45公爵家次男ラインスの活躍
時はエイヴァルトとクラーラの幸せな夜に遡る。
ほぼ無意識ながらもクラーラを乙女のまま無事送り届けたエイヴァルトは、その足でラインスを訪ねた。
毎日の恒例である楽しい残業に勤しんでいたラインスは、暗闇の中に音もなく浮かび上がった影にぎょっとして恐怖で跳び上がった。
「なっ、ななななっ何っ!?」
そこにいたのはエイヴァルトだった。
静かに佇む男の眼光は鋭く研ぎ澄まされていた。まるで死地へと向かうが如き決意に満ちたそれに、ラインスは嫌な予感しかしない。
「お前の協力が必要だ」
「お前呼びなの!?」
貴族間では乱暴で、文官の間でも使われない呼びかけだ。なのにお前と呼ばれて一気に距離が近くなったかのように感じてしまう。
「どうか頼む。彼女を得るために命をかけたい」
「怖い怖い、嫌だから!」
「お前も宰相閣下も彼女を泣かせたくないはずだろう?」
確かにそのとおりだ。出生の秘密は露見させないし証拠もない。彼らが現状維持を望んでいるから、ウィンスレット公爵家としてなにもすることはない。
それでもウィンスレット公爵セバスティアンは、ラインスの正式な妻としてクラーラを迎えることに何の疑問もなく即決できるほどだし、ラインスもクラーラのことを気に入っている。
筋肉達磨な巨体の後ろでラインスを見上げたあの眼差しは、思い出すだけでドキドキしてしまう。可愛くて悶絶する。そんな彼女の泣き顔なんて見たくない。
アイザックはともかく、彼女に一目会ったあの日以来、きらめく不思議な瞳に魅力された。エイヴァルトがいなかったら「当主命令で仕方なく」と言いつつ喜んで妻に迎えるところだ。
ラインスはエイヴァルトを見捨てることができない。お人好しでもないのにだ。学園時代から常に意識してきたせいなのだろうか。
エイヴァルトもそれを分かっているのだろう。頭を下げられて嫌だと言いつつも、完全な拒絶なんてできなかった。
悔しいがそのとおりだから仕方がない。巻き込まれるのは決定だった。
計画を聞いた時「成功するとは思えない」と頭を抱えた。
「アイザックになら殴られても、殿下は笑って許すとお前が言ったんだ」
確かに言った。アイザックになら殴られても笑って許してしまいそうじゃないか……と。
「君はアイザックじゃないだろ」
「心の義弟になるならたいして変わらない」
「大違いだよ!」
エイヴァルトの思考が馬鹿すぎて泣けた。学園時代にこんな男と必死になって争ったのだと思うと情けなかった。お陰でなんでも理解できる天才になってしまったじゃないかと叫びかけたが、自画自賛になるのでやめた。それに運動はからっきしなのでなんでもは言いすぎだ。そこを指摘されて恥をかきたくない。
そんなわけでラインスは渋るフリューレイを巻き込んだ。
フリューレイは「殿下に刃を向けるなど許せるはずがない」と取り合わなかったが、「クラーラと仲良くしたい殿下の願が叶うチャンスだから。絶対にお喜びになる。さらには二人のために賢王になる未来しか見えない!」と力説してなんとか頷かせた。
ただし説得に力は貸さない、エイヴァルト自身でやるべきことだと諭された。
セバスティアンに対しては、「失敗したらトリン侯爵家を完全に潰せます。成功したならエイヴァルトの忠誠を証明できるだけでなく、あの顔を何かの役に立てることだってできるようになります。利用し放題! なによりもクラーラが幸せになる」と熱を込めて語り説得した。
黙認してくれることになったが、「殿下に糸くずほどの傷であろうと負わせたなら関わった者すべてを厳罰に処する」と言われてしまった。
剣を向けた時点でアウトだ。あの父がよく許したと思う。それだけ亡きローディアス殿下への思いが強いのだろう。セバスティアンもあの兄妹の幸せを願っているのだ。
関わった者すべてとは……ウィンスレット公爵家一同も含まれるということだった。
この計画はディアンの心一つにかかっている。ディアンが許さなければすべてはお終いだ。ラインスだって無事ではすまない。どうしてこんなことに巻き込まれてしまったのだろう。
計画としてはエイヴァルトが王太子に刃を向けている姿をイーサンに見せること。それだけでエイヴァルトはトリン侯爵家から解放間違いなしだが、エイヴァルトの首が物理的に飛ぶ可能性がある。
だから場所は密室で、関係者以外は立ち入ることができないところを選んだ。
首をつなぎとめるためには当然ディアンに協力を仰ぐ運びとなる。絶賛クラーラに夢中のディアンだ、断られる可能性は低いと睨んでいた。
ディアンは三日と開けず夕刻に騎士団舎を訪れているので日時の予想は容易い。イーサンをおびき寄せることが何よりも難しいが、ラインスが何とかすることにした。
そして計画が実行されるその日。
昼休みの間にとある書類をイーサンの机に仕込んだ。
それからディアンの動向を監視していたラインスはその動きを察知すると、慌てて仕事部屋へと駆けた。が、たどり着く前にイーサンと遭遇してしまう。
少し早い気がしたが逃がしては不味いと思い、焦ったふりをして「イーサン、大変だ!」と声をかけた。
「なんの用だ」
面倒そうに眉間に皺を寄せたイーサンは歩みを止めない。ラインスは彼の前に出て進行を阻む。
「大変なんだ。今すぐ一緒に来てほしい」
「だからなんだ。私は忙しい。自分でなんとかしろ」
同じ職場でも宰相位を狙う者同士なので仲が悪い。ラインスが仲良くしようとしてもトリン侯爵家の息子二人は馴れ合う気なんて全くないらしく、なんならラインスの足を引っ張って邪魔したりするほどだ。
「王太子殿下がご立腹で騎士団舎に向かった。エイヴァルトが何かしたらしい。トリン侯爵家にとって重大なことになりかねない。探りたいから君にも同行して欲しいんだ」
話の途中からイーサンの表情はどんどん険しくなった。最後には勝手に歩き出してしまう。足は騎士団舎に向かっているが、歩く速度がとんでもなく速い。ラインスは慌てて先導したが、ほとんど走る勢いだったのですっかり息が上がってしまった。
しかも運が悪いことに計画どおりに訓練場の物置に忍び込んだものの、ディアンとほぼ同時に到着してしまった。イーサンに聞かれてしまうので、エイヴァルトがディアンに説明することができない状況になった。
古い建物なので、物置の壁には隙間があって中の様子が窺える。イーサンは何も言わずともその隙間からエイヴァルトと、訓練場に入ってきたディアンの様子を真剣に窺っていた。
「お前も秘密を知る一人らしいな」と、イーサンに聞かせたくない言葉がディアンから告げられる。イーサンは「秘密?」と、訝しげに眉を寄せた。
沈黙で答えたエイヴァルトにディアンはご満悦だ。「除籍を望むなら手を貸してやらんでもない」と自ら口にしたが、こちらの思惑を伝える術がなかった。ラインスは失敗だと悟る。
しかしエイヴァルトは「そのお言葉、ありがたくお受けいたします」と言うなり、目に止まらぬ速さで剣を抜き、その刃はディアンに向かった。
狙われたのはまさかの首。左の頸動脈だ。
瞬く間の出来事に誰もが声を失った。
ラインス達の位置からだとエイヴァルトの剣はディアンの……王太子の首にピタリと触れているようにしか見えない。まさか本当に切ったのかと錯覚を覚えたほどだ。
隣にいたイーサンは驚きのあまり悲鳴を上げかけ、ラインスが慌てて口を塞ぐ。一拍後、ハッとしたイーサンはラインスの腕を払い除けて一目散に走り出した。
謀反を起こしたエイヴァルトの元ではなく……恐らくトリン侯爵へ報告に向かったのだろう。その前にもう一人の、共に仕事をしている弟にも声をかけるに決まっている。
その時に机に置かれた書類……過去の日付が記されたエイヴァルトの除籍届に目を止め、宰相の決裁印を勝手に押してくれたら文書偽装となり万々歳なのだが。
「それよりもなによりも血みどろなんてやめてくれよ……」
ラインスの手は小刻みに震えていた。恐る恐る壁に手をついて隙間から様子を窺うと。
「羽虫です」
短くエイヴァルトが告げ、煌めく剣刃についた何かをディアンに見せていた。




