62蜥蜴の指輪
騎士団舎の一角に穏やかな雰囲気が漂う一方で、城には陰鬱な空気に包まれた人物がいた。
前ウィンスレット公爵オルトールの葬儀に参列し、戻ってきてからいまいち調子の上がらないカルディバー王国王太子ディアンである。
幼いころから世話をしてくれた口うるさい爺だったが、高齢による隠居でいなくなると寂しく感じていた。時が過ぎるにつれ少しずつ慣れていったものの、永遠の眠りについたとなると喪失感が押し寄せる。
父親は早くに亡くなり、母親も南の離宮に行ってしまったので会った記憶はそれほど多くない。母親に至っては、父に嫁ぐ前からの恋人である護衛との間に子供ができたとの噂もあった。事実かどうかは不貞を追及するような気がして調べさせなかったし、産んでくれた母親への興味も湧かなかった。それほど物理的にも精神的にも距離が離れていたのだ。
そんな中、ディアンに問題があるため血筋優先で迎えた妃とは仲良くやっていたつもりだった。けれど男子が生まれてから妃は我が子を立派な王に育てるのに夢中で、ディアンの相手をしてくれなくなってしまった。彼女の侍女を愛人に勧められたときには、愛情は幻だったのだと知って落ち込んだものだ。
今年五歳になる息子は勉強に忙しく月に一度会えるかどうか。親子でも王族となると会うにも準備が必要だ。相応しい服装に着替えたり場所を整えたり。急な面会は予定の変更が必要だからと断られる。
ディアンは久しぶりに息子に会えるとなると楽しみになって前日の夜は眠れない。会えると予定にない遊びに誘ったりするので妃に嫌な顔をされていた。けれど幼い子供が勉強ばかりなのはよくない。森の探検に誘って親子で楽しいひと時を過ごしたのも束の間、それが続いたせいか面会の受け入れを拒否されることが続いている。
親子なのに。父親なのに会えないなんて。
避けられているように思えるのは気のせいではないのかもしれない。
「私が子供の頃はその辺を駆け回って遊んでいたというのに……」
幼いころのディアンは次期国王としての教育よりも、体を丈夫にすることを優先させられていた。もちろん学びもしたが、父親であるローディアスが喘息の持病を持っていたので、まずは丈夫に育つことを優先するように王から命じられていたのだ。
あまり勉強が好きでなかったせいもある。幼いディアンは目がよかったこともあり、城にある森を駆け回っては虫や爬虫類、小動物といった小さなものを見つけるのが得意で追いまわしていた。捕獲しては城にやって来る淑女めがけて投げつける遊びに夢中になった。
側に侍る同年代の令息たちはそんな遊びに付き合ってくれなかったが、オルトールは運動が苦手なくせに息を切らせながら、走り回るディアンの森遊びにしつこいほど同行してきた。逃げても逃げても追いかけて、ディアンを一人にしないようにつきまとった。それがとても嬉しくて、見つけて欲しくて手加減して逃げたものだ。
淑女に対する悪戯には本気でしかりつけ時に罰を与えたものの、ディアンはオルトールからの確かな愛情を感じていた。
そんなディアンはこの年になって腹違いとはいえ弟と妹がいると知った。
なぜ教えてくれなかったのかと腹を立てたものの、後ろ盾のない庶子の立場からすると存在を知られないことこそ命を守るために必要だったことも理解できた。ディアンが二人に関わるのはよくないことも理解している。けれどつい、どうしても二人に構いたくてたまらなくなるのだ。
出生の秘密を知っているアイザックはまだいい。ぎこちないながらもディアンの相手をしてくれる。……と、思う。問題はクラーラだ。血の繋がりを知らなかったために愛人にしようと目論んだせいですっかり嫌われてしまったのだ。
あれはディアンが全部悪い。王太子だからとしても他人の気持ちを完全無視した許されないことだ。もしクラーラと血の繋がりがなかったとしても、外に子を成してあの瞳を受け継いだ男子が誕生した場合、今いる息子と争わせることになるのに。
家族愛に飢えるディアンは執務机に向かったまま、インクを付けたペンを手に「はぁ」と溜息を吐いた。
ディアンがウィンスレット領に行っている間にクラーラが暴漢に襲われたのだ。事件は片付いたし、元気になったのも知っている。彼女の側には兄と見目麗しい婚約者がいる。なんの心配もない。それでも一目会って無事を確認したいのに。それとなくアイザックに申し入れたら「お心だけ頂戴いたします」と断られてしまった。
「はぁ」と、再びため息が漏れる。最近は何かと辛い。
隠居して領地に引っ込んだオルトールが先に逝くのは理解していた。泣くかもと思っていた。けれど実際には涙は出ず、想像をはるかに超える虚無感に襲われていた。
ペンを置くと一番下の引き出しを開けて中にある品々を取り出す。重要な書類の上に並べたのはクラーラが勤める工房の品々。隣接する店舗で大人買いしたものだ。
この中にクラーラが作った品があるはず。
可愛らしい花がモチーフのペンダントトップだろうか。神話のシーンが掘られた小物入れだろうか。
どれを身につけようかと悩んでいると、「これがよいかと」と、前に立つフリューレイがごつい指輪を指さした。
「なぜこれなのだ?」
「竜は殿下に相応しいと思われます」
言われるまま指輪を手に取る。
「これは蜥蜴だ」
「いえ、竜です」
「蜥蜴だ」
「羽がございます。火も吐いております」
「よく見たら羽に丸みがあるだろう。これは羽蜥蜴だ。尻尾を咥えているのであって火を吐いているのではない。……うむ、こう見るとなかなかに素晴らしい細工をしているな」
ディアンは指輪をじっくりと観察する。
フリューレイには想像上の竜に見えたようだが、たたまれた丸い羽が確認できる。尻尾を咥えたそれはなかなか好ましいデザインだ。指輪の制作者はディアン同様に爬虫類に興味があって、すばらしい観察眼を持っている。が……クラーラの作品ではないだろう。
しかしフリューレイがあまりにも勧めるのでためしに嵌めてみた。中指だとちょうどいいサイズだ。
「悪くないな」
オルトールと駆けたあの日が思い出され、ディアンはズズズ……と鼻を啜った。




