或る海賊の航路
下衆野郎前世リチャード視点の余話。海賊時代のお話。ルイーゼの前世さんなど。
伏線を張るためのお話です。
荒波は子守り歌。
人魚の代わりに男たちの陽気な歌声と、奴隷たちの悲痛な叫びが高く響く。
真っ昼間からラムを飲み干す馬鹿野郎を馬鹿野郎たちが笑い、馬鹿馬鹿しいくらい馬鹿騒ぎ。
悪逆非道の限りを尽くす大海賊の船は、思いのほか自由で賑やかなものであった。
「てめぇら、いい加減にしやがれ」
リチャードは不機嫌を顕わにして、船員たちを一喝した。
馬鹿騒ぎが過ぎて、仲間の一人を海に蹴り落としてしまったらしい。
「航海士さんよぉ。元はと言えば、あいつが悪酔いしちまったのが悪いんだぜ?」
俺たち、なにも悪くない。そんな言い草を聞いて、リチャードは天を仰いだ。
「そんなことは、どうでもいいんだ。いいか。問題なのは、落ちた馬鹿野郎がさっきの賭けで勝った金貨をたんまり持ってたことだ……俺の金貨だぞ!」
リチャードは開き直る男の胸倉を掴んで力説した。
あとでイカサマでもして取り返すつもりだった金貨を落とされては、腹も立つ。ブチ切れそうだった。いいや、ブチ切れていた。
雑魚の胸倉を掴んだまま帆柱に叩きつけてやる。後頭部に柱をぶつけて、男は白目を剥きながら倒れてしまった。気分がおさまらないので、もう一人の腹にも膝の一撃を叩き込む。
「金貨などくれてやれ。お前は、もっと良いものを手に入れるはずだろう?」
暗闇の底で歌うような。雲のように掴みどころのない。微笑しながらも、若干の冷気をはらんだ声が甲板に響く。
いつから、そこにいたかもわからない。甲板に腰かけていた男は、やや長めの黒い前髪を掻きあげた。
「エド」
名を呼ぶと、この船の船長にして伝説の大悪党と名高い海賊――エドワード・ロジャーズは音もなく立ち上がり、前に歩み出る。
その一挙一動が大きくてしなやか、しかし、無音で気配を感じなかった。暗闇で後ろから忍び寄られても、気づかぬまま喉を掻き切られてしまうかもしれない。
「航路はどうなっている、航海士?」
エドワードは流れるように自然な動作で、リチャードの肩に触れた。
気がつけば、先ほどまで感じていた苛立ちが消えている。代わりに、エドワードに対する畏怖で占められていた。
それほどの存在感。
「航路は順調だ。このまま行けば、すぐにフランセールへ着くはずだぜ」
「そうか、ご苦労様だ」
エドワードは形の良い唇に笑みを描く。
女が好みそうな美男だと思うが、赤みがかった眼はあまり笑っていない。含みのある微笑に恐ろしさを覚えることもあった。
この船は自由だ。荒れくれ者が集い、好き放題にやっている。
ただし、船長の命に逆らう者はいない。いや、逆らうことの出来る者などいなかった。
「ロレリアの女。前世はミスって対面出来なかったが……美人だと良いな」
独りでそんなことを言いながら、エドワードは船首の方へと歩いていく。リチャードも続いた。
「まあ、前世の俺の方が、きっと美女だったと思うがな。キャピッと笑えば、男が面白いくらい貢いだものだ」
「きゃぴ……? 俺には趣味の悪い呪文に聞こえる」
「それは、まあ……現世は男だからだろう。女だったら、お前もきっと俺に貢ぐはずだ」
「その顔で威圧されたら、誰だって自分から身ぐるみ全部置いていくだろうよ。大海賊エドワード・ロジャーズだぞ」
「意味が違う。そういう意味の貢ぐじゃない。リック、お前は誤解しているぞ! 俺のブリッ子は可愛いんだ」
エドワードは時々、妙なことを言う。
曰く、前世の記憶があるらしい。それも、別の世界で暮らしていた記憶。何度も何度も生まれ変わって、今ここにいるという。
最初は信じられなかったが、今では少し納得している。
彼の言動は確かに奇妙なことが多い。灯台や羅針盤など、画期的な航海道具を考案・改良したのもエドワードだ。彼は「前の世界では一般常識だった」と言っている。
「前世なんて、俺には想像も出来ねぇが」
「死ねば慣れる」
エドワードは目を細めて、水平線を眺めた。まだ陸は見えない。ただ蒼い青い海が広がるばかりだ。
「人魚の宝珠を手に入れた暁には、お前は俺と同じになる。死んでもまた転生出来る。不死身のようで、なかなか面白いぞ?」
エドワードはそう言って、リチャードを振り返った。
以前に聞いたときは酒に酔った与太話かと思っていたが……今の表情は本気だと悟る。リチャードは思わず息を呑んで、エドワードを見た。
「まさか、俺がお前を刺し殺すとかいう話も、本気じゃないだろうな?」
「まさか……嘘だと思われていたのか?」
エドワードがリチャードの顔を覗き込んで笑う。なにを考えているのか読めない。
「お前は何度も転生する魂を手に入れる。そして、俺を殺してあとは好きにしろ……そうだな。王様になりたいとか言っていたじゃないか。国でも建てればどうだ? 火竜の宝珠の在処はわかっているんだ。この航海が終わったら、奪いに行こうじゃないか」
冗談のような内容を、冗談では済まされない表情で言う。
リチャードは困惑した。
だが、同時に。この男の言う通りにすれば、万事上手くいくという妙な確信があった。
「俺の言う通りにしていれば良い」
その言葉が甘美な誘いのように思える。何故だか疑惑が晴れ、花の蜜に誘われる蝶のように吸い寄せられていくのがわかる。
エドワードといると、いつもそうだ。
こちらの思考力が奪われて、無条件に屈服してしまう。そんな空気がある。
火竜の宝珠には人の心を服従させるという力があるらしいが、そんなものではない。こちらから自然と頭を垂れてしまう。そういう雰囲気があった。
「気分がよくなってきたな。おい、クラウディオ。シケた面して飲んでないで、俺にも寄越せ」
エドワードはリチャードから視線を外すと、機嫌が良さそうに声を上げる。
「嫌だ。あっちへ行け」
「いいじゃないか。船長命令だ」
「馴れ馴れしくしてくれるな。一人にしておいてくれ」
「お前くらいだぞ。俺に寄越せと言われて嫌だと答えるのは」
「嫌だからな」
甲板で独り酒瓶を煽っていた副船長のクラウディオが、酒を渡すまいと瓶を抱えている。
黒髪は珍しくないが、眼まで黒い陰気な容姿は少し珍しい。海賊たちが根城にしている島の中で、北の方に住む少数民族特有の容姿だ。ついでに、いつも黒っぽい服まで着ている。
エドワードは、「元居た世界では割と一般的だった」と言ってクラウディオのことをなにかと気に入っているようだ。リチャードから見ると、ただの薄気味悪い根暗である。
「嫌だと言われたら、尚更欲しくなるのが真理だろう?」
「嫌だ。やらん」
エドワードに絡まれて、クラウディオは逃げるように船室へと引っ込んでしまう。エドワードは肩を竦めて、「言いすぎたか」と息をついていた。あまり怒ってはいないようだ。
「まあ、いい。いずれ、あいつは俺になる」
エドワードの言葉が理解出来ずに、リチャードは眉を寄せた。
だが、エドワードはリチャードの理解など求めていない。そんな素振りで、踵を返した。
「欲しいと思ったものは奪ってでも手に入れる主義だからな」
船首に向かって歩きながら、エドワードは不敵に笑った。リチャードには、なんのことだかよくわからないが、それでもいいと思えた。
今日の航海も順調だ。
船は荒波を掻きわけて、目的地へと突き進む。
大海賊様がお望みのままに。
ただ伏線を張っただけの余話。0.5話でも良い勢いでしたね。
次回から第9章開幕!
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