41嫌いじゃなかったの?
食事の会計はエイヴァルトが払ってくれたので、ピアスはプレゼントすることにした。
エイヴァルトからは「自分が頼んだのだから」と言われたが押し通した。申し訳なさそうにされたが彼のために作れることが嬉しくて、「ぜひ贈らせてください」とお願いしてようやく受け入れてくれた。
これでこっそりお揃いにしても問題ないだろう。
ピアスは材料費もたいしてかからないので、あとはクラーラの腕次第。アイザックに贈ったものよりも上手に仕上げたい。
気分が高揚するクラーラに対して、エイヴァルトは緊張していた。ただ職業柄なのか育った環境のせいなのか顔に出にくい。それでもクラーラを好きだという気持ちはフランツに筒抜けだったので、まったく気づかないクラーラが鈍いのだ。
クラーラはエイヴァルトに誘われるまま肩を並べて夜の街を歩く。仕事を終えて家路へ急ぐ時間はとっくに過ぎて人影はまばらだ。
二人は広場にある噴水と向かい合うように設置されているベンチに腰を下ろした。
幸せに浸るクラーラは水の跳ねる音に耳を傾けていた。体温を感じる距離にエイヴァルトがいてうきうきしている。「クラーラ」と呼びかけられて隣の彼を見上げると、もう一度名前を呼ばれた。
「君に告白しなくてはいけないことがある」
そこでようやくエイヴァルトの表情が硬いことに気づいた。
嫌な話ではないと思っていたけれど違うのだろうか。未来に約束もあるので会えなくなるようなことでないのは決定している。
だとしたらまさか……婚約者と結婚するから式に招待されるとか!?
貴族の結婚式に平民が呼ばれるなんて聞いたことがない。いやそれよりもエイヴァルトが他の女性と夫婦になる瞬間なんて見たくない。
「な、なんでしょうか」
それでも聞かないわけにはいかない。そのために誘われたのだ。クラーラだって覚悟して今宵のひとときを糧にすることにしたのだ。
覚悟を持って奥歯をかみしめた。
「懺悔を聞いてほしい」
「懺悔?」
神父でもなんでもないけど? と思っていたらエイヴァルトがクラーラの前に膝をついたのでびっくりした。エイヴァルトを立ち上がらせようとして思わず伸ばした手を取られてまたもやびっくりだ。
エイヴァルトの大きくて硬い手のひらがクラーラの手を包み込んで彼の額に寄せられる。さらりとした金色の髪が手の甲を撫でた。
「君に会うまでの私はとても醜い心をしていた。私は優れた騎士であるアイザックに苛立ちをぶつけて、上手くいかないことのすべてをアイザックのせいだと思い込むことで平静であろうとしていた。さらには見も知らない君の栄誉を貶めた。最低だ。許して欲しいなんて言えないほど下劣な行為だった」
苦しそうに吐き出したエイヴァルトは、クラーラの手を握ったまま額から外して揺れる瞳を向ける。
クラーラは突然のことに言葉をなくしていた。
「こんな私だが、君に出会ったことで己の弱さを知ることができた。君は私に偽りない自由な心でいてもいいのだと気づかせてくれた存在だ。あの日君に出会えなければ、私は今も愚かで卑怯な男のままだっただろう」
エイヴァルトはクラーラから視線を逸らさず真っ直ぐに見つめていた。クラーラは手を取られて、膝を突いた彼を見下ろしている。
好きな人に手を握られてこんな近くで顔を突き合わせていることもあって、エイヴァルトにとってとても大切な告白だったと思われるが、急なこと過ぎてクラーラの頭は働かずよく理解できなかった。
「あの……わたしはどうしたら」
「何もしなくていい。ただ今の私は君にとって不誠実な存在だ。大切な言葉を告げる資格がない。けれど必ず近いうちに状況を変えてみせる」
「状況を変えるって、どうして?」
どうしてこのままではいけないのだろう。クラーラからすると、たとえ叶わぬ思いでも、こうしてエイヴァルトが顔を見せてくれるだけで幸せなのに。
ピアスを贈る約束もした。それなのに不誠実ってなんなのか。状況を変えたらまた会うことができるのか。変えなければ贈り物をすることもできないのだろうか。
エイヴァルトのことは諦めなければいけない。けれどこうして側にいたらもう駄目だった。身分の差があってどうにもならないことも分かっている。
でも……やっぱりこの人といると幸せだ。嫌われていてもいいからどうにかして繋がっていたい。
「クラーラ。君は私の気持ちに気づいているかい?」
問われて泣きそうになった。けれど「知っています」と頷いた。
「嫌いなんですよね」
「すまなかった」
エイヴァルトは間髪入れずに謝罪して頭を下げる。
「どうして? わたし何をしたの?」
「何もしていないよ」
エイヴァルトはクラーラの手を離さない。それどころか逃さないとばかりにしっかりと握りしめた。
「私が愚かだったんだ。君がこんなにも素敵で愛らしい女性だなんて想像もしなかったし、知ろうとすらしなかった」
「だったらどうしてわたしのことが嫌いなの?」
エイヴァルトの言っていることがクラーラには理解できない。けれど懺悔するのだから過去を悔いているのだろう。クラーラと出会って弱さを知って自由な心でいていいと知った。
だから何? 嫌いだから正直に嫌っている相手にとるべき態度に出ることにしたとでもいいたいのか。それにしては変だ。少しも邪険に扱われないし、罵倒されることもない。さらには不誠実ってなんだろう。
エイヴァルトの生まれや育ちを知らないクラーラでは、彼の告白だけでは理解できない。しかもエイヴァルトは確実な言葉を口にしないで自分勝手に懺悔するものだから、クラーラの頭は疑問でいっぱいだった。
「望んだことではないとはいえ私には婚約者がいる」
「先日、騎士団舎にいた女性ですよね」
「今はまだ詳しく話せないが、彼女との結婚はないと断言できる」
「彼女はエイヴァルト様に夢中でした」
もしクラーラがエイヴァルトの婚約者だったら絶対に離さない。だからきっと彼女もエイヴァルトと結婚する気でいるだろう。エイヴァルトのことが好きなだけに、同じ女として彼女の気持ちは簡単に推察できた。
「あれは演技だ。彼女にも家の都合があって、そのように振る舞わなければならなかっただけなんだ。クラーラ、どうか聞いてくれ」
エイヴァルトはようやく手を離したかと思えば、ぐっと身を寄せてベンチに腕を伸ばすと、クラーラを腕の檻で囲ってしまう。逃がさないとの無意識の行動だった。
「確かに私は君を嫌っていた過去がある。こんなに素敵な女性だと知りもしないで本当に愚かだった。でも今は……出会った瞬間から君に惹かれてやまない」
まっすぐに見つめられて言葉を失ってしまう。けれど目の前にある美しい顔に魅了されて、エイヴァルトが何を言っているのか分からないなんてことにはならなかった。
それでもただびっくりして瞳を瞬かせるばかりだ。
「今の私の状況では君に告白することなんて許されないんだ。けれど他の誰かに取られそうで怖くて言わずにはいられなかった。クラーラ、どうかお願いだ。近いうちに必ず状況を変える。その時まで私以外の誰かのものにならないで欲しい。私は君が好きだ。愛しくてたまらない」
そう乞われたクラーラは驚きすぎて動けなくなってしまったものの、「あれ?」と心のうちで首を傾げた。
「じゃあ嫌いっていうのはアイザックの勘違い?」
思ったことが口を突いて出てしまう。
言葉を拾ったエイヴァルトもアイザックの勘違いだと言ってしまえばいいものを、正直に「勘違いではない」と言うものだから、急なことに混乱しているクラーラは愛しくてたまらないと言われたにも関わらず、「やっぱり嫌いなのね」と泣きそうになった。
「違う、そうじゃない。勘違いではないのだがそれはクラーラと出会うまでの話だ」
「よく分からない。今はどうなの。それだけ教えて」
懇願するとエイヴァルトは息を呑んで、苦しそうに胸を押さえた。それからゆっくりと息を吐き出して表情を緩める。
「好きだよ、君が。命をかけていいほどに愛している」
「わたしも大好き!」
嬉しいと、気持ちが爆発してエイヴァルトに飛びついたら受け止めてくれた。
彼の首にぎゅっと腕を回して「大好き。どうなってもいいくらいに好きです!」と人生最大の幸福に酔い痴れる。
エイヴァルトと一緒にいられるならもうどうだってよかった。愛人や日陰者となじられても一緒にいられるだけでそれで十分だと、クラーラは心の底からそう思ってしまった。




