煙を吐く。そして、ゆっくりと室内へと足を踏み入れた。
「引き籠りではないと聞いていたのだがな」
分厚いカーテンがかけられて薄暗くなった室内を睥睨して笑う。聞いていた話と随分違うようだ。八年前とそんなに変わらない王子の姿に、セザールは半ば呆れた。
エミールは再び泣きそうになりながら、セザールから視線を逸らしてしまう。
「あの」
だが、不意にエミールの方から口を開く。
彼は膝を抱えていた姿勢を改めて、緩慢な動作で頼りなく立ち上がった。丸まっていると幼い少年のように見えたが、立ち上がると、少し大きく思える。それでも、とても十九歳の王子には見えないのだが。
「く……くび、首狩り騎士……知ってる?」
意外な名を聞いて、セザールは一瞬呆けてしまう。
だが、すぐにエミールを見つめ返した。エミールは瞳に涙を溜めていたが、今度は視線を逸らさない。
「知っている。と言っても、ほとんど幼少までの関わりだがな」
お互い戦場に出るようになってからは、挨拶程度にしか顔を合わせていない。セザールもクロードも、あまり王都に寄りつかない性分だった。
終戦してからは儀礼で顔を合わせたが、それくらいだ。むしろ、成人後の話はカゾーランの方がよく知っていると思う。
「あ、あの……首狩り騎士は……本当に、母上を……」
言いながら、聞いてもいいのか戸惑っている様子だった。セザールはゆっくりと息を吐き、肩を竦める。
「さあ。我は、そのとき王都に行かなかったからな」
そう。自分は、行かなかったのだ。
そして、セシリア王妃とクロード・オーバンは死んだ。
「ただ、我に言えることは……悔しい話だが、我は奴以上の武人を見たことがない。腕が恐ろしく立った。そして、なによりもセシル様――王妃様を想っていた」
「好き、だったの?」
エミールは、わからないと言いたげに首を傾げていた。セザールは少しだけ笑みを作り、エミールの前まで歩み寄る。
セザールは成人後のクロードとあまり会っていない。だが、エミールの誕生を聞いて王都へ駆けつけた際、幼少の頃とは明らかに違うものがあった。
それはエミールが指すような、幼い恋愛ではない。
「良く言えば忠義、悪く言えば依存といったところか。とにかく、アレはセシル様に死ねと言われたら、死ぬ男だったと思うぞ。本人に自覚はなかっただろうが」
この言葉を本人が聞いていれば、必死で抗議するだろう。しかし、セザールの目には、そのように映っていた。もう死んだ男だ。好きなように言ってしまってもいいだろう。
セザールは、困惑しているエミールの頭に、ポンと手を置いた。
「質問に対する答えを、我は持ち合わせていない。だが、故あってのことだったと思っているよ」
ブルネットの髪をクシャリと撫でる。エミールは複雑そうな表情で俯いていた。
セザールは彼が求める答えを与えていないだろう。けれども、エミールは小さく、しかしはっきりと呟いた。
「……ありがとう……」
エミールは迷いのある表情で、セザールを見上げた。最初は縋るような顔に見えていたが、今は少し違う。自分で考えようとしているのだと気づいて、セザールは唇を綻ばせた。
「では、我は行こう」
だいぶ時間を使ってしまった。これはカゾーランの顔を見るのは諦めて、さっさと支度するしかないだろう。
そんなことを考えながら、セザールはエミールに背を向ける。
† † † † † † †
セザールが部屋を出て、どのくらい時間が経ったんだろう。分厚いカーテンの間から射す日の光が、随分傾いてしまった気がする。
早くしないと、ルイーゼがアルヴィオスへ行ってしまう。それなのに、エミールは部屋の外に出ることが出来なかった。
――だが、故あってのことだったと思っているよ。
セザールの言葉は、わからない。
きっと、誰に聞いても正しい答えは聞けないだろう。もう、当事者はいないのだから。
そんなことは、わかっている。それでも、誰かに聞きたかった。
ねえ、ルイーゼは本当に首狩り騎士なの?
母上のことが大事だったのに、どうして?
なにがあったの?
部屋に引き籠って十五年間。何度も考える機会はあった。でも、考えないようにしていた。
母が死んだ現実を受け入れたくなかった。
違う。考えることを、やめていたんだ。
考えなければ、寂しくもない。知らなければ、悲しくもならない。母のことを考えるのを辞めて、ずっと、逃げてきた。
外が怖かったのと同じだ。
でも、外を知った瞬間、もっと知りたいと思った。
自分の部屋よりも広い王宮を。王宮よりも広い王都を。王都よりも広いフランセールを。フランセールよりも広い世界を。
あのときと同じだ。
知りたい。
ルイーゼ、僕は知りたいよ。
母上のこと。それから、君のことを――もっと、知りたい。
「ルイーゼ……!」
エミールは部屋の外へと、一歩踏み出した。
セザールは余話「或る子息の荊棘」から八年間(もっと言うと、戦争が終わってから)、領地に引き籠って美味しいワインの醸造に明け暮れていました。なので、ルイーゼと同じくカゾーランのビフォーアフターに気づかない\(^0^)/
セシリアとクロードの関係の変化は、「或る騎士の追想」より。覚えていないとわかりにくいと思ったので、補足です。




