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54後悔


 予定よりはるかに遅くなってしまったが、クラーラを無事に送り届けることに成功したエイヴァルトは安堵の息を吐く。

 きっと、恐らく……いや確実に今一番の危険人物は自分で間違いない。「来て」と腕を広げられて、その場で押し倒さなかったのは奇跡でしかなかった。


 クラーラは黙っていると高名な画師による絵画から抜け出した女神の如く美しい女性だ。けれどひとたび口を開いて動きがでた途端に愛らしさが溢れ出す。純潔の乙女を好むという空想上の動物が現実にいたなら、彼女はそれの大群に囲まれるに違いない。


 エイヴァルトの役目はクラーラを送り届ける、ただそれだけだったはずなのに。気づいたらなんの準備もないまま結婚を申し込んで、甘く色付く唇を奪っていた。


 幸運にも日が落ちて人目に触れなかったが、一歩間違えたら不埒者として通報されておかしくなかった。さらには許可もなくしてしまって、クラーラに嫌われてしまう危険もあった。


 それがなんてことだろう。半年後には確実に手に入れて自分だけのものにできるなんて。こんな至らない男の妻になってくれる。一年は我慢しなければならないと思っていただけに幸せでならない。


「幸運だったな」


 家に入ったクラーラが鍵をかけたのを確認すると、ゆっくりとした足取りで階下へと向かう。外に出ると人影はまばらながらも、制服を着たエイヴァルトに彼らの視線がちらりと向いては逸らされた。

 エイヴァルトは数歩進んで立ち止まり後ろを振り仰いだ。


 エイヴァルトがここを去る時、クラーラは窓を開けて手を振っていた。前回は角を曲がって姿が見えなくなった後も、窓を閉めることなく見送り続けていたほどだ。だから今回も必ずそうすると思ったのだ。

 今夜はこの家にクラーラは一人きり。心配なので窓を閉めるよう声をかけるつもりで愛しい人の笑顔を待つ。

 なのに窓は開かれるとこなく、二階の窓の向こうも暗いままだった。


「おかしいな」


 確信していたのに。残念だとの気持ちが湧くより先に一歩を踏み出していた。

 建物をくぐり階段を上る。二階の廊下を進んで扉の前に立ち、ノックするために右手を上げて。

 僅かな異変を感じたエイヴァルトは一歩下がると迷うことなく扉を蹴破った。


「クラーラ!」


 明かりのついた部屋を抜けて奥へと走る。任務中は感情的になって暴走したことなんてないのにすでに殺意が湧いていた。


 扉が開け放たれたままの暗い部屋に飛び込むと、何かが光って咄嗟に避けるも目の下の皮膚が切れた。

 背後でかしゃんとナイフが落ちた音がしたが、勢いのまま標的に向かって拳を繰り出す。暗くても敵の動きは掴んでいた。


 頬を殴られ壁に激突した相手は瞬時に体勢を立て直して殴りかかってきたが、受け止めて払いのけ腹に蹴りを入れる。倒れたところで腕を取り容赦なく肩の関節を外した。下でうめき声が上がるが、逃がさないために足の骨を折って動きを止める。殺してやりたかったが、視界の端に映り込んだ愛しい人の存在がエイヴァルトに冷静さを取り戻させた。


「クラーラ!」


 ベッドの上で胎児のように体を丸めたクラーラを抱き起した。

 様子を確認したいのに体を硬直させて力を抜いてくれず顔すら見せてくれない。猿轡をされていて、後頭部に回った結び目を解いて後ろに放り投げた。

 抱きしめて何度も名前を呼んで、ようやく呻くような音だけが聞こえた。エイヴァルトの胸に顔を埋めたので認識はしてくれているようだ。


「クラーラ、私だ。エイヴァルトだ。顔を見せて」


 クラーラは両手でエイヴァルトの制服を掴んで額を寄せていた。その額を嫌だとでもいうかに振って擦り付けている。奥歯を噛み締めているのか言葉は発してくれないが、「ううう」と音だけは漏れ続けていた。

 

 エイヴァルトはクラーラを抱いたまま窓に向かい開け放つと、外に向かって部下二人の名を続けて呼んだ。

 その部下はウィンスレット公爵が付けた監視だ。トリン侯爵家が没落してなお監視は続いていた。エイヴァルトを尾行しているはずで、読みどおり一人が闇の中から現れた。


「暴漢だ。騎士団に連絡を!」


 わざわざ言わずともセバスティアンやラインスには伝わるだろうが、前ウィンスレット公爵オルトールの死去により都を離れているので駆け付けるようなことにはならない。王太子ディアンもだ。

 彼らはクラーラの味方だが、こんな状態の彼女に会わせたくなかった。クラーラが怖がるだろうと思ったのだ。


 クラーラを襲ったのはエイヴァルトの隊が追っているアヒムで、クラーラは巻き込まれた形になる。完全にエイヴァルトの失態だった。


 肩を外し足を折ったアヒムは痛みのせいでのたうち声をあげている。この程度で声を漏らすとは。首になったとはいえ騎士に合格した人間とは思えない。とりあえず仲間が駆け付けるまでは転がっているのがやっとだろう。エイヴァルトは警戒しつつ、クラーラを明るい場所へと移動させた。


「クラーラ、大丈夫だ。もう安心だ。私が付いている」


 ぐちゃぐちゃになった髪を撫でて手で梳いてやる。相変わらず顔を見せてくれないが、優しくあやしながら全身の状態を確認した。

 見たところ怪我をしている様子はない。衣服に乱れはあるが破られてもいなかった。最悪な状況ではないと安堵したのも束の間、縋りつくクラーラの両手が縛られていると気づいて頭に血が上る。

 腕を外して足を折るだけでやめた自分が憎い。四肢の関節を折るべきだった。完全に職務から逸脱しているが、それくらいして当然だと心から思っていた。


「クラーラ、手を出して。紐を解こう」


 耳元で伝えると恐る恐るといった感じで、二人の間に挟まれるようになっていた手だけが出てくる。拳をぎゅっと握って全身に力も入ったままだ。その手はぶるぶると震えている。力を入れているのは震えを隠すためだと気づいて胸が締め付けられた。


 片手で戒めを解くと小さな手は再び隠された。エイヴァルトの胸に縋りついて制服を握りしめている。

 頼られるのも、この胸で安心を得ようとしてくれるのも嬉しい。けれどあまりの痛々しさに、何もできない我が身が情けなくてたまらなかった。


 なぜもっと早くに気づけなかったのか。それよりも欲を出し、アイザックがいないのをいいことにどうして部屋に入り込もうとしなかったのか。そうしていたらクラーラはこれほど怯えることもなかったのに。

 愛する人を守れなかったことがこんなにも悔しく苦しいとは。エイヴァルトさえしっかりしていれば起きなかったことだ。


 



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― 新着の感想 ―
こんな緊迫した場面なのに、ユニコーンにわらわら群がられて身動きが取れなくなって困っているクラーラが頭に浮かんで仕方がない。 もちろん一番近くに陣取っているのはエーくんと筋肉兄ちゃんなユニコーンですね。…
なんとか間に合って良かったです トラウマにならないとイイんだけど心配です
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