その41 勝てばよかろうなのですわ!
地味にカーズ様好きです。
アンリの馬車が通りすぎても、パレードは続く。
だが、エミールは目的を果たして安心したのか、急にそわそわと辺りを見回しはじめた。
「どうしましたか、エミリー」
女装したエミールの顔を覗き込む。エミールは不意にルイーゼと目が合って辟易したのか、視線を泳がせる。
「う、うん……ちょっと……」
ぐぅぅう。
控えめに腹の虫が聞こえてくる。ルイーゼはクスリと笑ってしまった。
「なにか食べますか?」
「う、うん」
緊張しすぎてなにも食べられないよりはいい。少しは人前にも慣れたということか。良い傾向なのだろうと思っておくことにする。人前で腹の虫を鳴らすのは良くないが。
とはいえ、屋台のものを無暗に食べるのは、あまりよろしくない。エミールは軟弱者だ。こちらの世界ではあまり気にしないことだが、屋台は衛生的に良くない。エミールなら、お腹を壊す可能性もある。
「お嬢さま、こちらをどうぞ」
困っていると、ジャンが跪いてなにかを差し出してくる。ルイーゼは何気なく視線を落とすが、すぐに涼しい顔でジャンを蹴りつけた。
「よろしゅうございますっ!」
「なにそれ、美味しいの?」
「美味しくありません。むしろ、食べ物ではございません」
口に入ればなんでもいいというものではない。ルイーゼはジャンが差し出した猿ぐつわをポーイと放り投げておいた。エミールは興味深そうに見ていたが、今の目的には全くそぐわない。
「エミリーちゃん、よかったらどうぞ」
ユーグが身体をクネクネさせながらエミールの前に包みを差し出す。
綺麗なピンク色のラッピングと、凝った結び方のリボンが愛らしい。エミールが受け取って包みを開けると、中にはハート型のクッキーが数枚おさまっていた。
まさに女子力の塊。クッキーの出来も上々で、サクッと香ばしい匂いがルイーゼにも届いた。
「わあ、美味しそう。ユーグ、ありがとう!」
エミールは素直に喜びながら、ユーグの作ったクッキーを一枚頬張る。緊張していた白い顔にニッコリと幸せそうな表情が浮かび、本当に美味しいことがわかった。
「エミリーちゃん……! 可愛すぎるッ! もう、無理!」
ユーグは身悶えし、その場で震えはじめる。彼なりにいろいろ葛藤しているらしい。
最終的に「耐えれないッ! 無理無理無理!」と言いながら、腕立て伏せをはじめてしまった。この調子で筋トレを続けてくれたら、将来は父親と同じ筋肉美中年になるかもしれない。非常に楽しみだ。
エミールは笑顔でクッキーを口に運んでおり、満足そうだ。シャクシャクと軽やかな咀嚼音がルイーゼの耳にも聞こえる。
「ルイーゼも、食べる?」
羨ましいと思われていたのか、エミールがルイーゼの顔の前にクッキーを差し出した。
「一枚くらいなら」
ルイーゼは少し考えたあとに、一枚頂くことにする。
そのとき丁度、ジャンが「お嬢さまぁぁぁああ! 酷うございますぅぅう!」と言いながら、捨てておいた猿ぐつわを持って縋りついてきた。鬱陶しい!
ルイーゼはエミールの持っていたクッキーを直接口に入れ、そのまま空いた手でジャンに鞭を振るった。
「え、る、ル、ルルルルイーゼ!?」
少々はしたなかっただろうか。
あーん、のような食べ方になってしまったせいか、エミールが声をあげている。彼は指先を何度も眺めながら、顔を真っ赤にしてしまった。
「申し訳ありません。取り込んでいたものですから」
「あ、あ、あ、ああああああ。う、うん、そ、そそそそそうだね!?」
エミールは慌ててクッキーをもう一枚口に入れた。だが、慌て過ぎていたのか、口周りに食べかすが残ってしまう。
「まあ、エミリー。はしたない」
エミールの口についているクッキーを見て、ルイーゼはムッと目くじらを立てた。公衆の面前で緊張しているとは言え、そんな食べ方をされると困る。
ルイーゼは素早く手を伸ばし、エミールの口についたクッキーを指で摘まんで取り除いてやった。
「あら、どうしました?」
顔を真っ赤にしたまま、エミールは動かない。
もしかして、そろそろ人前に出るのも限界だっただろうか。そういえば、だいぶ長いこと外にいると思う。いい加減、王宮へ戻った方が良いかもしれない。
固まってしまったエミールを見て、ユーグが「あああああ! 煩悩がぁぁぁああ!」と言いながら、腹筋もはじめてしまう。こういうところは、少し昔のカゾーランに似ている気がして、オネェでも思考が似通った親子なのだと感じた。
「おっと、失礼」
思案していると、後ろからぶつかられてしまう。ルイーゼは軽くヨロめきながら、ぶつかった人物を見上げた。
身長はユーグと同じくらいだろうか。スラリと伸びた肢体と、逞しそうな身体つきが妙に色っぽい。闇に溶けそうな漆黒の髪を三つ編みにして垂らし、腰には短剣のようなものを提げていた。
整った顔立ちも目立つが、惹きつけられるのは眼だ。紅玉のような右眼と、深い海の底のような藍色の左眼。いわゆるオッドアイというのだろうか。異世界に来ても、このような眼の人間は初めて見た。
この方、どこかで……?
「ああ、こりゃあ驚いた。アンタ、前世オカマの娘か」
「なっ!?」
思い出しました。仮面舞踏会にいた不審者ですわ!
ルイーゼは叫び出したくなるのを抑えて、相手の青年を睨みつけた。確か、ギルとか名乗っていたか。
「前世オカマだなんて、失礼ですわよ!?」
文句を言うと、ギルはニマッと嫌味っぽい笑みを浮かべた。少々垂れ目のせいか、表情一つひとつに色香があるように見える。あまり好きな顔ではないが、露出した腕の筋肉は、なかなかのものだと思う。
「失礼? どうかな。自分の前世など、普通はわからないんじゃあないか?」
前世の記憶はあるのです。わたくしの前世は首狩り騎士です。その前も数々の悪党人生を歩んで参りました。でも、オカマだった前世などございません! 信じてください。と、言うわけにもいかない。
ルイーゼが押し黙っていると、ギルは面白そうに笑声をあげる。
「それとも、アンタは知ってるのか? それなら、教えて欲しいくらいだな」
急に、ギルが距離を詰めてきた。
仮面舞踏会のときと同じく、抜け目ない動作だ。一気に、二つの色を宿すオッドアイがルイーゼの前に迫った。
「アンタの色、なんで混ざってんだ?」
「混ざる……?」
誰にも聞こえないほど小さく、囁く声だった。だが、突き刺すような鋭さがある。ルイーゼは縛られたように動けなくなり、目を見開いた。
混ざる? なにが?
前世がオカマだの、なんだの言ってくる男だ。ルイーゼの母親みたいに、適当なことを言う人間なのかもしれない。ルイーゼは、ますますギルに対して不信感を募らせた。
「ちょっと。姐さんになにしてるのよ。離れなさい!」
筋トレに没頭していたユーグが気づいて、ギルの肩を掴む。ギルは突然の横槍に気分を害したようで、射抜くようにユーグを睨みつけた。
殺気を感じたのか、ユーグはとっさにギルと距離を取る。
その判断は正解だった。
唐突に放たれた右ストレートがユーグの頬をかすめた。ユーグは流れるような身のこなしでギルの攻撃を避ける。
「こいつ、危ないわ。姐さん、エミリーちゃんをお願い」
ユーグは格闘術の構えを取る。市民に紛れるために帯剣はしていないので、仕方がないのだろう。
もっとも、彼はキレると剣を捨てて相手を殴りはじめてしまうので、もしかしたら、本質は素手の方が得意なのかもしれない。
「へえ、やるのか?」
「私、事務方なんだけど、色男相手だから興奮しちゃう」
ユーグは好戦的な表情で軽口を叩く。が、その一方で既に相手の上段に向けて蹴りを放っていた。
ギルは鋭い刃のような蹴りをガードするが、なかなかに衝撃があったのだろう。やや苦しそうな表情を見せた。
ユーグは華麗に身体を半回転させ、ギルの左手首を掴む。そのままギルの手首を背に回して、動きを封じる。刑事ドラマなどでよく見るアレだ。見事な技に、エミールが興奮して、「すごい、教えて!」と言っている。たぶん、エミールには無理だろう。
「イタタタタ。参った、悪かった!」
ギルは呆気なくお縄につき、抵抗する気はないと大袈裟にアピールする。
「まあ、反省するんなら、いいけど」
ユーグはフッと息を吐きながら、ギルの拘束を緩めてやった。
だが、ギルはすぐにニマッと艶っぽい笑みを浮かべる。彼は素早く身を翻すと、油断しているユーグの足を払ってしまう。ユーグは反応が遅れ、投げ出されるように地面へ身を落とした。
「油断してるからだ。勝てばいいんだよ」
受け身を取るユーグの顔に、ギルは砂を蹴りあげた。
「うっ」
目潰しをくらってユーグが怯んだ。ギルは腰に差していた短剣を抜く。その瞬間、二人の争いを見ていた周囲の人々から悲鳴が上がった。
しかし、短剣がユーグの首を捕える直前で、ギルが静止した。いや、制止せざるを得なかった。
「そこまでですわ。油断しているのは、どちらかしら?」
気配を消して背後に迫っていたルイーゼが、ギルの首筋に木刀を宛がっていたのだ。
氷のような殺気を設え、ルイーゼはギルの首に木刀を押しつけた。
「もしかして、二対一?」
「勝てばいいのですわ」
ギルの言葉をそっくりそのままブーメランしてやった。ギルは観念したように肩を竦める。
「わかったよ、負けました」
ギルが短剣を放り出すのを確認して、ルイーゼも木刀を下げた。
「なぁんてな」
軽い口調と裏腹に、ギルが素早く動いた。ルイーゼも油断していたわけではない。攻撃に備えて、木刀で構えた。
だが、木刀をすり抜けて迫ってきたのは、攻撃ではなかった。
ギルの逞しい手がルイーゼの顎に伸び、指先で捕えられてしまう。予想外の事態に、ルイーゼの対処は遅れた。
「きゃあっ!?」
声をあげたのは、エミールだろうか。相変わらず、女々しい悲鳴をあげる王子だ。そんな関係ないことが見えてしまうくらい、思考は停止状態に近かったと思う。むしろ、関係のないことを考えている方がマシだった。
不審者に不意を突かれ、唇を奪われているという現実など、黒歴史。この瞬間から、目を背けてしまいたくなっていたのだ。
「んんんッ!」
ルイーゼは急いでギルの身体を引き剥がした。ユーグもすぐに、ルイーゼを庇うように割って入ってくれる。
「ゴルァッ! 姐さんになにしてくれとんじゃ、ボケェッ!」
「ちょっとしたあいさつじゃあないか」
ガチギレしたユーグの拳を避けて、ギルはさっさと後すさる。
「じゃあ、またな。前世がオカマの娘さん」
「だから、オカマじゃありませんからっ!」
ルイーゼは更に憤慨して、木刀をギルに投げつけた。だが、ギルは軽々と避けて、群衆の中に姿を消してしまう。避けられた木刀は、屋台の柱に深々と突き刺さった。当たっていれば串刺しだったのに、惜しい!
「まったく、なんなのですか! あの男は!」
「本当よ。姐さんをなんだと思ってるのかしら!」
この人混みでは、追うことは出来ない。ルイーゼは口を清めるつもりで、何度も袖でゴシゴシと擦ってやる。
プルプルの美しい唇を保てるように、毎日、植物油と蜂蜜でお手入れしているのだが、今は薄皮を全部剥いてやりたい気分だ。
甚だ遺憾である。
「で、殿下!?」
「ちょっと、エミリーちゃん!?」
ジャンとユーグが突然叫び出すので、ルイーゼは不機嫌の表情のままエミールを振り返る。
すると、目をグルグルに回して、泡を吐きながら倒れるエミールの姿があった。
「ル、ルイーゼが……ルイーゼが……!」
うわ言のように呻く姿を見て、ルイーゼは溜息をつく。
「引き籠りには、少々刺激が強すぎたのですわね。ほんと、面倒くさいですわ」
その後、エミールはユーグに抱えられて、すぐに撤収することになったのだった。
前世オカマだった令嬢が、引き籠りの調教を任されてしまいました\(^0^)/




