その80 これは保護行為ですわ!
ヴィクトリア視点。途中で視点変わります。
夕食を終え、ヴィクトリアは父であるストラス伯爵に呼び出されていた。
夜が明けたら、ギルバートたちと共に首都ロンディウムへ発つ。
ストラス伯爵はギルバートに賛同する数少ない貴族の一人だ。というより、アルヴィオス王家の秘密を知っている者は限られている。この国で暮らす者は、自分たちがどのような王によって支配されているのか、理解していないのだ。
「ヴィクトリア、本当に良いのか?」
念を押すように問う父の言葉が胸に刺さる。だが、ヴィクトリアは静かに頷いた。
「大丈夫だよ」
自分の役目は理解している。
ギルバートは現国王を退位させるつもりだ。人魚の宝珠を使って、このくだらない王家の統治を終わらせる。
差し詰めヴィクトリアは、その恩恵を掠め取るハイエナか。我ながら酷いものだと笑みがこぼれた。
「ヴィクトリア……お前は、私の娘だよ」
暗に、「このままギルバートについて行かない生き方も出来る」と言われている気がして、ヴィクトリアは拳を握った。
けれども、首を横に振る。
「ありがとう、父さま。でも、本当に大丈夫だよ……おやすみ」
切れ長の目に笑みを描いた。
ヴィクトリアは踵を返し、そのまま父の書斎を出る。背中で父がなにかを言いかけていたようだが、聞かないようにした。
部屋を出て、渡り廊下へと出る。
月のない夜の風が冷たく、肌寒く感じる。深く濃い藍の空を彩る星々が、ヴィクトリアを見下ろして微笑んでいるように思えた。
アルヴィオスでは、星の光は死者の魂とも言われている。歴史に名を残す英雄は一等大きく輝く星になれると、子供の頃に教わって育ったのを思い出した。
「…………」
夜空を見上げていた視界の端で、なにかが投げ捨てられた。
人の存在に気がつかなかった。ヴィクトリアは急いで視線を落とし、暗く沈んだ庭を見渡す。
だが、気配の正体に気づいて、再び何事もなかったかのように夜空を見上げることにした。無視だ、無視。
「ん、あ。ヴィーか。早く寝ないと肌に悪いらしいぞ?」
せっかく無視したのに、話しかけられた。ヴィクトリアは不機嫌な気持ちを視線に乗せて、庭の噴水に腰かける男を睨みつけてやる。
「あたしの屋敷の庭で脱ぐなよ、この変態」
「仕方ないじゃあないか……暗いと脱ぎたくなるんだから」
他人からは理解出来ない理屈を並べて、ギルバートが肩を竦める。
先ほど、シャツを脱ぎ捨てたところらしい。なかなか寒いというのに、上半身裸でギルバートは平然と笑っていた。放っておいたら、下も脱いでしまうだろうと、長年の付き合いでわかる。
「部屋に帰りな。風邪引いても知らないよ」
「心配してくれるんだ?」
「……アンタの変態的な姿を見ていたくないだけだと、察して欲しいね」
馬鹿馬鹿しい。ヴィクトリアは大袈裟に溜息をついて、脱ぎ捨てられたギルバートのシャツを持ち上げる。ほんのりと熱が残っていて、いやに生々しい。
「部屋は狭いから苦手なんだよ」
静かすぎる夜の庭に、ポツリと言葉が落とされる。
――もう、あそこには戻りたくない。
何年も昔の記憶が呼び起こされて、頭がどうかしてしまいそうだった。妙な感情に蝕まれて、胸が苦しくなる。呼吸数が上がり、鼓動も大きくなっていく気がした。
考えたくもないことを、考えてしまいそうになる。
「安心しろよ、ヴィー」
動揺するヴィクトリアの心中を感じ取ったのか、ギルバートが前に歩み出る。そして、ヴィクトリアの右手首を掴んだ。
「ヴィーの敵はここにいる」
ヴィクトリアの手を自分の首に押し付けて、ギルバートが笑った。無防備なギルバートの喉を掴む形となり、ヴィクトリアは息を呑んだ。
「利用するだけ利用すればいい。この命は、ヴィーのものだ。逃げも隠れもしない」
「……ギル……」
思わず口を開いてしまう。
すると、ギルバートの長い指先がヴィクトリアの唇に触れた。まるで、後に続く言葉を制止するかのように。
「ヴィーは俺のことだけを憎めばいい」
深海のような藍色の双眸がヴィクトリアをまっすぐ見下ろす。その視線に惹きつけられそうになるが、ヴィクトリアは振り切るように俯いた。
そして、ギルバートの胸を思い切り突き飛ばす。
「死ね、クソ王子。あたしに触るな」
いつものように冷たい言葉を吐きながら、ヴィクトリアは容赦なくギルバートを蹴り飛ばした。蹴りを甘んじて受けたギルバートは身体を大きく傾かせて、背後にあった噴水の池へと落ちていく。
「っだぁっ!? 流石に風邪引くだろうが!?」
「知ったことじゃないね。そのまま溺れて死ね!」
捨て台詞のように吐いて、ヴィクトリアはそのままギルバートに背を向ける。
もう少しでこぼれそうになっていた涙を飲み込んで、逃げるように、その場を去った。
† † † † † † †
翌朝、アルヴィオスの首都ロンディウムを目指す馬車はストラス伯爵が用意した。
どうやら、ヴィクトリアもルイーゼたちに同行するらしい。単なる協力者とも違う雰囲気を感じ取って、ルイーゼはヴィクトリアを見た。
黒い前髪のひと房を赤く染め、凛とした強い表情の令嬢。聞けばギルバートと同じ十九歳らしい。フランセールでは行き遅れの年齢だが、こちらでも、その歳まで女性が結婚しないのは珍しいようだ。
そういえば、馬車を見送っているのは数人の使用人と、父であるストラス伯爵だけだった。ストラス夫人の姿が見当たらず、ルイーゼは辺りを見回した。昨夜も見かけなかったし、屋敷の中から覗き見ている様子もないようだ。
「そういえば、ストラス夫人はいらっしゃらないのですわね?」
ヴィクトリアに直接聞くのは憚れたので、ギルバートに問う。
ギルバートはルイーゼの問いに、やや表情を顰めた。やはり、聞いてはいけないことだったのか。
「ヴィーの母親はいない。随分前に亡くなった」
「そうですか」
前世の話はともかく、ルイーゼの両親は健在だ。今のところ、近しい人間が亡くなる体験もしたことがないので、少し居た堪れなくなった。
「俺が殺したみたいなもんだよ」
確かに、そう呟かれたか。
ルイーゼはハッとしてギルバートを見上げる。だが、ギルバートは既に背を向けており、表情を見ることは出来なかった。
「なんだい、エミール。そっちじゃなくて、こっちへおいでよ」
「え、え……で、でも、タマと一緒の方が……」
タマの乗った荷馬車に乗り込もうとしたエミールを、ヴィクトリアが引き止めている。相変わらず、遠慮のない馴れ馴れしい態度だ。
あれほど忠告したというのに。ルイーゼは三白眼で睨みながら、手の中で鞭をしならせた。
ジャンがルイーゼの不機嫌を察知して、素早く跪く。流石は、シャリエ公爵家の執事。主の機嫌に敏感で優秀である。
「よろしゅうございますよ、お嬢さま!」
ルイーゼは心置きなく鞭を振りあげた。だが、振り降ろす前に、エミールと目が合ってしまう。
「ご、ごめん。ぼ、僕……ルイーゼと一緒に……いたい」
エミールは絡みつくヴィクトリアの腕を解くと、そそくさとルイーゼの元へと駆け寄った。まるで、子犬に懐かれた気分になって、ルイーゼは鞭を振る手を止めてしまう。
「別に、エミール様が誰と一緒でも、わたくしは構わないのですわ……」
まっすぐすぎるエミールから視線を逸らして、ルイーゼは行き場を失った鞭を背中に隠す。今更隠す意味はないが、なんとなく、そんな仕草をしてしまった。
「僕が一緒にいたいんだよ……迷惑?」
小動物のような視線で首を傾げられると、毒気を抜かれてしまう。
足元でジャンが「お仕置きは!? ジャンへのお仕置きは、ないのですか!?」と懇願しているが、無視だ。
「迷惑ではありませんが……そうですわね。悪い虫がつかないように、わたくしがちゃんと保護して差し上げますわ」
エミールの保護者として健全な理由である。ルイーゼは、再び迫ってくるヴィクトリアから守るように、エミールと手を繋いだ。エミールが嬉しそうに笑って、頬を染める。
「ルイーゼと手を繋ぐの、久しぶりで……嬉しいな」
「勘違いしないでくださいませ。これは保護行為ですわ。厭らしい意味はなくてよ」
「うん、ありがと」
エミールが嬉しそうに頷くのを見ていると、何故か悪い気がしない。ルイーゼはうるさいジャンの頭を蹴り飛ばしながら、エミールと一緒に馬車に乗り込んだ。
因みに、ギルバートは部屋に帰って渋々毛布を被って寝ました。




