56泣かない子
クラーラには騎士団舎の医療棟に入ってもらった。基本的に怪我をした騎士が利用する場所だが、犯罪の被害にあって手当てが必要な者にも扉を開く。
個室もあって女性を預けるのに問題もないが、エイヴァルトは付き添ってクラーラを一人にしなかった。
彫金の仕事は聴取と保護を理由に休ませた。クラーラは「行ける」と主張したが、「この件が片付くまでは念のためにここから出さない」と明確に告げたらおとなしく従ってくれた。
横暴なうえに少し言い方がきつくなったけれど後悔はない。クラーラの様子が心配でどうしても側で見守りたかったのだ。
なのにほっとした途端に乱暴だったと気づいて焦った。けれど一晩明けて落ち着いていたクラーラはどういうわけだか頬を染めて恥ずかしそうにしていた。
一緒にいれるのが嬉しいと表情から悟られる。これはいつものクラーラだった。立ち直りの早さにエイヴァルトの不安は増す。
クラーラが襲われた翌日の深夜、ウィンスレット領から戻ったアイザックにエイヴァルトは深々と頭を下げて謝罪した。
「私のせいだ。すまない」
すでに話を聞いていたアイザックはエイヴァルトの横を無言で通り過ぎると、眠っているクラーラをじっと観察していた。
クラーラには体と心を休めるために、本人の許可を得て薬を投与している。アイザックが髪を撫で、手を握っても目を覚さなかった。
アイザックは黙ってクラーラを見つめている。ベッド脇に膝を突いて食い入るように。一度ならず二度目だ。その二つにエイヴァルトは関係していた。
弁解の余地がない大きな失態だ。
そもそもがアヒムを取り逃がしたことが原因。本来ならこの場にいる資格はない。
医務室を出ようとしたところで、「エイヴァルト」とアイザックに引き留められた。
「少しいいか。話がある」
「ああ、もちろんだ」
二人して部屋を出たが、異変に気づけるようにクラーラの姿が見えるよう、扉を少し開けて二人は立ち止まった。
「どんな感じだった?」
「拘束された手首に傷があるが、他に外傷はない。普通に見えるが……私は怯えているのではないかと思っている。そう見せないようにしているのだと思えて痛々しくてならない」
「そうか。クラーラは泣いてないだろう?」
問われてエイヴァルトは無言で肯定し、アイザックとしっかり目を合わせた。そう、クラーラは泣きそうに見えて泣かないのだ。理由を知りたかった。
「俺のせいで泣かなくなったんだ」
苦しそうにアイザックが漏らす。思いもよらない言葉に「お前のせい?」と問い返した。
「母が亡くなった当時、俺は騎士になったばかりで仕事を覚えるのに必死だった。クラーラは十三で、大人ではないが子供すぎるわけでもなかった。一人にしないでと泣くクラーラが心配だったが、同時に俺は面倒に思ってしまったんだ。お前のために頑張っているんだぞとな」
二人に父親はいない。親子の名乗りもしていなかった。母親を亡くして本当に二人きりの家族になってしまったのだ。
クラーラは大人になるには早すぎて、アイザックは厳しい訓練や仕事に慣れるために大切な時期であったともいえる。
そんなアイザックに二人の生活が伸し掛かったのだ。自分一人ならどうとでもなるが、まだ大人とは言えないクラーラのことも考えなければならない。
新人の頃は率先して夜勤や遠征をさせられる。幼くなくても母親を亡くしたばかりの、頼る人がアイザックだけのクラーラが心細く感じるのは当然だ。
「そんな俺の気持ちを敏感に察したんだろう。以来クラーラは泣かなくなった。出勤するとき笑顔で手を振るんだ。帰りは窓から覗いていて、俺の姿をみつけると一目散に飛びついてきた」
笑顔で手を振るのも、一目散に駆けて飛びつくのもクラーラの愛らしさだ。けれどその裏側にあるのは、帰ってきてとの願いと、戻ってきてくれた安堵だったなんて。
「あの日から寂しいと言ったり泣き顔を見せたりしなくなった。うざがられて見捨てられるのを恐れたんだ。クラーラ自身は嫌なことを忘れるのが上手いのだと言うが、本当は違う。嫌われないために自分を押さえるようになっただけで、大切なものを失うことを恐れているんだ」
眠るクラーラへと視線を向けるアイザックは穏やかに話している。けれど内側は決してそうでないと感じた。
クラーラは心を開いた相手に……要するに大切な人に嫌われるのを恐れている。その相手がアイザックの場合、見捨てられて一人になる恐怖に怯えていることの裏返しだ。
そしてエイヴァルトには、好きな異性に嫌われたくないとの思いから、仕事の邪魔をしないように襲われた恐怖を隠してしまった。
必死で泣かないように感情を押し込めて、歯を食いしばって自分を立て直し、大丈夫だとむりやり笑ったのだ。
これはクラーラが大切な人を失わないために学んでしまった悲しい行動でもある。
「そもそも騎士の職を選んだのは、体格に恵まれていたのもあるが、報酬がよくもしもがあっても遺族に対する保証が充実していたからだ。崇高な理由なんかないのにな」
自虐なのか、アイザックは「今さらどうしようもない」と笑ったが、とても苦しそうだった。
クラーラを一人にしたくなくても仕事上そうはいかない。さらにアイザックは部隊長という責任ある役職に就いてしまった。一度は断ったのに、エイヴァルトでは駄目な理由ができてしまったから、仕方なく受け入れた。
そのせいでと、アイザックもまた自分を責めていると感じる。
「私になにができるのだろうか」
「ない」
端的に言われてエイヴァルトは拳を握った。
そんなことはない、あるだろうと否定するのは簡単だ。けれどアイザックだって今日まで放置していたのでないことは想像できる。
この短い言葉にはクラーラを理解して側にいて欲しいとの願望が込められているのだ。少なくともエイヴァルトはそういう意味で受け取った。




