48乗り込んできた元侯爵
あの事件から間もなく、イーサンは宰相のみが許される印を使用し文書を偽装した罪に問われかけた。
しかし実際にはエイヴァルトが自ら書いたと証言したことと、本人が除籍を望んでいるとして咎めないとした。
それでも不正の事実は残り、イーサンは出仕を禁じられる。
トリン侯爵家はエイヴァルトを手放すことが決定し、ノートリア子爵家との婚約も自動的に解消される運びになった。
すべてはウィンスレット公爵の計画通りだ。
セバスティアンは顛末を国王に報告した。
王は「残念だ」とだけ告げるとセバスティアンを下がらせる。セバスティアンはその足で五十年ほど前の記録が残された書庫を訪れた。
そこにはかつて川が氾濫して大きな被害が起きた際に、トリン侯爵家が莫大な資金を投入して復興に関わったことが記録されていた。
それもこれも権力を手に入れる為だったのかもしれない。しかしながら国を、そして民を助ける力となったのもまた事実。
その恩があったからこそ、王は不正を知りながらもトリン侯爵ライハインツを側に置き続けたのだろう。ただライハインツ始め、トリン侯爵家の人間は己の利益だけを求め過ぎた。
王と同じく、実行したセバスティアンも残念だと思った。
※
見栄と賄賂のために借金を重ねたトリン侯爵家に、すべてを即座に返済するだけの力はない。だからといって借金がなくなるわけではなく、国の専門部署が介入することになった。
トリン侯爵ライハインツは管理能力がないとされ、賄賂の件の咎もあり、次期侯爵とされるカーネス共々隠居を申し付けられる。
さらには領地の半分を国へ返還することになり、複数ある爵位も子爵位のみを許され、侯爵の位は剥奪された。
残された子爵位はイーサンの息子が成人した後に継ぐことが決まり、イーサンならびにアーサーは貴族籍を持たない文官となって出仕することになる。
出仕を禁じられていたイーサンはもとより、自尊心の強い二人は処分に耐えられず職を辞することにした。残った領地に引っ込んで、監視付きではあるが領地運営に精を出すと思われる。
出た利益のほとんどを借金返済に充てなければならないので贅沢はできないものの、普通に暮らしていくには十分だ。
賄賂の件があるために領地と爵位を失ったが、隠居は破産した貴族に対しての処分としては妥当なものだ。賄賂を受け取った貴族たちも、領地縮小や爵位を血縁者に譲渡するよう命じられるなど相応の罰を受けた。
トリン元侯爵家の面々は領地に引っ込むため、都の屋敷を家具や美術品、宝飾品などを含めて丸ごと売り払えば返済もかなり楽になる。息子に引き継がれることを考えて、心を入れ替えて励むかどうかは彼ら次第だった。
しかしながら元トリン侯爵ライハインツは国の下した判断に激怒し、裏切り者であるエイヴァルトがいる騎士団舎に乗り込んだ。
足が悪いのにも関わらず、馬車で乗り付けると「エイヴァルトを出せ!」と杖を振り回して大騒ぎしている。これではさらに咎めを受けると、付いてきたイーサンが止めようとしたが手が付けられない。
夕暮れ時ということもあって任務から戻った騎士が大勢いる中、エイヴァルトが姿を現すとライハインツは杖を振り上げた。
「この役立たずめ!」
振り下ろされた杖がエイヴァルトの左肩を打つ。足の悪い老人とは思えない強い力だ。それをエイヴァルトは逃げずに真正面から受け止めた。
「王太子を手懐けたのなら侯爵家の利になるよう動かすのが貴様の役目だというのに。この面汚しが!」
次に振り下ろされた杖の先を片手で掴んだエイヴァルトは「元トリン侯爵」と、血の繋がった祖父を呼んだ。
「何が元だ! 離せ、離さんか!」
押しても引いてもびくともしない。
始めの一発は侯爵家に生まれた者の礼儀として受けたが、二発目以降は義理はないと判断したのだ。
「殿下の御前です。弁えてください」
「なんだとっ!?」
エイヴァルトがライハインツの後方を示す。釣られて振り返るとフリューレイを従えたディアンがいて、いつもなら離れて警戒している護衛たちがディアンの直ぐ側で任務についていた。王太子に危害を加えるかもしれない相手と判断されたのだ。
「貴様は王国の騎士に何をしている? この者は陛下の所有物だ。手を出すのは陛下に手を出すのと同じであると忘れたのではあるまいな」
いつにない冷淡な声は怒りを秘めていた。周囲の騎士たちが一斉に膝を折り、ライハインツの側にいたイーサンも狼狽えつつ同様に膝を折る。
「殿下、我々がいったい何をしたと!? トリン侯爵家がどれだけ国に尽くしてきたのか殿下はお知りではないのだ!」
足が悪いとはいえ、ライハインツは立ったまま唾を吐きつつディアンに訴える。
しかしディアンは眉一つ動かさず冷たい目を向け続けた。
「ライハインツよ、誰が勝手な発言を許した。私は貴様に問うたのだ、陛下の所有物に手を出すのは陛下に危害を加えるのと同じである。まさかそれを忘れているのではないか、と。言葉が理解できないのか?」
「なっ……なにをっ!」
王太子を前にしているというのに、ライハインツは怒りで顔が真っ赤になっていた。
ディアンは仕方のないものを相手にしてしまったとでも言うかに、ひとつ盛大に態とらしいまでの溜息を吐き出す。
「イーサン、この耄碌した老人を今すぐここから連れ出せ。これ以上の咎は貴様らにとって望むものではあるまい」
「今すぐに!」
命じられたイーサンは、抵抗するライハインツを強引に引きずって去っていく。
その様を見送ったディアンがもう一度溜息を吐くと、エイヴァルトは「お騒がせ致しまして、たいへん申し訳ございませんでした」と深く頭を下げた。




