その102 よろしゅうございます、だと……?
だいぶ意味がわからない。
視点変わります。
マイハニーたちの作戦が失敗して一夜。
ジョン・アーガイル侯爵はグルグルの簀巻きにされて、放置されていた。
恐らく、城のどこかだ。
一応は大貴族なので客間のようだが、いつも自分が通される部屋と比べるとだいぶ狭い。それに、簀巻きにされていると、いろいろ堪能するのも難しかった。
なんとも、遺憾だ。
縛るのなら、もっと芸術的に縛ってほしいものだ!
猿ぐつわを嵌められた口では、文句も言えない。最初は「やった、縛ってもらえる!」と喜んだものの、こんな武骨で芸術性のない縛り方をされるとは思っていなかった。
自分も舐められたものである。元々、あの国王とは趣味が合わなかったのだ。話を合わせてやっていたが、あいつは光りものにしか興味がない。もっとも、よく話を聞けば、あの国王は偽物だったらしいが。
ああ、マイハニーに会いたい。
美しい蜂蜜色の髪に、冷たい表情の瞳。鋭い眼光に睨まれると、身体中が痺れてしまう。未成熟な蕾のような可憐さも堪らない。あの断崖絶壁に触れたときの歓喜は、この先、一生忘れまい。
マイハニー・ルイーゼなら、きっともっと美しい縛り方で放置してくれるはずだ。こんな中途半端な客間ではなく、薄暗くてかび臭い最低の地下牢に入れ、家畜を見るような視線を向けてくれるに違いない。
ああっ! 想像していたら、気分が紛れてきた!
素晴らしい。素晴らしすぎるぞ!
付け焼刃で仕込んだ村の娘にやらせたのでは、ああはいかない。
要求しなくても、ちゃんとアーガイルが望む芸術を与えてくれる。ルイーゼはまさに女神のような存在だった。最高である。
「――……せんっっ!」
客間の外から、なにかが聞こえてくる。人の声だろうか。
「よろしゅうございませんっ! おおっと!? ここから、お嬢さまの匂いがぁぁぁあああ! よろしゅうございますぅぅうう!」
なにかを叫んでいる。
程なくして、閉ざされていた客間の扉が開かれた。
「お嬢さまぁぁぁああ! ……申し訳ありません、人違いにございました」
扉を開けた人物は血相を欠いた様子で叫んでいたが、中にいるのがアーガイルだと気づくと、紳士的な一礼した。
「んんんんッ! んぅぅぅうう! ん、んんんッッ!」
そのまま立ち去ろうとする男に向けて、アーガイルは塞がれた口で必死に訴えた。
この男は、確かルイーゼの執事! 名前はジャンと呼ばれていたはず。
彼がどうして、こんなところにいるのかわからないが、ここは助けてもらいたい。こんな屈辱的な縛り方のままでは、気が狂ってしまいそうだ! せめて、縛り直してほしい!
ジャンはアーガイルを見て察したのか、すぐに縄を解いてくれた。
口の猿ぐつわではなく、縄から解放してくれるとは、やはり心得ている。一緒に縛られて放置されていた仲間同士、きっと通じ合うものがあったのだろう。
「お嬢さま! お嬢さまはどこへっ!?」
ジャンは縄を解いたあとでアーガイルの猿ぐつわを外して問う。
「私にもわからないのだよ! マイハニーが心配だ! 妙な待遇を受けて、彼女の芸術性が損なわれたらどうしてくれる!」
「それは、よろしゅうございません……お嬢さま!」
流石は緊縛で意気投合した仲間。ジャンはやはり、芸術の理解者だ。
そうとなれば、情報収集だ。
アーガイルは客間の奥に備え付けてある呼び鈴を鳴らす。これを鳴らすと、普通は奥から使用人か雑用の奴隷が現れるのだ。ここが客間の機能を果たしているなら、彼らは呼ばれたら来るに違いない。
見立て通りに、客間の片隅に用意された小さな扉が開く。目立たないように造られた扉から顔を出したのは、奴隷の少女だ。
「おい、娘」
アーガイルは高圧的な態度で奴隷の少女を見下ろした。
奴隷がたじろいで口を閉ざしてしまうので、アーガイルは彼女を無理やり部屋の中へと引っ張り出した。
奴隷は引っ張られた腕を押さえて、床に転がる。
「よろしゅうございません、侯爵さま!」
ジャンが声を上げる。
何故、止められるのだろう。訝しく思っていると、ジャンはキリッとした表情で奴隷の前に立った。
「どうした、同志よ。なにかあるのか?」
「お言葉ですが、侯爵さま!」
ジャンはシャキーンとした眼差しでアーガイルを見据えて、こう言った。
「お仕置きは歓びであるべきです」
「……なに?」
怯える少女を見下ろして、ジャンは拳を握って力説する。
「このジャン、お嬢さまのためならば、どんなお仕置きも苦痛ではありません。むしろ、歓び! 天の恵みでございます! このように素晴らしい感覚は、普通に生きていては味わうことも出来なかったでしょう。お嬢さまがジャンに与えてくださった祝福なのです!」
確かに。ルイーゼの与えてくれる快楽はまさに芸術。この世のものとは思えない至高の逸品だ。
しかし、それとこれと、なにが関係しているのかアーガイルには、わからなかった。
奴隷は奴隷だ。使役されるために存在している。
フランセールには、そのような文化はないらしいが、彼だってルイーゼの屋敷に雇われている身。身分は違うかもしれないが、使役される立場には変わりないはずだが。
「お仕置きとはご褒美であるべきなのです。このように、嫌がる相手にお仕置きしては、お仕置きの価値が下がってしまうとジャンは考えます!」
「……確かに、私はお仕置きを芸術として嗜んでいる……だが、執事よ。奴隷は家畜。本来、お仕置きとは下層民を従わせるための手段であるはずだと思うが?」
「それは間違いです! 主のことを愛していれば、下々の者は喜んで従うのです。ジャンはお嬢さまにお仕置きされて、嫌々従っているのではないのです。ご褒美を求めて、お嬢さまをお世話しているのです!」
「なんと……!」
寝耳に水だった。ジャンや下々の身分の人間は、そのようなことを考えていたのか!?
アーガイルは今まで感じたこともない衝撃に見舞われた。
こんなことは初めてだ。下々の意見など聞いたことがなかった。いや、聞く価値のないものだと思っている。
けれども、ジャンは同じ芸術を理解する同志。
身分は違うが、アーガイルを理解する数少ない仲間である。そんな同志が、自分の知らない世界を教えてくれた。
アーガイルは目の前が真っ白になり、眩暈がする。
「そんな……そうか……そうだったのか」
今まで、誰もアーガイルに至高の芸術を与えてくれなかった。村の女たちに仕込んでみても、仮初の満足感しか得られなかった。ルイーゼが現れるまで、アーガイルは孤独だった。
「私は愚かだったというのか……!」
膝から崩れ落ちて、アーガイルは床に座り込んだ。こんな衝撃は生まれて初めてだ。
「私は従わせることしか頭になかった……だが、真の芸術とは培うもの! 奴隷たちが自ら進んで私に仕えていなかったから、至高の芸術が得られなかったのだな……?」
「左様にございます、侯爵さま。ジャンのような使用人は主を愛してこそ、主の求める最良を発揮することが出来るのです!」
「そうだったのかぁぁああ! 私はなんと、愚かだったのだろう!」
今までの自分の行為を恥じて、アーガイルは涙を流す。
自分はなんという甚だしい勘違いをしていたのだろう! 今までの自分を水に流してしまいたい!
「……今からでも、遅くはないだろうか。同志よ……」
「大丈夫でございます、侯爵さま。よろしゅうございますよ!」
「なるほど、よろしゅうございます、か……同志よ、ありがとう!」
二人はがっちりと手と手を取り合う。
その様を見上げて、奴隷の少女が「なにを言っているのかしら、この人たち頭大丈夫?」と言いたげに首を傾げていたのだが、そんなことなど目に入らないアーガイルとジャンであった。
† † † † † † †
つい、うっかりソファで眠っちゃった。
エミールは縛られて自由の利かない身体を起き上がらせる。手しか縛られていないけれど、やっぱり慣れない。縛られて喜べる一流の殿方には程遠いみたいだ。
エミールは欠伸をして身を震わせる。
「よろしゅうございますぅぅうう! きっと、あそこにお嬢さまが!」
なんだか、外で叫び声が聞こえる気がした。
なんだろう?
「う、わ……! くそっ! なんだあれ!?」
部屋の前を見張っている兵士が声をあげている。
エミールは気になって、立ち上がった。やっぱり、縛られていると動きにくくて嫌だな。
しばらくすると、「がおがおぉおっ!」と、物凄い動物の鳴き声と共に兵士が逃げていく音がした。そして、部屋の扉が開く。
「お嬢さまぁぁぁあ! ……申し訳ありません、人違いにございました」
扉を開いたのは、ルイーゼの執事だった。
「え、えーっと。ジャン?」
執事の名前を思い出して、エミールは声をかける。すると、ジャンが閃いたようにエミールを見て笑った。
「殿下! 失礼をしました! このジャン、お嬢さまにお会いしたい一心で、つい……」
「ごろにゃぁぁご!」
言い訳するジャンを踏みつけて、後ろからタマが顔を出す。タマは勇敢な容姿からは想像出来ない猫撫で声で部屋に入り、真っ先にエミールの顔を舐めた。
「た、タマぁ!? どうして、ここに!?」
タマはヴィクトリアの屋敷に置いてきたはずなのに!
しかし、エミールは嬉しくなって、笑ってタマに頬ずりした。もふもふの鬣が気持ちいい。ルイーゼが気に入るのも理解出来る。
「よくわかりませんが、城の中を走っておりました! ジャンはてっきり、お嬢さまのところに行けると思ってついてきましたが……きっと、殿下のところに行きたかったのでしょう!」
「そうなんだ……! タマ、ありがとう!」
ジャンが縄を解いてくれたので、エミールはタマの頭を撫でた。タマは嬉しそうにエミールの顔を舐めてくれる。
「同志よ、情報を仕入れたぞ!」
そんなことをしていると、扉からアーガイル侯爵が顔を出した。
アーガイル侯爵はいつもみたいに嫌味そうな顔ではなく、非常に清々しい様子だった。なにかあったのかな。とても解放感あふれる爽やかな笑いだ。
「円卓の広間で騒ぎが起きているらしい。きっと、マイハニーだ!」
ルイーゼのことだ。
昨日、エミールはルイーゼを逃がした。
今騒ぎを起こしているということは、ルイーゼがエミールを助けに来てくれたのだろうか。
僕はルイーゼを守りたかったのに。また助けられるの?
そんなことを思った。
けれども、一方でルイーゼが助けに来てくれたことを嬉しく思う自分もいた。
複雑だ。けれど、どっちも正直な気持ちで、エミールは混乱する。
エミールは急いでタマの上に跨った。そして、出来るだけ力強く言葉を発する。
「僕、ルイーゼに会いに行く!」
宣言すると、タマが呼応するように吼えた。
シリアスな流れはジャンで断ち切れって、昔ばっちゃんが言ってた!




