その40 空中微塵切り要員はどこですか?
フランセール王国には長い歴史がある。
祖王アンリ一世がセーナ河を中心に王都を築き、建国を宣言したのがはじまりと歴史書にはある。王国は何度も分裂したり、領土を拡大させながら、今のフランセールへと変遷していった。
建国当時から今も遷都しない王都では、建国記念日に毎年華々しい祝祭が執り行われる。三日三晩、王都では催しや夜会が開かれ、貴族も市民も関係なく楽しむことになっていた。
その華やかな様子は、周辺諸国に誇るべきフランセールの文化だ。
「そ、そうだったんだ」
「そうでございますわ。エミール様は、引き籠っていたので知らないでしょうが」
催し物どころか、年中引き籠り生活のエミールには新しい情報だったらしい。建国祭自体は知っていたようだが、その概要を聞かされて、エミールは子供のように目を輝かせていた。
以前は怖くて震えるばかりだったが、最近は好奇心も旺盛になっている。
「一日目の目玉は王宮から出る興行パレードですわね。フランセール中から人気の大道芸人や役者、音楽家などが集められて様々な芸を披露します」
「楽しそう!」
「二日目は昼間に行われる討論会でしょうか。どうすればフランセールを良くすることが出来るか、国王の御前で貴族や市民の代表がそれぞれ討論するのですわ。王制国家でありながら、自由な言論が許されるフランセールの特徴的な行事です」
「そ、それも、楽しそうだね!」
「三日目は王宮での夜会です。貴族だけでなく、抽選で選ばれた市民も参加が許可されています。その他の方々にも、広場や歌劇場での華やかな催しへの参加が許されていますわ」
「す、すごい。楽しそう!」
「はい……でも、エミール様。楽しそうと、他人事のように言っておりますが、本来なら、あなたもこの全ての行事に出席しなくてはならないのですよ」
のんきに笑っているエミールの顔に人差し指をビシッと突きつけて、ルイーゼは宣言した。
一日目のパレードでは王族も参加するのが習わしであり、王子は先頭で乗馬するのが普通だ。
二日目の討論会にも、本当はエミールくらいの王子は討論者として参加すべきだと考えられている。三日目の夜会は言わずもがな。
だが、それらの行事全てにエミールを出すことは現状、不可能だ。
ダンスは仕込めても、乗馬はまだまだ出来ない。討論会? そんなものに参加させようものなら、エミールは今度こそ心肺停止で死んでしまうだろう。
三日目の夜会にほんの一瞬顔を出すのが、今のエミールには精一杯なのだ。
「王族としての務めを果たせるようになって、ようやく一人前ですわ。いずれ、あなたは王位を継ぐのですから」
「う、うん……がんばるよ……」
少し強い口調で言うと、エミールはサファイアの眼にジワリと涙を溜めはじめる。だが、「無理」とは言わず、唇を噛んで我慢する素振りを見せた。
「父上は、全部出るんだよ、ね?」
「当り前にございます。陛下はエミール様のお歳には、既に王位にございました。あんな変態で軟弱……いえ、お茶目な一面もございますが、義務は果たす方です。むしろ、歴代の国王様の中では屈指の働き者ですわ」
政治や公務に関しては信用してもいいはずだ。たぶん……たぶん!
そう話すと、エミールはソワソワと窓の外を気にしはじめていた。
今日は祝祭の一日目。パレードが行われることになっている。
「ほんとは、僕も出るんだよ、ね?」
「本来なら、そうですわね。気になりますか?」
エミールは少し迷ったあとに、控えめに頷いた。それを確認して、ルイーゼはしばし考える。
「見に行ってみますか?」
「――え?」
建国祭一夜目。
街は夕暮だというのに活気に溢れている。
実を言うと、ルイーゼはこの祭事に「参加」するのは初めてだ。
現世では、十歳まで領地で過ごしていた。王都に移り住んでからも、去年までは第三夜の夜会に重きを置いていたため、予行練習に勤しんでいたのだ。
前世では、戦でそもそも王都にいないことが多かった。たまに合わせて帰還してみると、カゾーランから「パレードで芸を披露しろ」と言われたのを覚えている。
よくわからなかったので、カゾーランに任せておいたら、空中で食材を粉微塵に刻む芸を要求された。その横で、刻んだ食材を使って宮廷料理人が調理するとかいう、意味不明なパフォーマンスに仕上がっていた。
どうして、あんな芸をやらかしてしまったのか、今でも後悔しているくらいだ。たぶん、カゾーランに嵌められただけである。間抜けな前世!
「お嬢さま、お待ちください」
呼び止められて、ルイーゼは我に返る。つい浮かれていたようだ。
町娘のような地味なスカートを翻し、ルイーゼは後ろを振り返る。祭には「お忍び」で紛れるので、いつものドレスでは都合が悪い。
少し離れて、不機嫌そうに文句を垂れるユーグと、ジャンが歩いてくる。この二人にも、市民の服を着せてみた。流石に近衛騎士の制服と燕尾服は目立つ。
「私も可愛い服が良かったわ」
「よろしゅうございます、ジャンは普段着です」
二人の後ろに隠れるように歩く人物が、ちょこんと顔を出す。ルイーゼはそれを見て、ふぅっと息をついた。
「エミール様……あ、いえ、エミリー。隠れずに歩く練習を致しましょう」
白を基調としたワンピースが翻り、眩い金髪が揺れた。
透明感のある白い顔を縁取る金髪のカツラを気にしながら、町娘――の格好をしたエミールがヨロヨロと歩み出る。
引き籠り歴が長い小柄な体格と細い手足のせいか、女装しても全く違和感がない。むしろ、金髪のせいか、かつてのセシリア王妃を思い起こしてしまうほどだ。
エミールが出歩いていると知られるのは少々不味いと思って変装を施してみたが、これはこれで目立ちそうだ。道行く人々(主に男)も、ルイーゼとエミールを振り返って足を止めている。
美少女二人が歩いていれば、当然の反応だ。やはり、美貌は罪ですわね。ルイーゼは高笑いしそうになるのを我慢した。
「スカート、すーすーするんだけど……」
「大丈夫ですわ、とてもお似合いですよ」
「それ、関係ないよね?」
「はい、似合っているので問題ありませんわ」
ルイーゼはニッコリと笑って返し、エミールに手を差し出した。エミールは女装で恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしてもじもじとしていたが、やがて、控えめにルイーゼの手を握る。
建国祭というだけあり、やはり街には人が溢れていた。
夜だが、王宮や各家で用意されたキャンドルイルミネーションが街を彩り、幻想的な明るさを作り出している。
因みに、シャリエ公爵邸はこの日、「我が天使ルイーゼに捧ぐ」という文字になるようキャンドルを庭に並べて飾っていた。恥ずかしい親馬鹿だ。
大通りには、市場のように屋台が並び、腸詰肉や鶏料理が吊るしてある。流行りの菓子や果物もたくさんあり、独特の雰囲気を醸し出していた。日本の縁日に近いものを感じて、ルイーゼは浴衣があればよかったのに、と思ってしまった。
「あら、エミリー。今日は右手と右足がちゃんと動きますのね」
人前に出ると緊張して右手右足、左手左足が同時に前に出るエミールである。だが、今は幾分平気のようで、ゆっくりだが、普通に歩いているようだった。勿論、仮面も眼隠しも手錠もしていない。
「え、うん……なんでかな」
エミールは俯きながら、チラリとルイーゼの方を見る。だが、目が合うとすぐに視線を伏せてしまった。
「き、きききっと、ルイーゼに、手、繋いでもらってるから」
「ああ、なるほど。わたくしは手錠代わりですのね」
ということは、物で繋いでおかなくても歩けるということか。
本番の夜会では、すぐにミーディアと手を繋がせれば良いのかもしれない。ルイーゼは今後のプランを頭に浮かべて、満足げに笑った。
「ぼ、僕……がんばるよ」
「はい、がんばってくださいませ」
そろそろパレードがはじまるみたいだ。あらかじめ空けられていた大通りの真ん中に、人が入らないよう規制が強くなる。
ルイーゼたちは適当な場所に陣取って、パレードを見ることにした。今回の目的は、エミールを人前での行動に慣れさせることと、パレードを見せることだ。
公務の一端を見れば、少しは王子の自覚も出るのではないか。そこまでの期待はしていないが、良い機会だと思う。
「ねえ、ルイーゼ」
「なんでしょう、エミリー」
ルイーゼはエミールの手を繋いだまま大通りの真ん中を眺める。
民衆がざわめきはじめた。王宮をパレードの先頭が出発したようだ。
「僕、まだ王子とか、そんなの無理っていうか……あ、ごめん。無理じゃなくて、えっと、難しい……」
「そうですわね。わかっておりますわ」
エミールは居心地悪そうにスカートの裾を気にして俯く。顔が真っ赤なのは、恥ずかしいからか。
「僕、まず、その……ルイーゼのために、がんばってみようと……思う」
「わたくしのため?」
エミールは無言でコクコクと首を大きく振って頷いた。勢いが良すぎて、首がポキポキ鳴る音まで聞こえてくる。
「僕がいろんなこと出来るようになったら、ルイーゼ、嬉しいんでしょ?」
無垢な視線で見つめられ、ルイーゼは閉口する。
まただ。
また、射抜かれた気がした。殺意も覇気もない弱々しい視線に、射抜かれている気がした。
たぶん、まっすぐ過ぎるのだ。まっすぐ過ぎて、眩しい。
「やはり、王妃様の子でいらっしゃいますのね」
「え?」
ルイーゼは「なんでもありませんわ」と首を横に振る。
セシリア王妃には人を惹き付ける力があった。計算された強かさと、時折見せる純粋さで、すぐに人の心を掴んでしまう。
エミールにはセシリア王妃のような計算高さも、強かさもない。持ち合わせているのも、彼女とは違う種類の純粋さだ。
けれども、まっすぐで、人の心に響く健気さがある。思わず力を貸したくなるのは、そのためかもしれない。
王に求められるのは、人を統べる資質だ。だが、それは人を導く力だけではない。
人の心を惹きつけて離さない魅力も必要なのだ。臣下がついてこなくては、力があっても政は回らない。
もしも、エミールが立派な王子に育ち、国を統べるときが来たら……今まで考えられなかったが、少しだけ想像してみた。
だが、反面、また面白くない気もした。
ルイーゼは首を横に振る。これでは、ルイーゼがエミールの成長を望んでいないようではないか。
冗談ではない。早く一人前になってもらわなければ困る。婚活だって保留にしているのだ。行き遅れ令嬢になって、どこへも嫁げないまま寂しい人生を送るなど御免だ。バッドエンドルートよりはマシだが、遠慮したい。
「ね、ねえ、ルイーゼ……やっぱり、僕、ルイーゼと踊――」
エミールが口を開いた瞬間、なにかが爆ぜる音がする。見上げると、夜空に花火が一発あがっていた。
日本にいた頃に立派な花火をたくさん見たが、これはこれで見応えのある大輪の花が夜空に散る。
程なくして、盛りあがった市民たちの声が上がった。貴族たちも、自分の邸宅の窓から外の様子を覗いている。
「来ましたわね」
パレードの先頭が見えた。本来、王子の役目である先頭の騎手は、カゾーランが務めていた。
なにか面白いことをすればいいのに。むしろ、空中微塵切りすればいいのにと、ルイーゼは少し残念、いや、恨めしい視線を送っておいた。
「すごいね」
次々と現れるパフォーマーたちが芸や舞いを披露しながら通り過ぎていく。
火を吹く大男や猛獣使いなどのサーカス団。自分の剣技を披露する騎士たち(空中微塵切り要員はいない!)、色気のある衣装を纏った踊り子。人々は盛り上がり、歓声をあげる。
パレードの中腹になると、純白の屋根なし馬車が現れる。
国王アンリ三世は人々の期待に応えるように微笑み、堂々とした振る舞いで手を振っていた。
今日の昼間も公務でヘトヘトになりながら、エミールの部屋を覗きに来ていたが、そのときの様子など微塵も感じさせない。
いつもの公務通り、歳の割に若々しくて覇気のある表情だ。
街の女性たちが「陛下はいつまでも美丈夫ね」「素敵!」などと言っている声まで聞こえる。彼女たちのためにも、アンリの変態体質は秘匿すべきだろう。フランセール王室のトップシークレットだ。国が揺らぐ。
エミールを見ると、食い入るように黙って父親の姿を見ていた。セシリア王妃の肖像画を眺めていたときと、同じ表情だ。やはり、連れてきて良かったか。
ルイーゼは、ふと、アンリに視線を戻す。
フランセールの国章である百合と、それに合わせた純白の衣装。その胸に輝くのは、フランセールの秘宝とされる人魚の宝珠――その偽物だ。
――クロードの遺体は、盗まれた人魚の宝珠と共に行方がわからなくなってしまったのだ。
カゾーランの言葉を思い出す。
前世の遺体と共に消えた宝珠。その行方は未だわからない。
アンリの胸元に輝く宝珠は、前世で自分が見たものとほとんど同じように思える。
百合が刻まれた銀の土台に嵌められた大きな宝珠。透明感があり、海のように波打つ蒼を湛える不思議な輝きがある。
十五年も人々を騙したのだ。あれくらい精巧でなくてはいけない。
けれども、ルイーゼは違和感を覚えた。
あの宝珠が偽物のようには、思えなかったのだ。
遠くから見ただけでは、細部はわからない。だが、少なくとも、ルイーゼには本物と寸分違わぬ出来に見えた。本物が存在しない状態で、あれほど精巧なダミーを用意出来るのだろうか?
人魚の宝珠。
かつてジョアン一世が兵力を投入し、海賊から奪ったとされる宝珠。
魔力を宿し、所有者の魂を永遠のものにすると言われている。他にも様々な謂れがあり、呪われた輝石と呼ばれることもあるらしい。
カゾーランは今でも十五年前の事件が気になっているようだが、ルイーゼにとっては過去の話だ。もう関係ない。そもそも、何故だかよく覚えていない。
だが……引っ掛かる気がした。
エミリー違和感無さすぎ\(^0^)/




