52天国からの
熱を持った唇が自分の唇に触れている。クラーラがキスをされたのだと認識したのと同時に、エイヴァルトはものすごい勢いで飛び退いて反転すると背中を向けた。
「私はいったい何をしているんだ!?」
頭を抱えて背中を丸めたエイヴァルト。その様はまるで後悔しているように見える。
突然のキスに頭に血が上って動揺していたクラーラだったが、そんなエイヴァルトの様子を目の当たりにして少しずつ冷静になっていった。
「エイヴァルト様はキスしたのを後悔しているのね」
心の中で思ったことなのに音にしていた。それを聞いたエイヴァルトが「違う!」と声高に振り返ってクラーラの肩を掴む。
「違うんだ、君を愛している! ただやり方が分からなくてフランツに相談してから申し込むつもりだったんだ。なのに君があまりにも愛らしくて可愛すぎるから我慢ができなくなってしまった。クラーラ、すまない。許可も得ずに不埒な真似をした。だが決して後悔なんてしていない。ただ……君が嫌だったのではと不安ではある」
最後は消え入りそうな声になった。
なんだかよく分からないけれど、フランツに聞いてから結婚の申し込みをするつもりだったらしい。貴族と平民ではいろいろと違っているからフランツに教えを乞おうと思ったのだろう。うんそうだ。絶対にそう。やり方が分からなかったのはキスではなく、交際の申し込みについてに違いない。
それに……。
「嫌だなんてそんな……」
愛らしくて可愛すぎるから我慢ができなかったなんて。
嬉しさと恥ずかしさから照れてしまう。下を向いて隠そうとしたら、今度は手を取られてそこにキスされた。さらには膝裏を掬われて、気づいたらエイヴァルトの膝の上にいるではないか。美しい顔がまたもや目前に。
「順番を間違えた私を許してほしい」
苦しそうに許しを請うエイヴァルトは切な気に溜息を吐く。色気だだ漏れを至近距離で受けたクラーラは魂を抜かれそうになった。
「私は君の笑顔が好きだ。君と出会えたからこそ、人を想う気持ちと愛する喜びを知ることができた。君の隣で一緒に笑えたならどれほど幸せだろうか。私は君に夢中だ。クラーラ、どうか私と結婚して欲しい」
煌めく碧い瞳にクラーラだけが映っていた。
クラーラはエイヴァルトの言葉を魂が半分抜けた状態で聞いていたが、後からちゃんと言葉の意味を理解して「けっこん?」と考える。
「そうだ。私と人生を共にして欲しい」
エイヴァルトの硬くて太い指がクラーラの頬を撫で、頤に指がかけられた。
「クラーラ。どうかはいと言って」
請われるまま「はい」と言いそうになって慌てて口を閉じる。
「クラーラ?」
エイヴァルトが悲しそうに眉を寄せる。クラーラは美しすぎる男性の懇願攻撃から逃れるためにギュッと目を閉じた。それでも好きだとの意思を示すためにエイヴァルトに抱きつく。
「わたしだってエイヴァルト様が大好き。でもさすがに結婚は早すぎると思います」
「早すぎる……。それは体のいい断り文句なのか? それとも私はやり方を間違えた? 私が信用しきれない?」
「断り文句じゃないし、やり方を間違えたかどうかは分からないけど、エイヴァルト様のことは信用しきっています」
エイヴァルトの言うことならなんだって信じるし、信じて裏切られたって構わない。だけど結婚は早い。
「だってわたし、エイヴァルト様と恋人同士になりたいんです!」
「恋人同士?」
そうだ。もちろん結婚したいとプロポーズされたのは飛び上がるほど嬉しい。言われたからには絶対に手放さない。
けれど、それでもクラーラなりの夢がある。
思いが通じて障害もなくなったからと即結婚ではなくて、恋人として堂々と街を歩きたいし、普通の恋人たちが楽しむ男女交際だってしたい。
休みの日に待ち合わせしてお芝居を見に行ったり、お祭りに行ったり。結婚に向かうのならゆっくり時間をかけて新居を探したいし、家具や食器だって二人で吟味したい。そんなドキドキをゆっくりとたくさん体験していきたいのだ。
そう吐露したクラーラに、エイヴァルトは「分かった」と深く頷いて、クラーラを膝に抱っこしたままやり直してくれた。
「クラーラ、私と結婚を前提に交際してくれないだろうか?」
「もちろん、喜んで!」
返事をしたらエイヴァルトが破顔して、もう一度クラーラに口づける。クラーラも二度目は目を閉じて受け入れた。
辺りは暗くて人の気配もしない。二人を邪魔するものなんてこの世界には何一つなかった。
クラーラは大好きな人との初めての経験に浮かれまくってしまい、三度目は自分からキスしてしまった。そうしたらエイヴァルトがぎゅうっと絞め殺す勢いで抱きしめてきたので、思いっきり背中を叩いて辞めてもらい、なんとか死なずにすむ。
思いが通じ合って未来が開けた途端に昇天させられるなんて嫌だ。
その後エイヴァルトは「なんとか治まるまで待って」と、クラーラを絞め殺さない程度にぎゅうっと抱きしめて何かに耐えているようだった。
それが落ち着くと――。
「婚約期間は一年でいいだろうか?」
と言ってきたので「えっ!?」と思わず声をあげてしまった。
「一年ですか!?」
「少ないだろうか?」
エイヴァルトが悲しそうに眉を寄せる。
「一年の根拠はなんですか?」
「いや……よく分からなくて。貴族なら一年の婚約期間を置くのが普通なのだが……」
困ったように眉を寄せたその姿がなんだか可愛らしい。クラーラは「半年もあればいいんじゃないでしょうか」と告げると、頬を染めてエイヴァルトの胸に顔を埋める。
ここは自分だけの特等席にしようと決めた。




