40最後かと思いきや
近頃のクラーラは仕事に打ち込んで、気がつくと暗くなっていることもざらだ。心配するアイザックが「俺が迎えに行くまで仕事してろ」と言うので、それまで作業を続けるのが当たり前になっていた。
クラーラは細かい作業が得意だ。集中して加工したり磨いたりするのも好き。けれどデザインは苦手の部類で、同じ年の男性彫金師のほうが女性の好む宝飾品のデザインがとても上手かった。
昨日は同僚の彼とお昼を食べに出た帰りに、休憩時間にみんなで食べる一週間分のお菓子とお茶の葉を買って帰りながら、若い女性の好みについて聞いてみたのだ。
すると「クラーラは若い女性だよ。僕に聞くよりクラーラの好きだと思えるものを形にすればいいと思うけど」と、当たり前とも言える答えが返ってきて、可笑しくなって久し振りに本当に笑えた気がした。
彼の助言を受けて、今日一日はクラーラが自分で身につけたいと思える指輪をデザインしている。
「おかしいなぁ。わたしは若い女性なのに……」
けれど上手くいかない。デザインを凝りすぎると仰々しく派手になるし、あっさりしたものにするとこれまで作ってきたものと大して変わらない、あまり見栄えしないものになってしまう。
こう言ってはなんだが、クラーラが作る指輪は年配の、ちょっと荒くれたおじさんたちに人気があった。
「乙女としてはおじさんじゃなくて、若い女の子の好きそうなものが作りたいんだけどなぁ」
ふーっと息を吐くと両腕を上げて後ろに反らして伸びをしたら、目の前に私服姿のエイヴァルトがいた。
え? と思って瞳を瞬かせる。
「声をかけたのだが返事がなかったので。鍵が開いていたから入らせてもらったのだが」
「えっ……。きゃあっ!」
「クラーラ!」
伸びをした姿勢のまま固まっていたら、椅子に座ったまま大きな音をたてて後ろにひっくり返ってしまう。
「大丈夫か!?」
「痛たたたた……」
頭は打たなかったが肘をどこかにぶつけたようで痛い。
「見せてくれ」
気付いたら直ぐ側にエイヴァルトがいて鼓動が跳ねる。彼はクラーラに異常がないか確認していた。
「痛むのは肘だけ?」
「はい。でもそんなに酷くは」
エイヴァルトは倒れた椅子をもとに戻すと、クラーラをひょいと持ち上げてそこに座らせてくれた。
「すまない。私が急に声をかけたりしたから」
「いえそんな。いくらでも声をかけてください」
びっくりしたが、エイヴァルトが側にいて心配してくれることがとても嬉しくて顔がにやけてしまった。
彼の婚約者と遭遇してから、生きる世界や立場の違いを見せつけられて苦しかったのに、目の前にエイヴァルトがいてくれるだけで頭の中がお花畑になってしまう。
だって椅子からひっくり返っただけなのに、クラーラの前に膝をついて見つめてくれる……ではなくて、注意深く異常がないか観察してくれるのだ。
宝石のようにきらめく碧眼に見つめられて体温が一気に上昇してしまう。彼に心配されて見つめられる嬉しさで痛みなんてふっとんでしまった。
「どうしてここに?」
心配してくれているのに浮かれている不謹慎さを隠すために、意味もなくスカートの皺を伸ばしながらうつむき加減で盗み見るようにエイヴァルトに視線を向けた。
「君に話があって」
真剣な眼差しで見つめられて、いつもなら頬を染めることろだったが、よい話でないのだろうなと予想ができてしまい、浮かれていた気持ちが一気に沈んでしまう。
「……なんでしょうか」
騎士団舎を訪問した際に話があると言われたのを思い出した。そこに現れたのがエイヴァルトの婚約者を名乗る貴族の女性だ。
きっと迷惑だから訪ねてこないように注意されるに違いない。エイヴァルトは優しいけれど、大切な人との関係を邪魔されないために釘を差しにきたのだろう。
もうクラーラから会いに行く勇気なんてなかった。放ってくれていたらいいのに。
嫌われているのは知っていたけれど、面と向かって言われてしまうのか。辛いなぁと思いつつ、スカートの膝のあたりをぎゅっと握りしめた。
「仕事が終わるのを待つよ。歩きながら話そう」
「あ、でも。アイザックが迎えに来るんです」
ここで話すのが憚られるならまたにして欲しい。大好きな人だけれど面と向かって振られるのを避けたくて、「それなら改める」と言ってくれるのを期待したのだが。
「アイザックには許可を取ったから心配ない。それで君を食事に誘いたいのだが」
「食事ですか?」
あれ? 話はどうするのだろうと思ったのが伝わったのだろう。「話は食事のあとに」と言われた。
「それともお腹は空いていない?」
「いえ、空いてます」
振られるのが決定しているなら、一緒に食事をするのはこれが最後だろう。一生夢に見れるような素敵な思い出にしよう。クラーラは落ち込んでいる自分にそう言い聞かせた。
「遅くなる前に送るから」
「一分で片付けます!」
クラーラは勢いをつけて元気に立ち上がり、急いで片付けを済ませると、しっかり戸締まりして鍵をかけた。
行きたい店か食べたいものはあるかと聞かれたので、夜の食事で恋人たちに人気があると同僚に聞いた店を指定した。
そこならきっと街歩きをしているらしいディアンにも会わないだろうと予想したのだ。フランツの結婚式の日のように、エイヴァルトたち騎士が立ち寄る店だと遭遇する確率が上がるような気がする。
その店は落ち着いた雰囲気の、橙色のランプが灯る、少し薄暗さを感じる素敵な店内をしていた。
テーブルとテーブルの距離が広めに取られていて、個室はないが観葉植物や衝立もあったりするので人目が気にならないし、隣の会話も聞き取りにくそうだ。
「こういう店を知っているのだな。誰かと来たことが?」
「いいえ、初めてです。素敵なお店で食事も美味しいって聞いていたので、一度行ってみたいなって思ってて」
「そう。それは良かった」
「ん?」
よく聞こえなくて首を傾げたら、エイヴァルトは「なんでもないよ」と微笑んだ。
ここにはアイザックを誘ってこようと思ったこともあったが、筋肉達磨の大男には似合わないだろうと思い声をかけなかったのだ。
実際に来てみてアイザックではなく、エイヴァルトと一緒で本当によかったと心の底から思う。
入店すると席が離れているのに関わらず、客の視線が一気に集まるのを感じた。当然だ、こんなにも素敵なエイヴァルトがいるのだから。
向かい合わせに座ってメニューを決める。クラーラがトマトソースを使った鶏肉の煮込みを選ぶと、エイヴァルトも同じものを注文した。
お酒はおしゃれなグラスに入ったワインをエイヴァルトが選んでくれた。
テーブルの中央に置かれたランプに照らされたエイヴァルトはとても美しくて、整いすぎた端正な顔立ちを眺めて目に焼き付ける。
エイヴァルトは終始クラーラに声をかけてくれて、彫金の話を興味深そうに聞いてくれた。
おじさんではなく、若い女性が好むデザインのアクセサリーを作りたいのに上手くいかないことを告げると、「試しに私に似合うと思うものを作ってくれないだろうか」と言われて驚いた。
それって、次があるってことだろうか?
「クラーラ? 駄目だろうか?」
返事ができずにいたら悲しそうな目を向けられて慌てて首を横に振る。
「駄目だなんてことはありません。でも、その……。怪我をするかもしれないからアクセサリーの類はつけないのでは?」
ピアスを贈ろうと考えていた時期にフランツがそんなことを言ったのだ。エイヴァルトは耳にピアスの穴も空いていないし指輪もつけていない。
「君が作ってくれるのなら身につけるよ」
「でも私が作ったせいでエイヴァルト様が怪我をするのは嫌です」
任務中にピアスごと耳を引っ張られて切れたりしたら大変だ。
「そんなミスは犯さない。駄目かな?」
「いいえ駄目じゃありません。ぜひ。任せてください!」
どうしよう。こっそりお揃いにしちゃおうか!?
気分が一気に上昇する。
今日を限りに会えなくなると思ったのは間違いだ。嬉しすぎて食後に出されたカットフルーツを口に押し込んだら喉に詰まらせてしまった。
背中を叩いて擦ってもらい落ち着いたが、とても恥ずかしかった。




