33、 決意
こちらから電話をするのは初めてだった。
少し緊張した。
3コールほどで出た。涼しげな女性の声だったので、思いもかけず、少し面食らった。
「喜多川と申しますが、佐伯さんはいらっしゃいますか?」
少々お待ちくださいと言われメロディが流れるのを待って、俺は缶コーヒーをチビリと飲んだ。
『もしもし。お待たせ』
出た。
聞こえた声は、いつもより少し低く感じた。
――〝クロスリンク・ワールド〟制作の会社。兄貴がいた会社。
……正確には違うか。佐伯さんは、兄貴は無償で手伝ってたって言ってた。兄貴はそこに勤めていたわけじゃない。
でも兄貴が、最期の瞬間を過ごしていた場所。
『どしたー?』
「あけましておめでとうございます」
『おー、あけおめー』
……本当はあんまり電話したくなかったけれども。
でも。しないわけにはいかない。
「今大丈夫ですか?」
『俺は? お前はいいの?』
「昼の休憩中です」
『んー、そう。進んでる? 〝クロスリンク〟』
俺はゴクリと息を吞み。
そして言った。
「行こうと思います」
その一言。
沈黙が戻る。
一瞬、伝わらなかったと思って俺は慌てて説明しようとしたけれども。その必要はなかった。
『そうか。決めたか』
「……はい」
『いつ?』
「まだ、はっきりとは」
でも。
「近々」
『ついに【聖域】を目指すか』
「はい」
『あのクエスト、はっきり言って人気ないんだよねー。リスクが高いワリに実入りはほとんどないって話。今内部では、【聖域】を引っ込めようかって話も出てる』
「え……」
『まぁ、お前が行くまでは、消しゃしない。それにほれ、あれは崇之の仕事だから。そんな簡単になくせはしないけど』
「……」
『そうか、行くか……どうすんのかなぁーって、正直思ってた。ほれ、あそこで遊んでいく分には必要ないじゃん? 別にあのクエストクリアしなくてもゲームは進められる』
「……そうですね。でも、」
俺たちは、見なければならない。
そのために踏み入れた世界。
「行きます」
見ないで引き返すなら、行きはしない。
最初から決まってた、運命。それは定め。
兄貴の仕事、最期にしていた事、……それらの情報が俺の耳に入ってきた時から。
『そうか』
少しだけ、佐伯さんの声が落ちたように聞こえた。
俺はそこから一呼吸置いて、言う。
「ついてきてもらえませんか、団長」
『――』
「【テネシーブルー】まででも結構です。麒麟討伐は、俺たちでやりますから」
『……』
その願いを言うために、俺は今日、電話をしたんだ。
『……いつから気づいてた?』
俺は苦笑した。
「隠してたつもりだったんですか?」
電話の向こうでも苦笑するような気配があった。
「公式の公を取って、【ハム】ですか?」
――気づいたのはいつだったかわからないけれども。
何となく、その気配はあった。
口調とか。態度とか。
「あんなオンラインゲームで、見知らぬ俺たちにあそこまで親身に絡んでくる人、いないですって」
『そうか? よくあるって、そういうの。ゲームの中でも実はみんな、人に飢えてるんだってば』
「【聖域】の話とか、詳しすぎますし。他のプレイヤーがしてるの聞いた事ないですし」
『……掲示板すら見ないお前に、他のプレイヤーがどうのと言えるのかよ』
でも、笑ってる。そしてその笑い方が電話越しにも変わったのがわかった。
――【聖域】と呼ばれる場所。でもきっと、その名でその場所を呼んでいるのは、
『公康の、ハムだ』
「……え?」
『公式じゃない。……佐伯公康。だからハム』
「……そっすか」
『まぁ、いつかはバレるだろうとは思ってたけど。んでも、お前アレじゃん、崇之の弟じゃん? 未来永劫わからんかもしれんとも思った』
「何ですかそりゃ」
『一瞬ですべてを理解するか、未来永劫何一つ理解できないか。あいつはそういう男でしょ』
「……」
『いや……それは俺のただのイメージか。理解できていたとしても目を閉じる。それが人の性か。あいつが何を理解し、何を知らぬままに逝ったか、そんなもん、誰もわからん』
――多分、本人すらも。
『行くのか……恵ちゃんと』
「……知ってたんですね」
メグさんの事も。
兄貴の嫁さんと、俺。
不器用な、俺たちの旅。
知ってて、傍にいた。
まるで見守るように。
『まぁ。俺は、その辺の事情は知らないよ』
「……」
『崇之の嫁さん。……お前と崇之、そして恵ちゃんの関係。俺にはわからんよ』
でも、と佐伯さんは言った。
『……わからんけど、俺は、……そうだな、俺は……』
「……」
『…………付き合う』
【テネシーブルー】まででいいのか? と佐伯さんは言った。
はい、と俺はもう一度返事する。
彼は、わかった、と言って。
『全力で、お前らを守る』
必ず行け。
……そう言った。
なぁ、兄貴。
俺たちはどこまで行けるかな……どこまで来れたかな。
世界は無窮に広がっていると思ってた。どこにだって行けると思ってた。
たとえどこかで何かを落としたって、すぐに拾いに行けると思ってた。信じて疑わなかった。
でも、落とした物は二度と手に入らない。
手に入ったとしても、それは違う物。
進んだ分だけ、遠くなる。
振り返る事は出来たって、退路はいつだって閉ざされてる。
……その中で。
袋小路に追い込まれていくのわかってても……戦っていかなきゃなんない。
なぁ、兄貴。
メグさんと、会いに行くよ。
……兄貴に、会いに行くよ。
怖いとか、目を閉じたいとか。
見ない振りとか。
他の道はあるかもしれないけれども。
それは、俺たちが望む道じゃない。
……これで何が始まり何が終わっても。
俺は。
兄貴から、
――メグさんと。
俺と。
世界から。
もう、逃げずに。
……本当の意味で。
◇
決行は、いつも必ず晴天とは限らない。
決意は、絶え間なく固く決まり続けているわけではない。
――1月最後の土曜日。
俺たちは、約束した。
奇しくもその日は、兄貴が亡くなったのと同じ数を持つ日にち。
……誰に導かれたわけでもない、それは俺たちが決めた道だった。
パソコンを立ち上げる。起動を開始する。
デスクトップが表示されるまでの一時の空白。その間俺は窓から空を見ていた。
いつもはこの時間が少しもどかしい。早く立ち上がらないかと思って過ごすのに。今日はこのままずっと上がらなくてもいいと思った。
でもパソコンは忠実に画面を表示させて。
デスクトップに、クロスリンクへのボタンが配置されている。
クリックすればそこに扉が現れる。
その先へ。もっと奥へ。
俺は進んで行く。
最初にこの世界に入った時の事を思い出す。
メグさんと2人で、この世界に足を踏み入れた。
一緒に始めて。
一緒に、兄貴が作った映像に言葉を失った。
この先に俺たちは何を見るかな?
何を見て、何を得て。
例え何かを失ったとしても。
――あれから1年。見慣れた最初の光景。
美しい、一つの世界へと続く光景。
でも今日は少し違って見える。
風が吹いていないのに、匂いだけがした。
冬の風の匂い。
鼻の奥がツンとする。
「行こう」
そう呟いて。
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