36、 最後の町へ -2-
【ゴッド・エンブレム】の地下迷宮。そこはアンデット系モンスターの巣窟だった。
骸骨、死体、ゴースト。ただでさえ迷路のように入り組んでいる地下道に、行く手を阻むそれらのモンスターは脅威そのものだった。
もしも俺とメグさんだけだったら、とても越える事なんてできなかったんじゃないだろうか。
『あそこが出口だ』
地下に入って1時間余り。俺たちはようやく、外の世界に出る事ができた。
『ひどい目に遭った』
俺の倍以上のレベルであろう、しかも運営側でもある【ハム】がぼやいている。これは相当なもんではなかろうか。
『先は長いぞ』
青髪の盗賊【イチダイ】が、赤い鎧の隣に立つ。
『急ごう』
地下迷宮の外は森。
だが思うより早く樹海を抜けると、次に現れたのは砂漠と思える大地だった。
こういう風景は何となく見慣れた。第2都市【カサム・エンブレム】の風景に似ている。
サソリにバジリスタ……ああ、そう言えばバジリスタには一度も会わなかったな……というか、会っても逃げるばかりだっただろうけど。
不思議な話だ。そんな俺たちが今向かっているのは、神獣と呼ばれる麒麟の元。
麒麟討伐。
以前、佐伯さんは言っていた。神獣・麒麟は相手のレベルに合わせる。だから、どんなレベルだろうと相手にする時の強さは同じだと。
『この先に湖がある。そこで1度休憩しよう』
【テネシーブルー】へ向かい、クエスト屋で麒麟討伐のクエストを受注する。
そして麒麟を倒したその先に。
……【聖域】と呼ばれる場所は存在する。
何のためにそこに向かうのか? ――兄貴が最後に見た場所だから。
なぜそれを見る必要がある? ――それは、わからないけれど。
わからないけど。
……わからないけど。
俺とメグさんは……心に決めている。見なければならないと。
兄貴が残した最後の世界。
そして、最後に見た景色。
結婚式の前日に。わざわざ徹夜までして。
そこで何を。
……何を。
『瞬キチ! 魔物来てるぞ!!』
踊る文字に俺はハッとした。
『ボサっとすんな!!』
慌てて振り回す【回転切り】。間髪入れずに、【イチダイ】がフォローしてくれる。
相手の魔物、何かも見てなかった。
――何も、なければいいと。
『もう少しだから。頑張って』
『はい、すいません』
俺は。
湖に到着後、小休止を挟んで俺たちは再び【テネシーブルー】へ向けて出発した。
湖の外周をグルリと回る。その間にも幾つかモンスターはいて、【ハム】が筆頭になって道を拓いていく。
湖を周り切るまでに、結構な時間がかかった。
そこから平原を幾つか渡り、森に出て。
最後に現れたのは険しい山だった。
もちろん、俺自身は画面の外側にいる。ただただマウスを操作してキーボードを叩くだけの作業だ。
だけれども。
……登る山は、ひどく、険しく感じられた。
湖を周る間もそうだ。
洞窟を歩くその足が。
俺の足は動いていない。だけれども。
……奇妙なほどに、体に共鳴する。
山頂に辿り着いた光景に、ハッとする自分がいる。
吹いてもいない風、ただ画面の中の樹々が揺れているだけなのに、頬に澄み切った何かを感じる。
山間から漏れだす水を見かければ、自然と顔がほころぶ。
思えば、このゲームを始めた頃からそうだった。
なぜ心が動くのだろう。
このゲームが特別……? いや……。
山を下りながら俺は思う。
確かに、今までやってきたゲームの名前を浮かべれば、脳裏をよぎる幾つかの光景がある。
ストーリーだけじゃない、それは確かに、山であり、空であり、1つ1つの光景。
――物語が世界を作る。
兄貴……、山頂から下る途中、道に淡い虹が掛かった。
――世界が、物語を描く。
……自分の兄が何を作りたかったのか。
兄が何を思い描いていたのか。
ゲーム。
物語。
映像。
光景。
……漠然と。
虹の中に兄の背中が見えたのは、幻。
目に映る仮想の世界が。
何かを言って。
……それでいて、何も言わないで。
逆に、俺を見つめているようで。
◇
『ついにここまできたのか……』
おあつらえ向きと言うのだろうか。森の片隅に、焚火の跡があった。
輪郭がぼやけるほどの樹海。最後のベールは今までよりもずっと青に近い碧。
『この先の道をまっすぐ行けば、【テネシーブルー】だ』
俺はただ、画面に現れる文字を追う。
『最終確認だ』
語っているのは、【ハム】。
この1年、……最初は面倒臭い人だと思った。クルクルパーマの変な人。
兄貴が関わっていたゲーム会社の人という事以外、俺はこの人の事をよく知らない。
事あるごとに絡んできて、口を開けばどこまで進んだ、レベルは何だと尋ねられ。
ドアホ、死ねと何度もけなされた。
……ゲームの中までも、絡んできて。
…………………いつも。
何だかんだで。
傍にいてくれて。
……………気に掛けてくれてて。
『行くんだな?』
ああ、行くよ。
行くんだ。
決めてたんだ。
……なのに何だろな。
……何でか、ちょっとだけ淋しいと思った俺の心は。
『はい』
『そうか』
画面の向こうの佐伯さんは……どんな顔をしてるのかと。
初めて思った。
多分、この瞬間だけ。
俺は……迷いたくない。
『メグちゃんも、いいのか?』
俺とメグさん、交互に聞く佐伯さんに、俺は変な事を思ったよ。
――汝、病める時も、健やかなる時も
『はい』
『わかった。じゃあ、最後の確認だ』
【吟遊都市テネシーブルー】。
この世界を築いた3人の女神の1人が守護するという町。
本当は美しい町なのだという。
だけれども今は魔物が徘徊し。
プレイヤー同士の殺し合いさえも、当然のように行われている町。
『町の中央にあるクエスト屋に行く。ルートは俺と【イチダイ】で案内する。依頼の中にある麒麟討伐クエストを受注。そこから、麒麟がいるという【絶海】に向かう。クエストの受注方法……わかるか?』
クエスト屋。
クエスト……結局、メグさんとやった事なかったな。
事前に何となく話しておいた。仕事の請負、アルバイト紹介所みたいなもんだと。
アルバイトなんて学生の頃以来だって、笑っていたっけ。
『クエスト受注まで、俺たちが全力でサポートする。とにかくお前たちは、その先の事だけを考えていればいい』
麒麟討伐のクエストを受けて。
【絶海】の向こう側にあるという、【聖域】へ。
……行くんだ、俺たちは。
『その先は、お前たちに任せるよ』
佐伯さん。
……。
『……』
ありがとうと。
……打とうとする手が。
何でか、震えた。
ゲームの中に声はない。
なのに、言葉が出ないのは。
喉に詰まるような……感覚は。
『ありがとうございます』
『ここからだ』
『うん。ここからだよ』
【イチダイ】も言う。
『始めよう』
『メグちゃん、こいつ頼むわ』
【ハム】が【アゴで】俺を指す。
『こいつ、多分、画面の向こうで泣いてる』
『な、泣いてません!』
『ははは、メグちゃん、こいつの事、引っ張って行ったってな』
兄貴でもないのにそう言う【ハム】に。
『はい』
と言ったメグさんに。
『行こう』
叩かれていないのに、肩を叩かれて。
『行くぞ』
小突かれてもいないのに、頭を軽く小突かれて。
『守るから』
笑ってもいない仮想の人物たちが。
まっすぐに見ている。
画面に踊らない、言葉の数々。
俺は最後に森を旅立つ。
次の画面からが本当の戦い。
……1年。
ここからが。
俺の本当の戦いであり、最後の戦いだ。




