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63王太子との再会


 工房のお休みの日。

 クラーラがデートに着ていくための服を買いに楽しい気持ちで歩いていると、前方に一人の男が立ちはだかった。


 黒い髪に黒い瞳で黒い服を着た、棒のように背が高い無表情の男。

 ウィンスレット公爵家の長男、フリューレイだ。


 警戒態勢に入ったクラーラは距離を取って立ち止まる。でも逃げない。何しろ相手は公爵家の人間。高位貴族に逆らったらどうなるか分からない。

 けれどこの男に関わるといいことがないと本能が告げている。だからやっぱり逃げようか。目が悪くて気づかなかったことにしてくるりと回れ右をしたら……。


「アイザック?」


 仕事に行ったはずのアイザックがいた。


「クラーラ、どうしてここにいる? 馴染みの店に行くんじゃなかったのか?」

「そうだけど、新しくできたお店に行ってみようかなって思ってこっちに来たの」


 そう言いながらゆっくりと後ろを振り返ると、無表情の男はまだそこにいた。男は言葉を発することなく右手を上げてこっちにこいとクラーラを誘っていた。まるで幽霊だ。

 まるっと無視したクラーラは再びアイザックを仰ぎ見た。


「あの人に用があるの?」

「ああ、彼に呼ばれた」

「そうなんだ。わたしは違うわ。それじゃあね」


 手を振って逃げようとしたら「クラーラ殿」と呼ばれてしまう。恐る恐る振り返ると全身黒ずくめの男がクラーラを冷たい目で見ていた。ふるふると首を横に振ってアイザックの影に隠れる。


「妹は関係ない」

「これも縁です。お二人でどうぞ中へ」


 棒切れ男がすぐそこの店を示した。

 なんてことだ。きっと中にはあの人がいる。本当ならこんなところにいるべきじゃない高貴なお方がいるに決まっている。

 アイザックは呼ばれたようだが、クラーラに至ってはまったくの偶然。予定していた服飾店に行けばよかった。新しいお店が開店したことを思い出したばかりに運が悪い。なんて最悪の日だろう。空を見上げたら澄んだ青空が広がっていた。


「こんな日は今にも雨が降りそうなどんよりとした曇り空じゃなきゃ」

「何を言っている?」

「まぁいいか。アイザックがいてくれるなら大丈夫だよね?」

「あのことなら本当に問題ない。心配するな」


 あのお方はエイヴァルトとも仲がいいようだし、アイザックもいるので変なことはされないだろう。

 クラーラはアイザックの腕に縋り付き、腰を引き気味に指定された営業前の飲食店へと入って行った。


 窓から陽の光が入る店の中は明るかった。

 奥の厨房では昼の営業を前に仕込みに追われているようで、入店した二人に気づいた中年の女性が「ゆっくりしていってね」と声をかけるだけして奥へと引っ込んだ。


 中を見渡すとこちらに背を向けて一番奥の席に人が一人座っている。あの金髪はディアンで間違いないだろう。久しぶりに姿を見るがずいぶん痩せたように感じた。

 アイザックと一緒に奥に向かうとディアンが振り返る。アイザックとクラーラ、双方の姿を認めて驚いてた。どうやら彼がアイザックを呼びつけたわけではないようだ。


「フリューレイ殿に呼ばれて参りました。殿下……ディアン様の話し相手をするようにと」

「そう、なのか。私の側仕えが勝手をしてすまぬな。それからクラーラも。久しぶりだね」


 立ち上がったディアンは呆気にとられてクラーラを見つめていた。彼の緑の瞳は揺れていて、あの頃のような嫌な感じがしない。後ろめたさを感じているのだろうか、さっと視線を外して「座ってくれ」と前の椅子を示した。その様子からは反論を許さない横暴さはまったく感じられない。

 アイザックと二人して腰を下ろしてもディアンは特に何も言わなかった。隣に座るアイザックが戸惑いがちに口を開く。


「何かあったのですか?」

「何もないよ。ただ調子が出なくてね。周囲に心配をかけていたようだ。君たちにも悪かったね」


 笑顔にも力がない。無理やり笑っているように見える。クラーラは変だなと思いつつ「この人に何があったの?」との気持ちを込めてアイザックを見上げた。アイザックも同じように感じていたのだろう。分からないと無言で小さく首を振った。


「この店にはよく来られるのですか?」


 会話が切れてしまったのでアイザックから問いかけると、窓の外を見ていたディアンが顔を向けた。


「たまにね。女将の作る料理はどれもお勧めだ。よければ食べて帰るといい」


 むりやり食べさせようとはしないようだ。正面から見るとやはり痩せている。

 相手にするのはアイザックに任せてぼんやり観察していたら「クラーラ」と呼びかけられてしまった。

 何を言われるのか。身構えつつ「はい」と返事をした。


「君には悪いことをした。すまなかったね」


 本当に悪いと思っているのが伝わる謝罪だった。いい大人なのに今にも泣きそうというか……完全に落ち込んでいるのが見て取れた。

 嫌いな相手というか、怖くて二度と会いたくないと思っていた権力者だったのに、こんな姿を見せられると避けている自分が悪い人間のように感じてしまう。

 このお方はあの日から今日まで反省し続けていたのだろうか。クラーラを怖がらせたことを恥じて、こうして謝罪したくて今日まで過ごしてきたのか。


「いえ。あの……もう大丈夫です。あれは悪い冗談だったんですよね?」

「そうだね。ちょっとした悪戯のつもりだったのだ。怖い思いをさせて申し訳なかった」

「ひとつ聞いてもいいですか?」

「なんだい?」

「目です」


 隣に座るアイザックがピクリと動いた。高貴な人を相手にあまり喋るなと言いたいのだろうか。けれど何も言われない。ディアンも僅かに目を見開いて驚いているようだったが、黙って続きを待っていた。


「わたしと同じ瞳の子供ができたらって言われました。ディアン様はどうしてわたしの目にこだわったのですか?」


 悪戯だったと言われても納得できないのは、ディアンがクラーラの瞳に注目していたからだ。

 同じ瞳の色をした子供が欲しいと言ったあの日のディアンは、決してからかうような雰囲気ではなかった。

 でも今はあの日の嫌な感覚がまるでない。毒気を抜かれた、そんな感じがしてしまう。

 クラーラの問いかけにディアンはどことなく悲しそうな微笑みを向けた。


「君の瞳が私の父と同じ色をしていたからだよ」


 静かに語るディアンに、アイザックが「ディアン様!」と、決して大きくはないが咎めるような声をかける。するとディアンは「大丈夫だ、分かっている」と告げた。


「私の瞳が緑なのは分かるかい?」


 どこからどう見てもそのとおり、緑色だ。それがどうしたのか。クラーラは静かに頷いた。


「この色は家族で私一人だけなのだよ。まるで拾われてきた子のようだ。だから私は父と同じ瞳の色をした君が羨ましくて目をつけてしまった。子が紫の瞳を持って生まれても私の色は変わらないのにね。瞳の色なんてどうでもいいことなのに、それに気づけていなかったのだよ」


 そういえば王族には紫の瞳で生まれる人が多いと聞いたことがある。でも絶対ではない。なのにそんなことで悩むディアンの気持ちをクラーラは理解できなかった。

 それでも疎外感を感じた時の気持ちは知っている。クラーラにとってどうでもいいことだとしても、ディアンにとっては重要なことだったのだろう。


「家族でも瞳の色が違って当たり前です。わたしの母は赤い瞳をしていました。アイザックは綺麗な紫だけど、わたしは赤と金が混ざってあまり綺麗ではありません」


 クラーラの家族だけで言えば誰一人として同じ瞳の色をしていない。王家にとってクラーラのような虹彩を持つ者が重要視されると知らないだけに、なんでもないことだと声が明るくなる。


 そんなクラーラの言葉をディアンは咎めず聞いていた。理解しているアイザックも余計なことを言わずに黙っている。


「目といえば瞳の色は違いますけど、ディアン様とアイザックの目ってなんだか似ていますね」


 クラーラが唐突にそう告げた途端、場の雰囲気が変わった。

 アイザックは緊張し、ディアンは「え……?」と、緑色の瞳に驚きの感情が宿る。


「似ている? 私とアイザックが?」

「はい。目の形が似てます」


 クラーラにとってはなんでもないことだった。そう思ったから口にしただけで、目の形だけなら本当に似ている。こうして二人がいるから気づいたけれど、別々にいたら気づけなかった。なにしろアイザックは体格からして大きな筋肉達磨だ。そちらに注目が集まるので、ディアンとのたった一つの共通点は見過ごされてしまって当然だった。


「そう、なのか?」と、泣きそうになって口元を押さえたディアンの心にクラーラは気づかない。それよりもディアンの中指に嵌められている指輪に気づいて「あっ、それ!?」と大きな声を上げてしまった。


「なんだ?」と、アイザックが興奮したクラーラの腰に腕を伸ばして、飛び上がらないように押さえつけた。クラーラは無邪気さ故に場にそぐわない行動をしがちだ。そんなアイザックの心配をよそに、不敬ながらクラーラはディアンを指差した。アイザックがその指を素早く捕まえて膝の上に戻す。

 失礼なことをしてしまったと気づいてクラーラは下を向いた。


「アイザック、構わない。クラーラ、叱らないからそんな顔をしないでくれ。それでどうしたのだ?」


 穏やかな口調に誘われて、クラーラはおずおずと顔を上げた。


「その指輪……」


 クラーラが作った指輪だった。

 蜥蜴のデザインで本物に見えるよう細かい作業がとても大変だったのだ。若い女の子に手に取ってもらいたくて細身を意識したのにちょっとごつくなってしまった作品。


「これかい? 蜥蜴の細工が素晴らしいだろう?」


 ディアンが目を細めて、嬉しそうに指輪の嵌った手を見せる。 


「それ、わたしが作ったんです!」


 気に入ってくれていると知った途端、クラーラは嬉しくて飛び上がりそうになった。アイザックに押さえつけられてなければ確実に跳び上がっていた。

 ディアンは「本当に?」と目を見開く。


「わたし蜥蜴が大好きでっ」

「本当かい? 私もだよ。作者は素晴らしい観察眼を持っていると感心していたのだ。君だったのか!」

「はい、わたしです! みんなに蜥蜴だと気づいてもらえなくてっ。分かってもらえて嬉しいです!」


 クラーラはディアンと手を取り合って固い握手を交わす。

 これまでのことなんてすっかりきっぱり忘れていた。






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