その42 このカゾーランには、言えぬと?
大真面目回。視点が複数回変わります。
あのときのことは、未だにわからぬままだ。
それはカゾーランの人生において分岐点とも言える出来事だっただろう。疑念を抱かずにはいられなかった。
だが、今尚、彼は道を反れずに王家に仕えている。
大きな違和感を抱えたまま。
「お疲れ様です、陛下」
「流石に疲れた。まだ二日あると思うと、先が思いやられるよ」
カゾーランは後から馬車を降りるアンリを出迎える。長時間の騎乗に慣れているカゾーランと違って、アンリは馬車の揺れがあまり好きではないようだ。
アンリは肩を回し、疲れた様子で歩き出す。口ではこんなことを言っているが、足取りはしっかりしたもので、まだ余力がありそうだ。
「侍従長殿がお待ちですぞ。明日の討論会について打ち合わせがあるとか」
「あー、その話は聞きたくないぞ。どうせ、私は座っているだけであろう? しかも、出来もしないような空論を並べて上から文句を垂れる代表者もいる。少しは、私の身にもなってもらいたい」
祭の二日目は市民や貴族の代表による討論会が行われる。アンリは嫌だ嫌だと文句を言っているが、毎年、出来る限りの譲歩と政策を講じてきた。
前王は適当に聞き流して、なにも行動を起こしたことがない。むしろ、そのように意見を取り入れる王の方が珍しいはずだ。
「しかし、皆陛下に期待しておりますぞ」
「そう言われても、困る」
アンリはツンと顔を背けてしまう。
「私は一年のうちで、祭の二日目が二番目に嫌いなのだ。一番はセシリアの命日だがな!」
セシリアの名を聞いて、カゾーランは視線を落とした。
アンリの胸元に光る宝珠のブローチ。
十五年前にクロード・オーバンによって盗まれたまま行方がわからない人魚の宝珠の模造品である。
透明感のある鉱石の中に、海を連想させる蒼い波のような揺らめきが見えた。不思議な色合いを持った宝石だ。
魔力を宿し、持ち主の魂を永遠にするという伝承もあれば、魂を奪って食らうという話もある。
だが、カゾーランはこの十五年、不思議でならなかった。
このような特殊な輝きを持った宝珠の模造品など、易々と作れるのだろうか。それも、事件のあと、すぐにこの模造品は用意されていた。
十五年前の事件があった日から、カゾーランは違和感を覚えていた。
あんなに溺愛していた王妃が亡くなったというのに、アンリは迅速すぎる対応をした。
最初は取り乱してセシリア王妃の亡骸に縋りついていたが、数刻後には正気を取り戻して、その後の処理について指示を与えていた。ロクに調査もせず、クロードを全ての主犯と片付けて。
カゾーランが駆けつけたときには、もうセシリア王妃は亡くなっていた。状況は確かに黒だが、誰もクロードが王妃を殺害した現場を見ていなかったのだ。
普通は溺愛する妻の死の真相を深く追求するものではないか。それとも、私情と公務を完全に切り離したと言うのか。当初は悲しみのあまり感情が失せたのかと思ったが、そういうわけでもない。
「陛下」
「わかっておる。爺のところへは、ちゃんと行くから心配するな」
「そのことでは、ございませぬ」
カゾーランは神妙な面持ちを作り、アンリの前に立ちはだかる。
胸騒ぎがするのだ。
アルヴィオスの動きが読めず、臣下たちは狼狽している。本当に、この国王はなにも知らないのだろうか?
直感だが、今回の件と人魚の宝珠の件は関係している気がしてならない。
ルイーゼがクロードの生まれ変わりだとわかったときから、カゾーランの中では十五年前の件がどうしても頭を離れないのだ。偶然かも知れないが、導きのような気がしていた。
「セシリア様の事件について、陛下はなにかをご存じなのでは?」
途端、アンリは表情を変えてカゾーランを見上げた。
驚いたように目が見開かれる。だが、やがて逃げるように逸らされてしまう。そこに表情はなく、淡々とした印象を受けた。
「知らぬ」
「陛下――」
「悪いが、気分が優れない。その話は二度としてくれるな」
警告。そのように受け取れる言い方だった。これ以上追及すれば、処罰も辞さない。そんな声音だ。
だが、カゾーランは抑えられなかった。
「このカゾーランには、言えぬと?」
声が震えそうになる。昔からそうだ。カゾーランは自分の感情を抑えることが出来ない。
これ以上の追及は無駄だと理解出来る。
しかし、追及せずにはいられないのだ。
「知らぬものは、知らぬ。私が知りたいくらいだ」
「私はあのとき、自らの手で友を殺しました。今も後悔しておるのです。奴は……クロードは、本当に裏切り者だったのでしょうか。陛下は、無実の罪を――」
「勘違いするなよ、カゾーラン」
アンリの声が今までよりも大きくなる。
怒気を含んでいるわけでも、殺気が出ているわけでもない。ただ、カゾーランは、その声を聞いて黙るほかなかった。
「私は、そなたの疑問に答えることは出来ぬ。カゾーラン、そなたの知りたいことを、私は知らぬのだ」
含みのある言い方だ。敢えて言及を避けて、この問答を拒絶していることがわかる。
「今日はご苦労だった。もう下がっても良い」
突き放したように言われ、カゾーランは引き下がるしかなかった。
カゾーランの追及を振り切って、アンリは息をつく。
十五年も臣下たちを騙し続けたが、もう限界か。いや、とうの昔にアンリの秘め事などわかっていたのだろう。
それでも、黙って仕えた忠臣の存在を有り難くも思った。
「何故、私を置いて逝ってしまったのだ、セシリア?」
エントランスに飾られた大きな肖像画。
かつての王妃の姿を描いた肖像に向かって、アンリは独りごつ。月明かりが降り注ぐエントランスは薄暗くて、そこに浮かび上がる肖像の笑みさえ歪んで見える。
「私には考えてもわからんよ……」
わからない。
カゾーランは、アンリに事件の概要を聞いた。彼の欲求はわかる。あの事件でカゾーランは友と認めていた男を殺してしまった。それについても不可解な点が残り、今でも苦しめているのかも知れない。
だが、アンリもまた同じだ。
核心はなにもわからない。知らないのだ。
ただ、一つ確かなことがある。
「そなたが宝珠を盗んだのは、誰のためだったのだ?」
セシリアの肖像に問う。
しかし、答えは返って来なかった。
カスリール家の令嬢がセシリアの生まれ変わりだと主張している。しかし、記憶は曖昧らしく、おぼろげにしか残っていないという。
ミーディアに聞けば、答えは返ってくるだろうか? だが、聞いてどうする。そもそも、聞く勇気がない。
情けない。そなたがいないと、私は実に情けないのだよ。
言葉にならない声を、胸の中に落とし込んだ。
薄暗いエントランスの隅。
不自然に置かれた大きな壺の中で、ミーディアは息を潜めていた。
勿論、アンリを観察するため、いや、護衛のためだ。
側仕えという地位を得ても、アンリの安全を守ることは最優先事項だ。なんといっても、私生活はちょっと情けなくて軟弱者の国王陛下だ。心配で仕方がない! 今日も屋根裏から寝姿を観察、いや、見守るつもりである。
ミーディアは暗闇でもスラスラとメモにペンを走らせる。屋根裏暮らしのせいか、暗いところでの書き物はお手の物だ。
「何故、私を置いて逝ってしまったのだ、セシリア?」
アンリがセシリア王妃の肖像画に向かって呟いている。
ミーディアはもっとよく聞こうと、壺を動かすことにした。この壺は観察用に改良した特別製なのだ。立ち上がると、壺の外に足を出して歩くことが出来る。
ミーディアは音を立てないように、壺から足を出す。足の生えた壺が歩いているように見えるが、誰にも見つからなければ、問題ない。
「私には考えてもわからんよ……」
深刻そうだ。落ち込んでいる、というよりは、心情を吐露しているようだった。
なにを悩んでいるのだろう。今すぐ聞き出して、ミーディアが解決してあげたいものだ。
最近、エミールとダンスや剣術の練習をしているせいか、妙に母性本能がくすぐられる機会が多い。
引き籠りの息子と同じように、アンリのことも過保護に甘やかして撫で撫でしてみたくなってしまう。最近のアンリは忙しそうなので、尚更だ。
いい。いいですよ! アンリ様! わたしでよければ、相談に乗ります! だから、今度話してください! 馬目線からのアドバイスだって、出来るんですから!
ミーディアは興奮を抑えきれないまま、聞き耳を立てた。もう少し独りごとを言ってくれると美味しい。
「そなたが宝珠を盗んだのは、誰のためだったのだ?」
しかし、ポツンと呟かれた言葉にミーディアは青空色の目を瞬かせる。
今、なんと言いましたか?
宝珠……それが指し示すのは、一般的には人魚の宝珠だ。フランセール王国の秘宝であり、十五年前、元主人であるクロード・オーバンが引き起こした事件の元凶。
そう。人魚の宝珠を盗んだのは、クロードだ。ミーディアは、教育係の夫人から、そのように教わっている。
しかし……。
人魚の宝珠を盗んだのは、セシリア様だったと言うんですか?
ミーディアはわけがわからず、メモを取る手をすっかりと止めてしまっていた。
視点変わりすぎて申し訳ないです。
次回は42.5ですので、少し短め。量的に申し訳ないと思いつつ、私生活の関係でこの話も隔日での更新です。すみません。最初は42とセット更新するつもりでした(; ・`д・´)




