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50わたしのせい


 アイザックから「明日は泊まりになる。戻りは明後日だ」と言われたクラーラは、少しだけ不安になった。


 騎士だから急に泊まりの仕事が入るのはよくあることだ。これまで何度もあったけれど今回は久し振りで、一晩とはいえ、なんとも言えない不安のようなものを覚える。


 けれど顔には出さない。母が亡くなって悲しくて不安で堪らなかった時に「行かないで」としつこく駄々をこねて泣いたことが一度だけあった。

 騎士になって間もなく、二人の生活を支える責任を抱えていたアイザックはとても困った顔をしていた。

 当時十三で幼くもない妹のために仕事を放り出すことができず、けれど心配なこともあって返事に窮していたのだ。

 その表情から現状を悟り、我儘を貫いて嫌われるのが怖くなった。それ以来聞き分けの良い子を演じることが度々ある。

 アイザックも気づいていたが、二人で生きるためには気づかないふりをすることも必要だったのだ。

 けれど時々アイザックは、そんなクラーラにとびきりの不意打ちをしてくれる。


「どうした? 一晩いなくて不安なのか?」

「いい大人なのにそんなわけないでしょ。アイザックこそ、わたしのことが心配で不安なんじゃないの?」

「そうだな、心配で不安だ。だからエイヴァルトに仕事終わりのクラーラを迎えに行ってくれと頼んできた」

「エイヴァルト様に!?」


 感じていた不安が一瞬でなくなり、嬉しくて喜びに支配される。そんなクラーラを、アイザックは悪戯が成功したような顔で見下ろしていた。


「うそ、どうしよう! 明日は大人っぽい素敵な服を着ていかなくちゃ!」


 エイヴァルトからは「近いうちに状況を変えるから待っていて欲しい」と言われている。あの日以来会ってないが、「愛してる」と告白されて、会えなくても幸せな日々を過ごしていた。

 まだ状況は変わってないかもしれない。機会があれば無理しないで、日陰者でもいいと言おうか?

 なんて考えながら明日着る服を選ぶ。


「おい、浮かれるのは分かるがちょっと酷くないか?」

「なにが? それよりこれなんてどうかな?」


 前回は油断していたこともあって着古した服だった。クラーラは胸元に大きなリボンの付いた黄色いワンピースを体に当てて振り返る。


「似合うが、でかいリボンが仕事の邪魔になりそうだ」

「そうね。エプロンしたら潰れちゃうし……」

「おい、ちゃんと分かってるか? 俺は明日からいないんだぞ」

「分かってる! 気をつけて行ってねー。それでわたしはエイヴァルト様に会えるのよね!」


 アイザックの不在が楽しみなことなんて初めてだ。申し訳ないけどクラーラの頭はピンク色になってしまっていた。


 翌朝早くに家を出たアイザックを見送って身支度を整える。出勤途中に同僚女性と一緒になった。


「ねぇ聞いたよ。エイヴァルト様って貴族じゃなくなったそうね」

「え? どういうこと?」

「よく分からないけど、友達の彼氏が騎士で教えてくれたのよ。エイヴァルト様の家族が騎士団舎に乗り込んできて大騒ぎして大変だったって。エイヴァルト様は除籍されて平民になるらしいわ。アイザックから聞いてないの?」


 そんなの聞いてない。「知らない」と首を振ると彼女は「残念ね」と笑った。


「貴族になれなくて」

「え?」

「ほら、遅刻しちゃう!」


 走り去る彼女を唖然と見送った。

 除籍ってどういうことなのか。状況を変えるって貴族じゃなくなることだったのだと思い至り、クラーラは両手で口を押さえる。


「まさかそんな……」


 貴族の妻になれるなんて思っていない。エイヴァルトだって妻にするなんて言ってくれなかったのだ。それでも諦められなくて、日陰の身でも一緒にいられるならと思ってしまった。それぐらい大好きなのだ。


 クラーラが浮かれているうちにエイヴァルトは行動していたのだと知る。貴族は特別な人たちで、なりたくてなれるものじゃない。貴族じゃなくなるなんてとんでもないことだ。


「わたしのせいで?」


 クラーラのために貴族を辞めたのか。除籍は家族から離れるということだ。家族が乗り込んで大騒ぎしたって……エイヴァルトは家族の意思を無視して価値のない平民女を選んだということなのか?


 とんでもないことになったと蒼白になる。大好きな人に家族を捨てさせてしまった。しかも彼は貴族に生まれた人で生きる世界が違ったのに。


 彼に好かれていたと知って浮かれていた自分が恥ずかしい。辛い選択をさせると知らずにいた。優しい碧い瞳が思い出されて苦しかった。


 エイヴァルトにこんな選択をさせるつもりではなかったのに。クラーラは、陰鬱な雰囲気を纏って一日を過ごすことになる。

 時々頭を抱えて溜息を落とす様子に周囲が心配して声をかけてくれるが、「大丈夫よ」と返事をするのさえも辛かった。







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