38ノートリア子爵令嬢の告白
拘束していた男……シスルを解放すると、リーリアはほっと安堵の息を漏らした。
エイヴァルトは彼女をベンチに座らせて前に立つ。シスルはベンチの後ろ、リーリアの側に立ってエイヴァルトを睨みつけていたが無視することにした。
リーリアは一度後ろを振り返ってシスルを確認すると、促すより早く自ら口を開く。
「一昨年、領地で金鉱が見つかりました。岩盤が硬く採掘はあきらめていたのですが、トリン侯爵家お抱えの技術者ならどうにかなるかもしれないとなり、繋ぎを取ろうとしたところ、ウィンスレット公爵からの接触がありました」
トリン侯爵は金銀鉄の鉱山を所有している。土地柄岩盤が硬く、お陰で採掘の技術は王国一と言っていい。だが全盛期は過ぎ、今では僅かしか産出されず採算が取れなくなっていた。
「ウィンスレット公爵はトリン侯爵の力を削ぐために接触できる対象を探していました」
「ノートリア子爵とウィンスレット公爵の関係は?」
「若いころ父は間諜としてウィンスレット公爵にお仕えしていたそうです」
予想したとおりノートリア子爵は過去にスパイの役目を担っていたようだ。今も現役だとしてもエイヴァルトには関係ない。
エイヴァルトは先を続けるように視線で促した。
「父は採掘技術の提供を理由として、わたしとエイヴァルト様の結婚を打診いたしました。その後はエイヴァルト様もご存知のとおりです」
「婚約は疑われないための対策で間違いないだろうか」
「はい。技術の提供を受けて見返りを払うだけより、父が権力を得たがっていることにしたほうが疑われないだろうと。結びつきを強くするためにエイヴァルト様を養子に望むことになりました。金鉱をトリン侯爵家の自由にできると思わせるためです」
「なるほど」
婚約者として顔合わせをした日、ノートリア子爵からはそのような策を図っているなんて微塵も窺えなかった。さすがは間諜と言うべきか。エイヴァルト含めてまんまと騙されていたのである。
「婚約は解消する予定で間違い無いのか?」
「間違いありません。エイヴァルト様から拒絶されるために無礼な態度を取りました。申し訳ありませんでした」
エイヴァルトの好きなものが好きだと意思のない発言をしたり。婚約者だと名乗って騎士団舎に押しかけた挙句、声高に叫んだり。エスコートされるべき立場なのに、着飾って自らエスコート相手を職場に迎えに来たり。悲劇を装って泣いたり。それらのことはやはり芝居だったのか。
それにしても……。
「態度は作れても顔を染めるなどは意識してできるものではない。見事な演技力だ」
「あ、それは演技ではありません」
「うん?」
聞き間違いかと眉を寄せると、リーリアは恥ずかしそうに俯いた。
「エイヴァルト様はその……。とてもお美しいので。見惚れてしまいました。目が合うだけでこう、胸がどきどきしてしまって」
「好いた男がいるのにそうなるものなのか?」
「それはそれです。……あれ?」
好きな男がいるなんて言っただろうかと思ったのだろう。リーリアは首を傾げた。
「シスルと言ったな。その男は恋人なのだろう?」
「どうして分かるのですか!?」
後ろに立っているシスルと二人して驚いているが、分からない方がおかしい。
「令嬢としての価値を下げてまで私から拒絶されたいのだろう? あなたの令嬢らしからぬ行動は、万一にも私があなたを気に入ってしまわないための予防線以外にないと思うが?」
そのすべては恋人がいたからだ。
「本当に申し訳ありませんでした!」
「お嬢様が悪いのではありません!」
リーリアが立ち上がって深く頭を下げると、後ろに立っていたシスルがリーリアとエイヴァルトの間に入って声を上げた。
「お嬢様は頭が良くて優しくて素敵な方です。それなのに酷い噂が。すべて私が悪いのです!」
「やめてシスル、エイヴァルト様の前なのよ!」
「ですがお嬢様。俺が悪いのにお嬢様が悪く思われるのは嫌なんです!」
「シスル!」
二人してがっしりと手を取り合って見つめあっている。盛り上がっているようだがよそでやって欲しい。
二人を見ているとリーリアが令嬢としての価値を落としてまで非礼を尽くしたのは、エイヴァルトに嫌われるのだけが理由ではないようだ。
「ノートリア子爵は二人の仲を認めていないのか?」
エイヴァルトの問いかけに二人してはっとしたかと思うと、同じく口をへの字にして俯いてしまった。仲がいいようで何よりだ。
「シスルは家令の息子で幼なじみなんです。わたしがエイヴァルト様の婚約者となる見返りに、ウィンスレット公爵からシスルの養子先を紹介していただくことになっています」
適当な貴族の養子になってノートリア子爵家に婿入する予定のようだ。彼に子爵家を盛り立てていく能力があるのかは知らないが、領地経営や家政は総領娘たるリーリアが担うつもりなのかもしれない。
どのような理由であれ婚約破棄は傷がつく。その見返りにリーリアはシスルとの結婚を望んだのだ。
さらには社交界で悪い意味で噂になることをして、求婚者を退ける策にでたのだろう。
エイヴァルトと婚約破棄した後に求婚してくる貴族の子息と、新たに婚約させられないための予防線を張っていたのだ。
「でもすべてが水の泡です」
リーリアはがっくりと肩を落としていた。
「なぜ?」
「だって、トリン侯爵にお話になるのでしょう?」
「いいや、話さないが?」
「え?」
リーリアとシスルは二人して目をまん丸にした。
「ノートリア子爵令嬢。見合いの日に私が言ったことを覚えていないのか?」
「え? まさか愛する方のことですか?」
それ以外にないと思うが……。黙っていたら「ええっ!?」とリーリアが声を上げて驚いた。
「まさか侯爵家の当主になって平民女性を娶るのですか!?」
「違う。私の望みは貴族位から除籍され、彼女と結婚することだ」
「ということは……」
「あなたとその男との仲を邪魔するつもりはない。だからあなたも私の邪魔をしないと約束して欲しい」
「約束いたします!」
ばっと飛びついてエイヴァルトの手を取ったリーリアは、「神に誓って邪魔をいたしません」とエイヴァルトを見上げた。
かと思えばみるみる頬を染めてしまうではないか。
エイヴァルトはそっと手を抜き取る。
「し、失礼いたしました。でもどうしてなのですか。こちらにとって都合がよすぎます」
「私は自分の未来のためにも、ウィンスレット公爵を敵に回したくないのだ。一族を裏切るのかとなじられようとね」
「よく分かりません。わたしには家族を見捨てるなんてできませんもの」
「それが普通なのだろう。ただ私が違うというだけだ」
育った環境が異なるのだから理解できないのは当たり前だ。少なくともノートリア子爵は娘を愛している。だから家令の息子であるシスルとの結婚を認められないし、自分を犠牲にしても結婚したいとの意思を示して行動する娘を否定もできない。それでも最終的には折れて二人を認めてやるのだろう。
「あなたは温かい家庭に育ったのだ。分からなくてもいい。あなたにとってそれはよいことだから」
エイヴァルトにはないものを彼女は持っていた。
それを羨ましいとは思わない。欲しければ自分で掴めばいいだけだ。エイヴァルトにとってトリン侯爵家は生まれ育った環境でしかなく、家族とは呼べないまったく別の代物だ。




